書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

恋愛の自由。

2011年04月06日 17時16分53秒 | 意識論関連
 「恋愛の自由。」っていうのは、必ずしも正しいとは言えない。

 「哲学には好き嫌いがある。」とかっていうのと一緒で、論理的な根拠のない観念でしかない。

 生物学的な習性に流されて、結果的にDVとかに陥っていれば、それは社会的にも負担になるし、なにより子供がかわいそう。

 単にかわいそうなだけじゃなくて、その子供が大人になったときにまで社会的負担があるとすれば、「恋愛は自由。」だなんて言ってられない

 「子供は社会の財産。」だとか言っておいて、自分の子供だけは自分の所有物か何かと勘違いされては困る。

 単なる性欲と、相手の人間性を考慮した選択としての恋愛は全く別物。ヒトという種の生物というものは、どうしても本能が優先してしまいがち。だからその場限りの価値観だけで相手を選択してしまいがち。

 「自分だけには優しい。」とかって、一番危ないんだからね。他人には厳しいってことは、そのうち自分にだって厳しくなるんだからね。

 「釣った魚に、エサはやらん。」って言うじゃない。異常なまでに自分だけに特別扱いするってことは、下心全開だってことだからね。

 そういう話は義理の姉から散々聞かされた。何で気付かないんだろう。前頭核を活性させるような手法を使うのかね。

 DVとかでも、散々暴力を振るったあとに、急に優しくなったりするらしい。それって単に脳内物質の相転移による反射的な情動行動に過ぎないんだけどね。それは「心。」じゃなくて、単なる「感情。」でしかないんだよね。

 一通り暴れたりすると、何となくスッキリするんだよね。男同士でも喧嘩した後に仲良しになったりするじゃんか。あれもそう。

 溜まっている時にヌくと、気分的にスッキリするでしょ。あれと一緒。

 ノルアドレナリンとかっていうのは、一通り分泌すると大脳辺縁系が楽になるらしい。

 大脳辺縁系が促す情動行動っていうのは、それだけでは自分自身の意識的な選択であるとは言えないのです。

 難しいかな。

 難しいんだろうな。

 とにかく、「みんな、そうなんだ。」ってクラタマみたいに安心しないこと。それが一番バカな選択を促すんだからね。






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