書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

苫米地教

2022年09月06日 09時49分38秒 | 意識論関連

苫米地英人は「恐怖で支配するのは危険」と言っていたが これは嘘である

「楽しいなら安全」と同義になるのだが 麻原彰晃にせよ赤堀ナントカにせよ 最初は「話が楽しい」から洗脳は始まるからである

最初に「楽しい」気分にさせて脳を酔わせ 観念的な信頼関係を作り出すことによって嘘やデマでも信じ込むよう誘導するのが洗脳の手口であって

「楽しいなら安全」というのは大嘘である

洗脳の最も根源にあるのは ヒトが主観(気分)的に安心して盲目的信頼をすることで客観的論理検証性が働かなくなる先天的性質にあるのであり

「怖い」とか「楽しい」とか「安心」といった情動だけで物事を判断してしまうからこそ自己客観性や論理検証性を簡単に喪失してしまうのである

イマヌエル:カントやマルクス:ガブリエルは「恐怖で支配はしていないから安全」という話にはならない

そもそも嘘やデマを真実と区別できないように誘導されているからこそ 本当の危険性を認識できなくなっていることが根源的な問題なのであって 主観的に「楽しい」とか「面白い」とか「安心」だから安全などというバカみたいな話を何の検証もせずに鵜呑みにしている時点で「頭が悪い」のである

マルクス:ガブリエルや苫米地英人の場合 相手を信頼させて金儲けに利用しているのであって これは合法的な詐欺に過ぎない

苫米地英人は中途半端に「賢い」ために 「信者」達が破綻に陥らないように洗脳して金儲けに利用しているので かりそめの持続可能性はあるとしても 社会全体における持続可能性に対しては害をもたらす危険性がある

苫米地は口先だけは「持続可能性」や「公平性」を目的にしていると主張しているが 本当は利己的金儲けが目的であって だから講演だの著作の宣伝ばかりに邁進しているのであり 自分にとって都合の悪いアイヒマン実験については全く取り上げようとしないのである

かつてのナチス政権においても ヒトラーの演説は聴衆を酔わせ 楽しい気分にさせることで盲目的信頼を得ているのであって 一旦盲目的信頼をするとヒトは「既に信頼している自分」を事後正当化する(認知的不協和を解消する)形で盲目性を発揮するようになるのである

嘘やデマと真実を見分けるために必要なのは主観的気分ではなく あくまで論理客観的根拠や証拠に基づいた自律的な検証である

「楽しいなら安全」などという話が本当なのかデマなのかを考えずに鵜呑みにしている頭の悪さこそが あらゆる洗脳の根源であって ちょっと考えれば論理整合性が欠如していることは本当は誰でもわかるはずである

しかし ヒトという種の生物は先天的に誰かを盲目的に信頼し 疑わずに「尊敬」しておくとこで安心満足する習性(統率的協調的社会性)があるため どうしても自分の頭で相手の話を論理検証することをせず 観念的なレッテル貼りなどのデマであっても 「自分が信頼している相手」の主張であれば簡単に鵜呑みにしてしまうという先天的な認知的欠陥が存在しているのである

ロシア人の多くがプーチンを信頼するのも 先天的な統率的協調的社会性によって 自分達が属する集団のトップを尊敬し盲目的に信頼することで安心満足するという主観的情動が優先しているからである

かつて太平洋戦争においても 日本人の多くが戦争に同調したのであり まるで「軍隊が勝手に暴走した」かのようなプロパガンダをNHKはしたがるが これは大衆迎合的な嘘であって 日露戦争での勝利に酔いしれ 浮かれて暴走したのは日本国民の多数決(民主主義)なのであり ナチスの勃興も同じである

正義を振りかざして暴力を振るうと大衆は満足する

韓国政府による日本バッシングも大衆迎合が目的であって かつて日本も朝鮮半島の人民を蔑んで利用することで あたかも「日本人の方が優れている」かのような錯覚を利用して侵略戦争を正当化させたのである

ことほど左様に 民族国籍に依らずヒトは自分達が属する集団のトップ(権威)を無条件に尊敬し 盲目的に信頼することで非合理な暴力行為に暴走するのであり 洗脳を「金儲けに利用しているだけだから安全」という話にはならない

ヒトという種の生物は 先天的には「権威」の主張を盲目的に鵜呑みにし 尊敬して疑わないようにしておいた方が安心していられる

これは かつて祖先がヒト同士の集団的環境資源の奪い合い競争において 存続に有利な先天的習性が進化的に「拡がった」という結果であって 決して「人間としての合理的目的」に基づいた進化が働いたわけではない

「ヒトはかつてはヒトですらなかった」という論理客観的事実を理解し 「欲望(情動)そのものを欲することはできない」ことに基づいて 主観的情動に流されることなくあらゆる話を論理客観的に検証し判断するという人間としての知性が必要不可欠なのである

進化生物学上の著しい誤謬や 哲学界における根拠のないデマが学術界を占めているという客観的事実は 主観的に恐怖を覚えるものなのであろうが 論理客観的に反証がない以上は嘘や間違いであることの証明にはならない

「恐怖だから危険」などという根拠のないデマを鵜呑みにしている時点で先天的な頭の悪さを存分に発揮していることを自覚すべきである

「怖い」かどうかは主観であり オウム真理教の信者にとって苫米地は恐怖なのであり 苫米地教の信者にとって私は恐怖なのである

 

 

Ende;

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