遺伝的進化のプロセスを科学や哲学の進歩のプロセスになぞらえるバカがいるが
遺伝的進化というものは あくまでその場限りの生息環境への適応という結果しかもたらさないものであって 進化の全てが成功する保証が何もなく むしろ多数が失敗する大絶滅も引き起こす自然現象に過ぎない
それに対して科学や哲学における進歩というものは 論理的根拠に基づいた一貫性を持った「真理(本当のこと)」を追求するものであり 決して「特定環境への適応」のような「その場限りなもの」ではない
遺伝的進化なら 特定環境にさえ適応していれば「生物」であり 現存生物として存続してさえいれば「成功」だが 科学や哲学における真理というものは「進化の袋小路」のような「失敗」を切り捨てる論理客観性に基づいた一貫した強い淘汰圧力が必要なものである
科学や哲学には「目的」が存在しているが 遺伝的進化には「目的」がない これが根本的な違いであり アナロジー(類似)を適用するのは大間違いである
遺伝的進化というものは環境に左右されるものであるが 科学や哲学における進歩というものは社会環境に左右されてはならないものであり 流行や衆愚人気でフラフラ流されておいて良いものではない
自然環境下においては暴力による環境資源の奪い合い生存競争でしか淘汰圧力が働かず これは動物の行動習性的な「社会性(統率的協調性)」が有利に働くことになり 多数こそが「成功」に適することになる
しかし 科学や哲学は衆愚の多数決ではない
あくまで論理客観的な根拠に基づき 一貫性を持った「人間としての目的意識」に則った判断選択(淘汰圧力)が必要不可欠である
その「意識」の本質を 先天的本能に由来する主観的感情気分だと錯覚しているから 論理客観的根拠に基づいた真理真実を見誤ることになるのである
衆愚は学術権威の主張に対して 自発的に論理検証をせずに唯々諾々と鵜呑みにするだけである
何も「考え」ていないバカの群れの多数決だからこそ 民主主義は「バカ主義」に陥り 実証不能の謎の観念を振り回し他人に多大な迷惑をかけることに歯止めがかからないのである
中野信子は 金儲けや衆愚人気を得られて世間的に成功することを「頭が良い」と形容しているが これには論理客観的根拠が全くなく 単なる衆愚観念に基づいた衆愚迎合にしかなっていない
衆愚は人間としての価値を世間的成功だと勝手に勘違いし 世間的に成功さえしていれば「人間として優秀」だとみなし 世間的に成功するための方法論ばかりを求めたがり 本質的な「人間性」なんぞには何の興味も示すことはない
そもそも人間性の根源としての「自律的な社会的責任判断選択」というものは 必ずしも世間的成功に結びつく保証はなく むしろ世間的には不利に陥る可能性も充分にある
ナチス政権下で多数の衆愚がナチスに傾倒している環境下では ナチスに反対することはリスクしかない
天動説が蔓延している環境下では 地動説は火炙りである
フリードリヒ:ニーチェは衆愚人気があるが セーレン:キェルケゴールには人気はない
現状の哲学界というものは 主観的気分に過ぎぬ「悩み」を解消するためにニーチェの「迷言」を勝手に都合よく解釈して安心満足するために利用しているだけであって 何一つ論理客観的に「考え」てなどいない衆愚迎合でしかなく 哲学としての社会的役割や責任を全く果たしていない
哲学というものは純粋に「考え」ることであって 「考え」とは論理客観的検証のことであって 主観的安心満足で「悩み」を解消することではない
「哲学は役に立たなくても良い」とは言われるが 結論が明らかではないことは「わからない」と判断保留することは哲学だが 明らかに結論が明確であるにも関わらず間違った話を鵜呑みにして盲目的に信頼して満足することは哲学ではない
ニーチェは「信念は真理の最大の敵だ」と主張したが これに対してい衆愚は「テロリストの信念」だけを信念であるかのように都合よく解釈し 信念に論理客観的根拠が伴うかどうかは「考え」もせず ただ主観的に安心満足できる「信じたい話」ばかりを信じようとするからこそ 論理客観的根拠に基づいた真実を見失うことに陥るのである
科学や哲学における論理客観的根拠を伴う真実は 多数決で決まるものではない
多数でありさえすれば「正常」であることの論証には全くならない
カール:ライムンド:ポパーの言う「白いスワン」の喩えのように 「ヒトという種の生物における多数」が短絡的に「人間として正常な判断」であることの論証には全くならない
ヒトは歴史上幾度も多数が持つ力の大きさだけで真実を捻じ曲げてきた
多数は主観的に安心満足で 強い力も発揮できるからである
過酷な自然環境下における生存競争においては こうした多数による力の大きさは有利に働いたが それも所詮は「結果」であって「目的」の論証には全くならない
現代社会におけるヒト同士での生存競争は貧富格差ばかりを助長し 本来分け合えば充分に足りるものを無駄に富の偏りばかりを生み出してきたのである
ヒトは遺伝子レベルで競い合う習性があり テレビゲームでもスポーツゲームでも優劣を競う方が衆愚人気は集まるものである
世間的成功は人間としての価値基準にはならない
にも関わらず 衆愚は世間的成功者(勝者)を短絡的に人間としての価値であるかのように崇拝し また自らも望むのである
中野信子の「頭が良い」とみなす基準は全て世間的成功者であり 論理客観的な人間としての価値の論拠が何もない
何が本当に「頭が良い」のかを見極め区別できない衆愚人気は 人間としての知能の論拠には全くならないのである
しかし 論理的根拠の示されていない話であっても ヒトは主観的に安心満足できる気分が良くなる「信じたい話」ばかりを信じようとするものである
だからヒトはバカが治らない
Ende;