書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

SKDだっけ?。

2012年11月01日 16時15分40秒 | 日記
○芹那。

 芹那ちゃんを肝試し企画で怖がらせると、物凄い怖がってくれるので「面白い」のだが。イモトアヤコの蛇ロケ同様虐待性があるので止めた方が良いと思う。

 オヤヂ的には美人さんが怯える顔はセクシーで萌えるのだが、当人の精神に影響を及ぼさないかと心配にもなる。

 芹那ちゃんの親御さんからしたら、多数の視聴者が「面白い」と思うことで娘さんが犠牲になることは望んでいないと思う。

 多数からのウケ狙いでPTSDにでもなったら、誰が責任取るんでしょうね。そんなの悪質な少女ポルノDVD会社と同じでタレントの使い棄てでしょうが。

 「面白い」なんていう多数大衆の気分的満足のために個人を犠牲にしておいて、子供のイジメがなくなるわけがないんですけどね。マスコミっていうのは多数派迎合による金儲けばかりに意識を奪われていて、報道機関の社会的要請というものを簡単に放棄する性質傾向がある。

 「バラエティー番組だから、編集権は検証範囲外。」などと言う言い逃れが通用すると思っているのかね。そんなの暴力団の「シッポ切り」と同じじゃん。汚いわー。

 肝試し企画というのも、心療内科の医師によるドクターストップも必要だと思う。せめて西川史子もブッキングしておくとか、何か対策しとけよ。



 時折繰り返されるバラエティー番組での事故も、金儲けという視聴率優先主義の弊害であり。事故に至るまでのスタッフの心理やヒトの集団が持つ動物習性的な「社会性」についての問題点を検証しないから、視聴率優先の無意識的暴走によって事故が繰り返すのである。スギちゃんの腰椎破裂骨折なんて、下手したら半身不随になってたぞ。



 警察による自白の強要なども、論理科学的検証による原因究明が全く行われないからこそ、何度も同じような冤罪が繰り返すことになるのである。警察というのはそもそも「悪者探し」が仕事であるから、ヒトという種の生物における人間性の欠落構造の解明なんぞ最初から誰もやるつもりはない。法律にさえ適しておけば何をしても許されると思っているから脱法薬物の蔓延を許しているのであり、法律という機械的手続きだけやっていれば世の中が良くなると思ったら大間違いである。それは「地下鉄に毒ガスを撒き散らせば人類の救済だ。」と勘違いしているカルト信者と全く同じ盲目性なのである。

 世間的には悪者を規定して辞職なりさせておけば「責任を取った」ことになるのであろうが、こうした外見上の処理だけで済ましているから根源的問題が放置されることになるのである。

 法律という機械的手続きを盲信しておくというのは、「これさえやっときゃ、全ては解決する。」という勝手な思い込みによる気分的安心満足に過ぎない。法律というのは所詮ヒトが作った規則に過ぎず、法秩序というのは道具や手段でこそあれ、目的ではないことを忘れてはいけません。ヒトというのは簡単に手段を目的だと勘違いする習性があるので、意識的に修正し続ける必要性があるのだ。



 自分が所属する組織の利益を優先し、社会の安全性を蔑ろにするという「ヒト」の普遍的行動習性や思考バイアスを認識しなければ。社会安全性も持続可能性も確立出来ないのは当たり前体操である。

 いつまで踊っていれば気が済むのであろうか。まぁ中毒患者のようなものであるから死ぬまでやり続けるんだろうな。

 そういう状態を「サルの状態。」って言うんじゃないかね。



 芹那ちゃんの精神状態を気遣う人は多分テレビ局にも所属事務所にもいないのかも知れない。それならイジメ虐待と全く同じ構造だからね。

 視聴率を稼ぐだけなら、女子中学生にビキニ着せてローションレスリングでもやらせとけばきっと高い数字が採れるでしょうよ。秋葉原にはそういうDVDが大量に売られているようだし。

 視聴率の高さというものが短絡的に「社会的要請」になるわけではないんですよ。単なる無思考な大衆による、その場限りの流行に基づいた多数決が「コンセンサス」にならないのと同じです。

 お願いですから、少しは自分の頭で「考え」て下さいよ。いくら固定観念的「思い込み。」を正当化するための取り繕いをしても、それは「考え」ではないことを認識してください。

 それは気分的な安心満足に意識を奪われないようにすることであり、気分的には安心も満足も納得も出来ないものなんですよ。だって自分自身の頭の悪さを自分で認識するってことですからね。

 本質的意識とは何かを認識するためには、無意識である感情や気分、固定観念の全てを論理検証的に排除することであって。決して気分的な安心満足を与えるような安易な大衆迎合とは無縁なものなのです。でもそれを人類はいままで全く行ってこなかったからこそ、原発暴走のような重大事象も許してしまったのです。

 ヒトという種の生物における根源問題点を認識しなければ、何度でも「人災」は繰り返されることになる。それを一体誰が望んでいると言うのであろう。



Ende;
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