書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

正義

2020年03月31日 20時21分30秒 | 意識論関連
もし野依良治の言うように 主観が大切であるとするならば

主観的に怖くないなら感染症対策はしなくて良いという話になってしまう



主観というのはヒトそれぞれであって 無責任な奴とそうでない者とでは主観は全く異なる

「責任感」が強いからといって 本当に社会的責任を負うかと言えば 必ずしもそうではなく

ヘイトスピーチに邁進しているバカであっても「社会正義」だと勝手に妄想し

地下鉄毒ガステロをやらかした連中も「人類の救済」だと思いこんでいた

主観的な「正義感」というものは むしろ社会的に無責任で迷惑な行動の原動力になってしまうこともしばしばである

本当の意味における社会的責任というのは 主観的感覚ではなく あくまで論理客観的検証性という人間としての意識が働いているかどうかにかかっているのである

野依良治自身が身勝手な「正義」を貫こうとするのであれば それは洗脳でしかないのである



他人の善行をのべつまくなし偽善だと言い張る奴が時折いるが

それは自分が善行を自律的にやりたくないことを正当化するためである

もし 自分だけが善行を選択することが出来ないとなれば 自分だけが自律のない「人間として出来損ない」であることを認めなければならなくなり それが嫌で 認知的不協和を解消する形で「他人の善行の全てはウケ狙いの偽善である」ことにしておかなければならない



他人の善行を「偽善だ」と認識可能な時点で 何が善行で何が悪行なのかは「知って」おり 認識可能なのである

「知って」いながら選択実行出来ない不自由さ 無能さを認めたくないが故に 何でもかんでも「偽善」にしておかなければならないのである

ニヒリズム(虚無主義)というのは 自己の自律的判断能力の欠如を意識から外して「なかったこと」にしておくための逃避に過ぎない



他人の子供が元気に育つことを望めないのであれば それは自分が子供を授かった際には 誰も自分の子供が元気に育つことを望んでいない社会であることを認めなければならない

ペンギンは他人の子供は育てないばかりか むしろ攻撃する先天的本能習性がある

ヒトという種の生物も 自分が所属する集団に対しての忠誠忠実は望むが 他の集団に対しては排除差別する先天的習性がある

差別や暴力といった非人間的行動の根源というのは ヒトの先天的本能習性に起因するものであって 主観的に嫌いな相手に対して非合理な難癖をでっちあげて差別や暴力を振るうのである



主観的に恐怖を感じなければ 個人が感染症対策を行うことはない

これは温室効果ガス削減においても同じで 「どうせ自分だけが努力しても無駄」という虚無主義的逃避に簡単に陥るのが ヒトという種の生物の残念な習性である

ヒトという種の生物は先天的には人間性を発揮する保証はなく

ヒトが人間性を発揮するかどうかは自律的な論理検証性という「人間としての意識」が働くかどうかに拠るものである

主観的な趣味がお下劣でも構わない サバゲーが大好きだからといっても本当の殺し合いが好きとも限らないし

ロリコン趣味でも現実の子供達には親御さんとの生活があることに配慮ができれば人間性に問題はない

主観的に「気持ち悪い」と思ったからと言って ヲタ差別をしても それは根拠のない身勝手な正義感に過ぎないのである



Ende;
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