好成績なプロ棋士は 盤面を見るだけで直感的に次の一手の良し悪しが区別できるという
直感が働いている時に活動が活発化するのが大脳基底核だと言われてるのだが 大脳基底核というのは感情ともつながりがあるので プロ棋士が指し手を選ぶ時にも 悪い手だと何となく「嫌な感じ」がしたり 良い手だと何となく「気分が良い」と感じるという
そして 棋士自身は「なぜ その指し手が有効なのか」は説明がつかないという
これはニューラルネットワーク型人工知能を用いたディープラーニングによる指し手の良し悪しを判断するのと同じものであり
人工知能もまた理論的説明はできない
「良い指し手である確率が何%」といった結果的スコアだけで判定しているだけであって 要はヒトの脳における「何となく嫌」みたいなものと同じバイアス(偏り)に過ぎない
アメリカの一部の州で導入された犯罪予測AIは ある人が犯罪に関わるかどうかを予測できて 的中率は高いというのだが それが加害者なのか被害者なのかはわからないという理不尽なものである
Microsoft社のTwitterAIは SNS上の数多くのヘイトスピーチを「学習」する形でヘイトスピーチに便乗し始め 強制的に停止させる事態に陥った
とある企業では採用にAIを用いた場合に 過去の採用データから「学習」させた結果 その会社では女性の採用率が低かったことから 「女性である」というだけで採用スコアを低く見積もっていたことが発覚し AIによる採用判定を急遽取りやめたという
老練なプロ棋士の直感は 将棋の勝ち負けにおいては確かに有用性があるものの
それはあくまで「将棋の勝ち負け」において有用なだけであって 将棋で勝てるからといって 他に何かの応用性が伴う発見や発明が出来るわけでもない
しかも 直感的に指し手の良し悪しが「感じ」られる程の直感力というものは 常人には真似の出来ない特殊能力であって 凡人の直感までもが有用であることの論拠には全くならない
衆愚の大半は読書猿の言っている内容に論理的欠陥があることにも気づくことは出来ずに 気分的な安心満足感に溺れて何の疑いも持たずに鵜呑みにするだけのバカに過ぎない
衆愚の直感なんぞ 糞の役にも立たないばかりか デマや嘘でも鵜呑みにして満足し 迷惑な行為でも平気でやらかす原因でもある
何をもって「正解データ」とするかによって 直感は大きく変わるものである
虐待されて育った人は 虐待が「常識」となり 自分の子供にまで虐待を平気でするようにもなる
幼少期から学歴競争にさらされてきた人であれば 学歴マウントなどという幼稚な序列基準による差別に異常な執着をするようにもなる
酷い場合には慶應の「塾員」が東大大学院出身者をイジメたりするという
バカという他ない
何の問題意識も働いていないのである
普通一般の人は 権威と見なした相手の主張や指示を疑うことはない
なぜなら 「そういうもの」であると「常識」として刷り込み学習されているからであり 権威の主張や指示に対して盲目的に信頼しようとする情動バイアス(偏り)によって ヒトは自分で物事を考えようとはしなくなる
考えない奴のことを「バカ」という
スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験では 普通一般の被験者達の多くが権威の命令に従い他人に危害を加えることを科学的に立証している
普通一般のヒトの直感というのは ナチス政権下であれば大半がナチスに迎合し プーチン政権下であれば大半がプーチンを盲信する
日大の田中英寿理事体制であれば 日大職員の大半が同調迎合忖度服従して腐敗体制の温存に加担する
東京電力福島第一原子力発電所であれば 原発の津波に対する脆弱性を指摘せず 組織の利益を優先して個人が自律的な社会的責任を負わない方が 社内では安穏と暮らすことが出来たため 何の批判精神もないバカだけへと淘汰圧力が働き 無責任な組織腐敗を招いたのである
利己的損得勘定においては こうした直感は有用性があると言えるだろうが 人間としては糞である
組織に迎合しておいた方が「環境適応」にはなるかも知れないが それは「繁殖の継続」においての有用性に過ぎず 人間としての価値にはならない
利己的な糞野郎が子供を育てれば 糞野郎の遺伝子が拡がることにしかならない
脳科学研究者共の大半は 将棋棋士の世間的成功を根拠に直感こそが常に正しい判断を導く万能なものであるかのように主張しているが 将棋棋士が世間的に金儲けに成功していても それ以外に何かの役に立つわけでもなければ 人間としての優秀さの論証にもならない
「将棋で儲けて世間的に成功したから 直感は万能だ」という話は 論理の飛躍も甚だしく 到底科学的論証とは言えない
衆愚観念上では 世間的成功や金儲けは人間としての優秀さの基準として扱われるのかも知れないが それはあまりに短絡的で幼稚な基準である
詐欺の電話を鵜呑みにし 「いや 自分は絶対に騙されてなどいない」と頑なに自己過信に陥ってしまったり
カルト宗教を信じ込んで地下鉄に毒ガステロをすることを「人類の救済」だと信じて疑わなかったりするようになるのは 主観的感情によるバイアス(偏り)によるものであり
彼らにとっては嘘の方が気分的に安心満足感が得られるような「学習」をしてしまっているため 直感的には嘘こそが真実だと錯覚していることに気づかなくなるのである
もう一度言っておこう
何をもって「正解データ」とするかによって 直感は大きく変わるものである
何をどう「学習」したのかによって バカげた嘘に安心するようにもなれば 多くの嘘を見抜けるようにもなる
嘘やデマや間違いなのか それとも論理客観的根拠に基づいた真実なのか それを区別するのは論理客観性の方である
断じて「直感」などではない
本当は何も自分では考えたこともなく ただ漫然と知識の「量」だけを知能だと勘違い錯覚しているのも それが凡人にとっては直感的には「正しい」と思い込んでいるからである
進化生物学における「典型的な間違い」も チャールズ:ダーウィンによる遺伝的進化の仕組みを説明されて理解して「知って」いたとしても その内容に間違いがあるかどうかまでは誰も考えなかったために 100年以上もの間従兄弟のフランシス:ゴルトンの優生学との間の論理的齟齬には誰も言及できなかったのである
しかも 「知って」いながら従来の生物学における説明の何が間違っているのかには未だに誰も指摘できていないのである
もうバカとしか言いようがない
従来の学校教育では 教えたことを教えた通りに答えれば成績になるため 学力成績という抽象化された「脳への報酬」だけが価値になってしまい 教えられた内容に間違いがあるかどうかは誰も考えないように「学習」されてしまっているのである
教師などの権威の言っていることに間違いや嘘が混入している可能性には意識が働かないように「学習」させられてしまっているからである
「脳への報酬」だけが目的になってしまえば もはや主観的気分が良くなる「信じたい話」以外には一切耳を貸さなくなる
そうなれば自己客観性も働かなくなり 論理的に検証することもしなくなるのである
当然真偽の判定はできなくなるから 東大医学部に入学できる程に学力偏差値が高くてもバカげた話を鵜呑みにするようになる
バカの直感というものは バカげた教育によって作り出されるのである
Ende;