「“イヌ” ヒトの心を照らす存在」
人間という不思議な存在を問い続ける「探求の旅」シリーズ。今回は、人類との絆を深めた長年のパートナー「イヌ」。数万年前からヒトと共に生きることを選んだその訳とは?
ヒトにとって「イヌ」は長年のパートナーだ。オオカミから分化したイヌは、ヒトと共に暮らした数万年の中で、お互いに「共進化」する関係だったという。イヌの脳は、ヒトの“言葉”を理解できるようになり、イヌの表情筋は、ヒトに“感情”を感じさせるようになった。そしてイヌとヒトが共に持つホルモンは、家族の様な“絆”を作り出すまでになってきた。イヌとヒトという異なる種の共存関係から生まれた進化の意味を妄想する。
NHK「ヒューマニエンスQ」番組予告
「ヒトと共に生きることを選んだ」というが イヌが意図目的に基づいて先天的本能習性を選ぶことなど出来ない
ヒトとの共存に適した個体種への収斂進化(品種改良)の結果として共生関係に至ったのであって ヒトに都合の悪い個体の遺伝子を排除した結果である
スピッツが当初吠え癖が酷くて不評となったが その後の品種改良として吠え癖の強い個体を断種し 吠えないスピッツだけを交配することによって スピッツは無駄吠えをしずらいように品種改良したのである
「絆」といった情動的共感性というものを イヌに感じたとしても 「感じ」ている時点でそれは主観であって 論理客観的にイヌが常にヒトにとって都合良く行動選択をする証拠にはならない
アニマルセラピーなどにおいて イヌに安心感を抱くことはあるとしても カルト宗教の信者が教祖に安心感を抱いたり ロシア人がプーチン政権に安心感を抱いたり ナチス政権下のドイツにおいてドイツ人がヒトラーに安心感を抱くことと同じであって 主観的に安心なら安全性の論拠になるわけではない
「進化の意味を妄想する」などと言っているが 「進化の意味」など存在しないし 「妄想」だと言張れば論理的根拠のない話でも垂れ流して良い理由にもならない
遺伝的進化は全て「結果」であって 「進化の意味」などというのは根拠のないこじつけに過ぎず 科学的には何も論証されない
ヒトの生活習慣病が進化の過程において 過去の生息環境の影響によるものであるという「結果に対する理由」の説明はできても その「結果に対して意味をこじつける」ことは科学ではない
「オノレはカブトムシと一緒で先天的本能習性には逆らえないんだ」と言っているのと同じで 本能習性などの遺伝的進化の結果に対して無理矢理「意味」をこじつけるのは科学を逸脱した身勝手な「妄想」の範疇である
身勝手な「妄想」を大多数の衆愚が主観的に面白がって視聴率が稼げたとしても 科学的事実を逸脱しておりNHKの「業績」としては不適切である
養老孟司による「脳化社会」云々の屁理屈が 衆愚にどんなに人気を集めようとも 養老孟司の言っている内容の論理客観的正当性の論拠にはならないのと同じである
出版各社は養老の著作で金儲けに成功しているため 今更養老がオカルトだとは言いたくないだけであって 組織の利益を優先し個人が自律的な社会的責任を負わないことによって 真実は黙殺されるのである
イヌとヒトには共通する情動があり 順位序列による差別や統率的協調性の素となるホルモン(オキシトシン)が絆のようなものを主観的に「感じ」させる仕組みが脳内に共通して存在しているため ヒトはイヌに対して主観的安心感を抱くようにもなるのである
しかし イヌは所詮イヌであり ヒトがヒトにとって都合のよい訓練や養育をせずに野犬の群れに混ざってしまえば 所詮は野犬にしかならず 統率協調性も獲物を捕らえるために発揮され ヒトを襲うこともある
ヒトであっても幼少期から暴力虐待を受けて育つことによって野獣のような凶暴性を発揮することもあり 軍隊というのはそういったヒトの凶暴性を イヌにも見られる先天的盲目統率服従性を利用して引き出すための集団組織であり 戦争などの糞くだらない行為にも便利に利用することが可能となるのである
イヌは 訓練次第ではヒトに忠誠忠実に服従するようにもなるが イヌが率先してヒトに服従しているわけではなく あくまで訓練ありきの結果的性質であって イヌでありさえすればヒトと共存できるわけではない
ましてや「ヒトと共に生きることを選ぶ」ことなど不可能なのである
遺伝的進化というものを論理的に理解していなければ 遺伝的進化の結果に対してあらゆる都合の良いこじつけが可能となり 科学を逸脱した曲解によって「ヒトには先天的に人間性が組み込まれている(山極寿一)」などという荒唐無稽なデマであっても衆愚人気を集めることは簡単である
優生学に対する論理反証を誰もしてこなかった原因も 遺伝的進化が常に正しい結果以外をもたらさない完全万能なものであるかのような錯覚を持ってしまっているからである
遺伝的進化に対する正しい理解をせず 優生学の何が間違いなのかを認識しないというのは ナチスの何が問題なのかを理解していないのと同じことであり バカであることにおいてナチス政権と同罪なのである
そんなバカがプーチン政権をどんなに批判しても プーチン政権の何が問題なのかを理解していないのであって どんなにウクライナ人に共感共鳴して主観的に満足しても何の問題解決にもつながらないのである
それがどんなに社会的に無責任だとしても 主観的安心満足でさえあれば 誰も問題意識は働かないものである
それは「バカの群れ」としか言いようがない
Ende;