書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○本村凌二。

2019年04月19日 14時50分56秒 | 意識論関連
本村凌二は「政治家が原稿を棒読みするよりも 自分の言葉で話した方が信頼出来る」などと述べていたが

アドルフ:ヒトラーが感情的に演説することで人気を得たからといって「信頼して良い理由」にはならん

「信頼したい」かどうかは主観的感覚に過ぎず 多数大衆からの人気を得たからといって人間としての価値の論証には一切ならない

こういう考えの浅い薄っぺらなバカが未だに早稲田で歴史を教えているらしい

これもまた哲学界の怠慢による弊害である



本村 凌二は、日本の歴史学者。専門は古代ローマの社会史。東京大学名誉教授。サントリー学芸賞、地中海学会賞、JRA賞馬事文化賞受賞。 生年月日: 1947年5月1日 -Wikipedia

文化功労賞やピュリッツア賞同様に 文科系大衆観念に基づいた評価というのは学術的には意味がないことを認識すべきである

 ◇

歴史家の多くは武力を用いた支配地域の面積や人口を根拠に支配者の評価をしており

故に歴史から社会安全性についての知見や歴史上の失敗に対する「教訓」が全然出てこないのである

あらゆる学問は 社会安全性を目的とした分析をしなければならない そうでなければ公金を用いる価値などないからである

世間的にどんなに成功しようとも 人気が得られようとも それが人間性の根拠には一切ならない

しかし ヒトの多くは目先の利己的成功ばかりを求め 最も優先されるべき安全性についての配慮を簡単に見失うようになる

こうした一種の「錯覚」によって 歴史分析もまた無責任な世間的成功ばかりを基準に「偉人」などと形容し 戦国武将のような暴力支配者までをももてはやすことにより 「歴史的犯罪」などという身勝手な観念を醸成してしまう原因ともなっているのである

戦国時代というのは 今で言えばアフガニスタンの軍閥による支配競争状態のようなものであり 時代の価値観自体が社会安全性を欠いた政情不安を招く「失敗」状態なのである

単に支配面積や支配人口といった規模だけを根拠に歴史上の支配者を「偉人」扱いすることは 支配者個人の人格を一切考慮に入れておらず 何ら社会安全性についての論理的「教訓」が全く出てこない原因であり 歴史研究という分野が実質的に社会安全に役に立たたない税金の無駄遣いにしかなっていない

これは学問としては痴呆状態である

 ◇

欲得づくの世間的成功を あたかも人間としての価値の絶対基準として扱うのは 生徒から自律を失わせ社会安全性を著しく害する危険な思想である

本当の人間性に基づいた行動選択というものは 必ずしも世間的成功を伴う保証はなく 場合によっては逆に大損害を被ることも決して珍しいものではない

公益性に基づいた内部告発においても 裏切り者として差別排除の対象にされることは良くあることである

多数の人心を操り暴力的独裁に成功したからといって人間性の論証にはならない

多数の大衆が主観的に「信じたい」という観念を抱くような行動や言動によって人気を得たとしても それは社会安全性を脅かすことはあっても 向上させる方向には働くことはない

大衆の多くがバカであれば バカが好む指導者に多数人気が集まることになり それが暴走破綻を招いたことは歴史上幾度と繰り返されてきたことである

にも関わらず 「原稿を棒読みするよりも 自分の言葉で感情を込めて演説した方が信頼が得られる」などという観念論は 言っている内容の合理的検証をすっ飛ばした短絡的大衆迎合や意識誘導(洗脳)であり

教育者としてあまりに無責任で適性を著しく欠いている

こうした論理的合理性を欠いた観念こそが あらゆる「人災」への合理的対策を阻害しているのである



Ende;
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