書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

衆愚の倒錯

2023年02月28日 01時24分29秒 | 意識論関連

TBSのアナウンサーは「ウイルスは生きるために変異をする」と述べていたが

ウイルスは「生きるため」などの目的のために自らの遺伝子変異を促すことはできない

ウイルスが変異しやすいかどうかは 生息環境としての宿主に依存する

既存の鼻風邪程度の症状しか出ないヒトコロナウイルスは変異しずらく 変異しないことで宿主という生息環境と調和をしている

こうした「生息環境との調和」というのは 生態系の恒常性を持つのと同じプロセスによって促されるものであり 生態系と調和できない生物種は生態系ごと絶滅を繰り返した結果として生態系との調和が偶発的に保てた生物種だけが生き残った結果である

ウイルスというのは時に異常繁殖した生物に対して繁殖を抑制する働きを持つことがあり 現状のヒトという種の生物は新型コロナウイルスにとっての生息環境としては潤沢に大量繁殖しているため 変異を繰り返す不安定な遺伝的要素を持った株種の方が拡がりやすかったため 結果的に新型コロナウイルスは変異を繰り返すのである

遺伝的要素というのは あくまで拡がりやすいかどうかで決定するのであって 変異が拡がりずらい環境であれば変異の少ない株種への収斂が進み 変異が拡がりやすい環境であれば変異しやすい株種への収斂が進むのである

ヒトコロナウイルスが変異しずらいように「進化」したのは かつてヒトという種の生物の生息数が限られた環境において 宿主という生息環境を死滅させなかった株種への収斂進化の結果である

変異しやすいかどうかは生息環境に依存し 株種などの個体には選択可能性は存在せず ヒトコロナウイルスは現在のようにヒトという種の生物が大量繁殖していても かつての生息環境の影響によって変異しづらく進化したために 新型コロナウイルスのようには変異が起きないのである

水が流れやすい方に流れるのと同様に 遺伝的進化も「拡がりやすい」種へと淘汰収斂が進むだけであり あくまで生息環境に依存して決定するだけであって 進化の方向性を「選ぶ」ことはできない

生存や繁殖にとって適した進化が起きるのは当たり前の話であり 生存や繁殖にとって適さない変異の全ては淘汰死滅し収斂した結果を「遺伝的進化」と呼ぶのである

結果的に生きているものを「生物」と分類しているのであって 死んだ絶滅種の全ては現状「生物」としては分類されていないし 存在の確認されていない種は分類のしようもない どれだけの絶滅種が存在していたのかは極めて断片的にしか見ることはできず 遺伝的進化のプロセスの全容は誰も知らないのである

結果だけを見れば ヒトコロナウイルスはヒトとの共存関係が成立しているが 共存調和が成立するまでの過程でどれだけの莫大な「犠牲」があったのかは誰も知らない

なにせ遺伝的進化というものは ランダムな変異によってバリエーションが拡大し その中から偶発的に生存や繁殖にとって有利な変異種が結果的に生き残った結果以上のアルゴリズムは存在せず 進化に「失敗」して絶滅した種がどれだけ存在していたのかは推測することしかできない

遺伝子変異 現状の生物というのはゲノム変異パターンからみればごく限られた変異種だけへの収斂進化が起きているのであって 中間種が極めて少なく これはゲノム変異の大部分は絶滅している証拠である

構造原理的に自らの遺伝子やゲノムを都合よく書き換えることなど不可能であり 後天的に合目的的に遺伝的進化を「選ぶ」ことなど不可能である

にも関わらず総合大学院大学学長の長谷川眞理子は「目的の為に進化を選んだのよ」などという非科学的で論理整合性のない「説明」を繰り返し 生物学の教科書には当たり前のように「○○のために進化を選んだ」と書かれており 科学的論理整合性を著しく欠いた誤謬であり 誤謬を誤謬として認めていない時点で「嘘」であり「デマ」であり「ペテン」である

 

どんなに「国語」を勉強しても 主観的感想だの印象だのしか取り扱わない「国語」という教科は論理客観性を育むことにはならず むしろ主観的感想や印象ばかりが優先されることによって むしろ論理客観性は働かないバカが増えるだけである

文芸文学が好きで 論理思考を必要とするミステリー小説をどんなに大量に読んでいても デマや嘘に騙されないようになる統計的証拠はない

そもそも養老孟司の主張が論理整合性も根拠や証拠もない養老の「勝手なでっち上げ」に過ぎないことに大多数の衆愚マスコミは気づかないバカであり 主観的安心満足によって「自分の頭は良くなった」と倒錯しているデクノボウによって養老は未だに東大名誉教授という学術権威の肩書を維持し続けているのである

かつてヒトは錬金術を科学だと倒錯し 天動説を鵜呑みにし イマヌエル:カントの「純粋理性批判」を未だに「近代哲学の最高峰」だと倒錯しているのであり こうしたバカの倒錯というのは何ら珍しいことでも何でもないのである

ヒトという種の生物に見られる普遍的な認知上の重大な欠陥によって バカは自らの頭の悪さを自覚しようとはしないのである

 

 


Ende;

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« バカが考える形式 | トップ | 社会的責任 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

意識論関連」カテゴリの最新記事