「NHKアカデミア」という番組で山極寿一を「世界のトップランナー」などと形容して取り上げている
山極はそもそも松沢哲郎らによる総額11億円もの研究費不正流用を引き起こした時期の京大学長であり 霊長類研究所閉鎖の責任の一端があるはずであり こんな無責任な男を「世界のトップランナー」などと称して取り上げているのはマスコミとして無責任にも程がある
山極は「人類のごく僅かしか戦争をしていないことを知れば戦争はなくなる」などという何の論理的根拠もない大衆迎合的デマで人気取りをしているバカであり そんな簡単なデマすら見抜けないマスコミも含めて頭が悪すぎて話にならない
山極に限らず生物学者の多くが「ヒトには先天的人間性が組み込まれている」などという根拠の乏しいデマに対してもマスコミは一切自覚しておらず 根拠のないデマでヒトの暴力性の正体などわかるわけがないのである
多くの生物学者共と同時に衆愚マスコミも無責任であることにおいて同罪であり 自らの頭の悪さを自覚する必要がある
自分たちの頭の悪さが自覚できなければ必然的に戦争も犯罪も減らすことはできない
論理的理解能力の欠如したバカなら問題解決ができないのは当たり前の話だからである
論理的には簡単な生物学上のデマすら認識出来ずに漫然と垂れ流しをしておいて 「信頼できるメディアであり続ける」なとと標榜しているNHKは厚顔無恥にも程がある
山極寿一の論説には科学的根拠がなく 単なる決めつけが大半である
共通祖先があるからといっても「人間」の本質がわかる論理的根拠にはならない
「ヒトという種の生物」でありさえすれば「人間」ではないからだ
ゴリラのドラミング(威嚇)が平和的だと言うのであれば ヒトの暴力的威嚇もまた「平和的だ」という話になってしまう
怒鳴り散らしている認知症の老人や 夜中に騒ぐ暴走族の一体どこが「平和的」だと言えるであろうか
平和な暮らしはゴリラに限らず誰もが求めているものであるが その平和を暴力によって獲得しようとする それがヒトの先天的本能習性(本性)である
進化の過程で集団組織的行動によって過酷な弱肉強食の淘汰圧力から逃れたとは言えるものの 過酷な自然環境からの淘汰圧力から逃れた後にヒト同士での環境資源の奪い合い競争によってヒトは暴力的な個体変異種への収斂進化が起きたからこそ ヒトは戦争をするのである
山極の論説からはプーチン政権やナチス政権 日本大学などの組織腐敗についても 子供のイジメや差別についても全く説明できておらず
デマによる誘導や洗脳についても山極は一切説明していない
ヒトが安易に暴力的統率者に服従迎合忖度する習性を無視して組織腐敗の構造を説明することはできず 単なる共同体コミュニティ形成の性質だけで人間性を論ずることはできない
むしろ共同体コミュニティこそが同調圧力を作り出し 権威と見なした相手に対する盲目的服従性によって戦争などのバカげた集団統率的暴力行為が可能となるのであり 多数による統率協調性は人間性の論証には全くならない
ヒトが「概ね」暴力的ではないことをいくら陳列枚挙しても 「概ね」の性質である以上は時折生ずる暴力性を「なかったこと」にして大衆人気を集めことはできても 暴力性の根源的原因に対する論理客観的認識を撹乱する無責任な衆愚迎合に他ならない
山極の論説は都合の良いこじつけばかりであり 論理的根拠が伴わない
危険学や失敗学では どんなに小さな確率であるとしても「いつか必ず起きる」ことを前提として考えるものであり 「概ね暴力的ではない」などという多数経験則による衆愚マスコミの気分的安心満足こそが危険性放置(人災)の最も大きな根源的要因でもある
衆愚マスコミの大半は 山極寿一だの養老孟司だのマルクス:ガブリエルだのによる論理的根拠のないデマや嘘を鵜呑みにしていれば安心満足であろうが その主観による錯覚こそが論理客観的安全性から目を背けてしまう原因なのである
衆愚の多数人気は科学的論拠証明には全くならない
何がデマや嘘で 何が論理客観的根拠に基づいた真実なのかを区別しようとしないから 本当の「安全性」が損なわれてしまうのである
衆愚マスコミにとって山極寿一や養老孟司の話は「面白い」のであろうが だからこそ論理的根拠のないデマであっても誰も気づかず鵜呑みにしているのであり 洗脳というのは主観的感覚によって作り出される錯覚によって論理客観的検証性という「人間としての意識」がマスキングされてしまうことで生ずるものである
危険学や失敗学は「面白く」はない
航空機事故や原発事故の調査報告書を読んでも何も「面白く」などないのである
それはスタンレー:ミルグラムによる服従心理実験(通称「アイヒマン実験」)の論証を読んでも同じように「面白く」はない
ヒトが先天的に認知上の重大な欠陥を持っていることを自覚することは 「面白い」どころか「気分が悪くなる話」でしかないからだ
国会原発事故調査委員会報告書にある事故の根源的原因として「個人が自律的な社会的責任を負わなかったことは ヒトの先天的本能習性にとっては利己的合理性の観点からは適する行動であり ヒトは先天的に無責任であるからこそ自分の頭で物事の真偽を確かめず 嘘やデマを鵜呑みにして組織腐敗を放置し イジメを傍観するからこそあらゆる「人災」は何度も繰り返すことに陥るのである
チンパンジーは環境資源に瀕するとゴリラの子供を殺すこともある それは「稀な出来事」ではあるが 環境資源の枯渇は自然界では幾度も起きてきた事象であり その都度「生き残った」ヒトに残虐性が伴わない保証などない
梅沢富美男が相模原障害者施設虐殺事件の植松聖に対して「こんなヤツを裁判にかけるのは無駄だ 死刑にしちまぇ!」と怒鳴り散らしたことに対して衆愚の大半は同調し 人気を集めたのである
これは ヒトには刑罰という暴力迫害を短絡的に「問題解決」だと錯覚する習性があるからであり 何人の凶悪犯罪者を死刑にしても凶悪犯罪の再発防止における具体性のある論理的「問題解決」にはならず 何度でも凶悪犯罪は繰り返すことになるのである
ましてや北朝鮮やロシア政府やベラルーシ政府のような独裁による組織腐敗のメカニズム構造や原因を論ずる上において 「これさえやっときゃ全ては解決」というヒトの先天的な認知的短絡性こそがヒトの愚かさの根源であり 利己的保身のために腐敗組織に迎合同調し 忖度服従してしまう「弱さ」は民族国籍に依存するものではなく むしろヒト全般に普遍的に見られる頭の悪さに起因するものである
正直者がバカを見ない社会であるために必要なのは 個人が自律的に真偽を判別する本質的な「意識(論理検証性)」であり 権威や多数による形式的な信頼感(主観)に依らぬ判断能力がなければ正直者は「裏切り者」或いは「異端者」としてレッテル貼りをされ差別されるだけである
それで社会の問題が解決しないのは当たり前の話である
Ende;