書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

論外

2022年09月06日 15時37分52秒 | 意識論関連

苫米地英人は映画などのフィクションまでもを洗脳の一種だと主張していたが

フィクションと現実の区別ができているなら洗脳ではない

個人的な好き嫌いと社会的正義の区別ができないから差別につながるのであって 映画などのフィクションを個人的好き嫌いが社会的には何の意味も持たないのと同様に 個人的好き嫌いで差別することは間違いであることを理解していないから差別が起こるのである

嘘やデマやフィクションの区別がつかなくなるから洗脳なのであって 映画や小説などによる気分的誘導までもが洗脳に該当するわけではない

映画などのフィクションまでもを洗脳だと主張している時点で苫米地の「嘘」なのである

 

映画や小説などの創作物で気分に影響を及ぼすことはあるが それなら天候によっても気分に影響を及ぼすことと何ら違いはなく それらまで全て「洗脳」だと言い出すのはトンデモない大間違いや「嘘」である

「日本人」という括りを用いて外国籍の人を統率協調的に差別するのは洗脳である

洗脳において 何を「敵」とみなすのかは何でも構わず 「敵」と「味方」に分類して味方身内の内部での統率協調性や仲間意識(無意識なバイアス)によって満足感を得ることで中毒的に差別が起きるのであって

ヒトという種の生物が理不尽な暴力で物事を解決しようとするのは 懲罰報復感情こそが唯一絶対の正義や尊厳であるかのように主観的に「感じ(錯覚)」るからであり これはヒトの先天的な本能習性に由来するものであり 民族国籍に依らずヒト全般に普遍的に見られる習性である

ロシア人の多くだけが倒錯しているのではなく ミャンマーでもパレスチナ(イスラエル)でも倒錯者による暴力の応酬は見られるものであり アメリカによる原爆投下の正当化も倒錯に他ならない

アメリカの場合は一応自由主義ではあるので 倒錯している者もいれば倒錯していない者もいて 反論や異議というものも出てくるのだが ロシアや中国などの専制国家においては反論や異議を暴力的懲罰によって言論統制してしまうことで あたかも反論や異議が最初からなかったかのように隠蔽黙殺されてしまうことが問題なのである

ヒトは暴力的統率者に逆らいたくないものであり 逆らわない自分を正当化する形で暴力的統率者に忖度同調迎合するようになるものなのである

プーチン政権にせよ日本大学田中英寿体制にせよ 腐敗した強権的組織に対してヒトは媚へつらい逆らうことをしなくなる傾向性が非常に強いのである

これは 進化の過程において 暴力者に迎合忖度しておいた方が存続や繁殖において有利に働いた結果として 卑劣な性格が遺伝的に拡がった結果であって 目的が存在しているわけではなく ましてや本能のままに行動しておけば自動的自然に持続可能性や安全性や公平性が担保されるなどというのは大衆観念的倒錯という他ない

遺伝的進化というものは あくまで「拡がりやすい遺伝子」が拡がるだけであって ヒトの女子が強姦された際に抵抗できなくなってしまう性質があるのも かつて祖先がオスから交尾を強要された際に抵抗できなくなる性質を持ったメスの遺伝子の方が拡がりやすかったという「結果」でしかなく そこに目的が存在しているわけではない

交尾を強要される時に抵抗できないメスと 抵抗することができるメスのどちらの遺伝子が拡がりやすかったのかは 生息環境や状況に左右されるものであり ヒトの場合は大勢において抵抗できないメスの方が繁殖に適していた「結果」以上の意味はない

それは オスが交尾をする上においては「便利」ではあろうが オスが交尾をしたがるのは繁殖を目的にしているわけではなく 誰彼構わず後尾をしたがるオスの遺伝子の方が拡がりやすかったという結果でしかなく

それこそ小学生を強姦して殺害するなどという何の合理性もない事件まで起きるものなのである

情動とは 行動を引き起こすバイアス(偏り)に過ぎず 合理性が伴う必要性は何もなく 進化的に拡がりやすい遺伝子はただの「結果」以上の意味は存在しないのである

塩分や脂質や糖質を摂りすぎて「生活習慣病に陥ることを目的」とした本能習性ではなく 単にそれらが乏しい環境下において存続に有利に働いた習性が遺伝的に拡がったに過ぎない

それでは現在の文明社会のように塩分や脂質や糖質が豊かに摂取できる環境下であれば自動的自然に適応的進化が起きるかと言えば それは起きない

遺伝的進化というものは存続において有利な性質を持った個体種以外が全て死滅するという過酷な淘汰圧力環境においてのみ生ずる自然現象であって 大量の死滅なくして遺伝的進化など起きないのである

バカなタレントは「進化で月経の痛みがなくならないのかしら」などと言い出すものだが 月経の痛みが少ない女性以外を断種すれば数世代で「進化(品種改良)」することは可能なのであり いわずものがな人道に反する酷い「政策」が必要となるのである

それに対してバカ生物学者は「進化には数千万年かかる」などという嘘ではぐらかしただけであり 淘汰圧力がかからなければ何億年経っても進化なんぞ生じないのである

シーラカンスやオウムガイのように 数億年単位で進化しない生物が現存しているのも 進化が生じない生息環境下の「結果」である

ましてや現代文明社会のように先天的疾患であっても治療できる環境であれば 変異による先天性疾患が増えることはあっても 進化など生じるわけがないのである

遺伝的進化には「正解」や「目的」などが存在するわけではなく あくまで自然現象の「結果」以上の意味など存在しないのである

絶対的な「ヒト」のゲノムが存在しているわけではなく フリードリヒ:ニーチェが主張するような究極絶対「超人」的「ヒト」への進化過程が存在しているわけではないのである

それは遺伝的進化に対する倒錯した衆愚の妄想に過ぎず ニーチェなんぞを大学で「哲学」として教えている時点で哲学界は無責任極まりないオカルト集団なのである

 

ニーチェを鵜呑みにしたバカ学生共にしてみれば 哲学界全体がオカルトだとは信じたくない「恐怖の論説」であろうが その「常識」こそが根拠のない洗脳状態なのであって 「自分だけは絶対に洗脳されてなどいない」という自己過信が働くからこそ 嘘やデマであっても簡単に鵜呑みにしてしまうようになるのである

 

「天才になりたい」と思うのであれば たとえ利己的利益を目的としているバカだとしても 最低限何が真実で何が嘘やデマなのかを区別できないことには「論外」というものである

 

 


Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハインリッヒの法則を無視して安全性を語る資格はない

2022年09月06日 11時45分57秒 | 意識論関連

怠惰な天才なんて聞いたことがあるだろうか? ないだろう。なぜなら、天才というものは強迫観念に駆られているので、一様に勤勉なものだから。さらに天才は、公には、親からの遺伝(「天分」)よりも、自分自身の努力にはるかに高い価値を置く傾向がある。

 クレイグ・ライト

 ↗出典:天才の子どもが「大抵は天才じゃない」という真実家系や血筋による遺伝だけで人は大成しない

 

 

⇨努力さえすれば天才になれるというものではない

どんなに学力偏差値を上げるために努力してもバカはバカのままである それは都営三田線に毒ガスを撒き散らした東大医学部の学生を見れば明らかである

天才と呼ばれる人たちは 努力を努力だとは「思って」いない

決して「強迫観念に駆られて」などおらず 個人的に好きで楽しいから人並みはずれた外見的「努力」に結びついているに過ぎない

千住真理子がストラディヴァリウスに取り憑かれているのは 別に強迫観念に駆られているわけではなく それが楽しくて仕方ないから中毒になっているのであって 誰かと比較して競争的な強迫観念に駆られているわけではない

他人と比較して「勝ちたい」と思うのは 過酷な生存競争において先天的に組み込まれた本能的なものであって 生育環境における「常識」による価値観が作り出すものであり 主体的選択による「目的」としてのものではなく あくまで環境依存的「結果」としての強迫観念である

既存の学力偏差値基準を鵜呑みにし 学力偏差値競争に勝つことだけに意識を奪われていれば それは既存の学力競争ビジネスのカモにされているに過ぎず どんなに努力しても教えられた以上の何も発見発明することはできず 秀でた能力にもつながらない

そもそも「天才」かどうかの基準そのものが凡人の決めつけであって 遺伝子の研究で有名なメンデルも画家のゴッホも生前は全く評価されなかったのであり 全くアテにはならない

大衆には苫米地英人だの読書猿だのが人気を集めているが 大衆にとって彼らは「天才」なのだろうが それは大衆観念に過ぎない

大衆は自分の頭で物事を論理客観的には検証せず 権威肩書を持った相手が「○○は危険」と主張すれば論理客観的根拠なんぞなくても簡単に鵜呑みにするバカである

ヒトの大半は自分の頭で物事を論理客観的に判断しない習性があり だからこそ洗脳が成立してしまうのであって かつて東大学長(具体的には忘れた)が言ったように「全てを疑え」というのが知性の根源にある

「疑う」とは言っても観念的猜疑心を持つことではなく むしろその主観的猜疑心そのものも疑う自己客観性を持つことも重要となる

「それじゃ一体何を信じればいいの!」などと衆愚は怒り出すことが多いが 信じるに価するかどうかを自分の頭で論理客観的に考えて判断してこその知性というものであって 主観的に「信じる相手がいないから不安」などという話は知性にとってどうでも良い話なのである

「信じる相手がいないと不安」なのはヒトの先天的本能習性であり 欲望に過ぎず 欲望そのものを欲することはできず 欲望そのものはそれだけでは意志でも目的でも何でもなく 単なる遺伝的進化の「結果」に過ぎないのである

社会安全性や持続可能性を基準にしてこその「人間としての目的」だと言えるのであって 安全性にとって最も重要なのは主観的安心満足ではなく 論理客観的根拠に基づいた安全性の確証である

あらゆる「人災」の根源的原因とは 個人が自律的な社会的責任を負わなかったこと(国会原発事故調査委員会報告書)」であって 主観的安心満足こそが論理客観的安全性の検証を放棄させた根源的原因なのである

ヒトは主観的に安心満足すると論理客観的根拠や証拠がなくても安全性と錯覚する

安心満足することで「怖く」なくなるから洗脳なのである

その意味において 苫米地英人が言うように洗脳というのは「そこら中に存在しているもの」である

苫米地はその「数」の大半は有害性がないからと称して傍観放置しようとしているが どの洗脳が有害性を発揮するのかは予測がつかず 「ヒヤリ・ハット」事象を大量に含んでいるからこそ 有害性が重大事象に発展しないように萌芽の時点で丹念に潰してゆく必要がある

危険学や失敗学の観点からは 「一つの大きな事象の陰には無数の小さな事象が隠れている(ハインリッヒの法則)」に基づいて考えるべきであって 苫米地英人のように「大半は有害性がない」などと称して傍観放置するのは安全性の観点からは重大な間違いである

生物学者で元京大学長の山極寿一もまた「ヒトの大半は戦争をしていない」などと称して「戦争はなくなる」などという何の根拠もない主張(嘘)で大衆から人気を集めたのである

ヒトの子供を集団生活させれば勝手にイジメ差別が始まるものであり ヒトという種の生物は先天的に差別や暴力によって統率的協調性を発揮して満足しようとする認知的欠陥が存在しているからこそ ウクライナ侵攻などというバカげた重大事象も引き起こされたのである

SNS上においてもMicrosoft社のTwitterAIがヘイトスピーチを「学習」してしまうほど差別が溢れかえっているのであり ヒトとは差別や暴力によって集団的統率協調性を発揮することが大好きで中毒性が伴う習性が先天的に存在しているのである

それは別に特定のヒトだけが例外なのではなく それを自覚している人なら自分の主観的好き嫌いで他人を評価しないという理性によって抑制しているから差別をしないのである

以前誰かが「自分はレイシスト(差別主義者)だ」と言っていたが ヒトは先天的には差別をするものである

子供が誰彼構わずついていってしまったら危険なのであって 親など信頼に価する相手以外を怖がり差別するのは生物的には正しい行動である

だが 「親」でありさえすれば全面的に信頼に価するとも限らず 洗脳されて餓死させられることもある

子供ならいざ知らず 20歳以上の「大人」であるならば社会的責任として自分の頭で物事を検証判断することは社会的義務である

 

衆愚が「天才」になりたがるのは 世間的評価や報酬という利己的利益が目的であって 社会安全性が目的ではない

別に「天才」としての評価を得られなくても 一人の社会人としての責務とし自律的な社会的責任を負うためには 論理客観的に検証(考える)ことは避けてはならないものである

「学校の勉強は認知的ワクチン」などというデマを信じていれば 何度でも東大医学部の学生レベルの偏差値の高いバカは量産され続けることになるのである

それを「危険性が低いから」と称して読書猿を傍観放置して良いわけがないのである

ヒトという種の生物は 主観的に「面白い話」や「楽しい話」なら簡単に信じ込み 相手を好きになることで安心満足し 疑うことをしなくなる先天的習性がある

だから洗脳が可能なのである

読書猿だの苫米地英人だのマルクス:ガブリエルは 洗脳を利己的金儲けに利用しているから暴走破綻には至らないが 頭の悪い奴が洗脳の手口を会得してしまえば幼児を餓死させたり 都営三田線に毒ガスを撒き散らしたりさせることは むしろ簡単なことなのである

赤堀ナントカや麻原彰晃は 信者からの人気を得ることだけが目的であったために 主観的安心満足が優先することで荒唐無稽なデマによって暴走破綻に陥ったが 洗脳である以上は金儲け目的であろうと 人気取りの暴走であろうと洗脳であることに違いはなく 嘘やデマと真実の区別がつかなければ危険性が存在することに違いはないのである

ハインリッヒの法則を無視しておいて持続可能性も安全性もヘッタクレもあったものではない

あまりにバカが多すぎてどうにもならねぇよ

天才にならなくても良いから まずバカにならないようにしてくれ 優先順位がおかしいだろ 優先順位がおかしい時点でバカなんだよ

 

 


Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

苫米地教

2022年09月06日 09時49分38秒 | 意識論関連

苫米地英人は「恐怖で支配するのは危険」と言っていたが これは嘘である

「楽しいなら安全」と同義になるのだが 麻原彰晃にせよ赤堀ナントカにせよ 最初は「話が楽しい」から洗脳は始まるからである

最初に「楽しい」気分にさせて脳を酔わせ 観念的な信頼関係を作り出すことによって嘘やデマでも信じ込むよう誘導するのが洗脳の手口であって

「楽しいなら安全」というのは大嘘である

洗脳の最も根源にあるのは ヒトが主観(気分)的に安心して盲目的信頼をすることで客観的論理検証性が働かなくなる先天的性質にあるのであり

「怖い」とか「楽しい」とか「安心」といった情動だけで物事を判断してしまうからこそ自己客観性や論理検証性を簡単に喪失してしまうのである

イマヌエル:カントやマルクス:ガブリエルは「恐怖で支配はしていないから安全」という話にはならない

そもそも嘘やデマを真実と区別できないように誘導されているからこそ 本当の危険性を認識できなくなっていることが根源的な問題なのであって 主観的に「楽しい」とか「面白い」とか「安心」だから安全などというバカみたいな話を何の検証もせずに鵜呑みにしている時点で「頭が悪い」のである

マルクス:ガブリエルや苫米地英人の場合 相手を信頼させて金儲けに利用しているのであって これは合法的な詐欺に過ぎない

苫米地英人は中途半端に「賢い」ために 「信者」達が破綻に陥らないように洗脳して金儲けに利用しているので かりそめの持続可能性はあるとしても 社会全体における持続可能性に対しては害をもたらす危険性がある

苫米地は口先だけは「持続可能性」や「公平性」を目的にしていると主張しているが 本当は利己的金儲けが目的であって だから講演だの著作の宣伝ばかりに邁進しているのであり 自分にとって都合の悪いアイヒマン実験については全く取り上げようとしないのである

かつてのナチス政権においても ヒトラーの演説は聴衆を酔わせ 楽しい気分にさせることで盲目的信頼を得ているのであって 一旦盲目的信頼をするとヒトは「既に信頼している自分」を事後正当化する(認知的不協和を解消する)形で盲目性を発揮するようになるのである

嘘やデマと真実を見分けるために必要なのは主観的気分ではなく あくまで論理客観的根拠や証拠に基づいた自律的な検証である

「楽しいなら安全」などという話が本当なのかデマなのかを考えずに鵜呑みにしている頭の悪さこそが あらゆる洗脳の根源であって ちょっと考えれば論理整合性が欠如していることは本当は誰でもわかるはずである

しかし ヒトという種の生物は先天的に誰かを盲目的に信頼し 疑わずに「尊敬」しておくとこで安心満足する習性(統率的協調的社会性)があるため どうしても自分の頭で相手の話を論理検証することをせず 観念的なレッテル貼りなどのデマであっても 「自分が信頼している相手」の主張であれば簡単に鵜呑みにしてしまうという先天的な認知的欠陥が存在しているのである

ロシア人の多くがプーチンを信頼するのも 先天的な統率的協調的社会性によって 自分達が属する集団のトップを尊敬し盲目的に信頼することで安心満足するという主観的情動が優先しているからである

かつて太平洋戦争においても 日本人の多くが戦争に同調したのであり まるで「軍隊が勝手に暴走した」かのようなプロパガンダをNHKはしたがるが これは大衆迎合的な嘘であって 日露戦争での勝利に酔いしれ 浮かれて暴走したのは日本国民の多数決(民主主義)なのであり ナチスの勃興も同じである

正義を振りかざして暴力を振るうと大衆は満足する

韓国政府による日本バッシングも大衆迎合が目的であって かつて日本も朝鮮半島の人民を蔑んで利用することで あたかも「日本人の方が優れている」かのような錯覚を利用して侵略戦争を正当化させたのである

ことほど左様に 民族国籍に依らずヒトは自分達が属する集団のトップ(権威)を無条件に尊敬し 盲目的に信頼することで非合理な暴力行為に暴走するのであり 洗脳を「金儲けに利用しているだけだから安全」という話にはならない

ヒトという種の生物は 先天的には「権威」の主張を盲目的に鵜呑みにし 尊敬して疑わないようにしておいた方が安心していられる

これは かつて祖先がヒト同士の集団的環境資源の奪い合い競争において 存続に有利な先天的習性が進化的に「拡がった」という結果であって 決して「人間としての合理的目的」に基づいた進化が働いたわけではない

「ヒトはかつてはヒトですらなかった」という論理客観的事実を理解し 「欲望(情動)そのものを欲することはできない」ことに基づいて 主観的情動に流されることなくあらゆる話を論理客観的に検証し判断するという人間としての知性が必要不可欠なのである

進化生物学上の著しい誤謬や 哲学界における根拠のないデマが学術界を占めているという客観的事実は 主観的に恐怖を覚えるものなのであろうが 論理客観的に反証がない以上は嘘や間違いであることの証明にはならない

「恐怖だから危険」などという根拠のないデマを鵜呑みにしている時点で先天的な頭の悪さを存分に発揮していることを自覚すべきである

「怖い」かどうかは主観であり オウム真理教の信者にとって苫米地は恐怖なのであり 苫米地教の信者にとって私は恐怖なのである

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミイラ狩り

2022年09月05日 22時08分05秒 | 意識論関連

MXの「バラ色ダンディ」で苫米地英人も言ってたんだが

ヒトという種の生物は情動が理性の働きを抑制してしまう性質があって

これはヒトがヒトにまで進化する過程において先天的情動行動として組み込まれたものであり 大脳辺縁系の働きそのものはサルやワニとさしたる違いはなく 解剖学的にもほとんど一緒なのである

ヒトは 自分が産まれてからずっと「ヒト」であり 親兄弟や先祖も「ヒト」であるため あたかも神代の昔から「ヒト」だったような錯覚を持ってしまい まるで「先天的に人間性が組み込まれている」だの「自分の意識は常に合理的判断ができるはずだ」という過信を持ちがちだが

それこそが「錯覚」というものである

振り込め詐欺に騙されるのも そもそも振り込め詐欺に利用されるのも DV男から離れられないのも 意識が論理客観的判断能力を喪失して主観的感覚としての安心満足や恐怖だけで物事を判断する状態に陥っていることが根源的原因である

ヒトという種の生物は カンブリア大爆発から5億年の進化過程において ほんの数十万年前程度に出現した「新種」に過ぎない

それこそ一年のカレンダーに換算すれば 12月31日大晦日の最後除夜の鐘が鳴り始めるくらいの時間しか「ヒト」としては存在していないのである

しかも 「ヒト」というのは有史以来そのほとんどが戦争や独裁の連続であり たまたま平和な日本に産まれているため あたかも「ヒトというのは平和な存在だ」と倒錯しがちだが ほんの70年程前には原爆まで使う程の殺し合いをしていた生物種である

今でもウクライナやミャンマーやパレスチナでは殺し合いが収まらず アメリカでは9.11のテロの犠牲者に匹敵する程の銃乱射事件の犠牲が後を絶たないのである

苫米地は「恐怖で支配するのは危険」と言っていたが 先天的な認知的欠陥の危険性の主張に対して観念(主観)的恐怖心を抱いて「恐怖で支配しようとしている」などと解釈するのはバカの発想である

私が常日頃主張しているのは 「私の主張を鵜呑みにしろ」と言っているわけではなく 「自分の頭で物事を論理客観的に理解し 自分の頭で考えて判断しろ」と言っているのである

それが主観的に「怖い」かどうかは関係がない話である

危険なのは 論理客観的に物事を思考させないように誘導するために恐怖を利用することであって 主観的に「怖い」かどうかで物事を判断している時点で洗脳状態に他ならない

「怖い(主観的情動)」と「危険(論理客観的危険性)」は同じではないのである

この区別がつかないから「バカ」なのである

 

東大医学部に入学できる程の偏差値があってもオウム真理教を信じ込んでしまうことも

大学生のほぼ全員がイマヌエル:カントの「純粋理性批判」の内容を鵜呑みにしてしまうことも

自分の頭で論理客観的に検証し考えていない頭の悪さに原因があり

「偏差値=知能」という嘘を誰もが盲信しているのも一種の洗脳状態である

別に大学入試の問題というのは知能の本質を測るための認知科学的根拠に基づいて作られているわけでも何でもなく ただ大学で教えるのに教員が楽をするために振り落としているに過ぎないのである

苫米地英人も含めて講義講演や著書で金儲けを目的としている時点で情報隠蔽であって 身銭を切って教えられたことに対して「正しいはずだ」というバイアスがかかるのも一種の洗脳なのである

苫米地は洗脳の「手法」には精通しているものの メカニズム構造やそのプロセスに関してはほとんど何も知見を持っておらず 何も語らない

スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験(通称「アイヒマン実験」)を取り上げてしまえば 学術権威的肩書が無効になってしまうことから 苫米地は取り上げようとはしないのであり これは一種の詐欺(洗脳)である

ヒトには先天的に「権威」と見なした服従対象を盲目的に信頼しておくことで気分的安心満足感を得る習性があり 苫米地のように肩書がズラズラ並んでいれば嘘や詐欺を働かないと信じたいのであろうが 情動的に「信じたい話」ばかりを信じようとしている時点で既に一種の洗脳状態なのである

本当に社会的安全性や持続可能性を「目的」としているのであれば 「著作を買え」だの「講演講義に金を払え」などと言わずにネット上で洗脳の構造やプロセスを無料で公開するべきであり 利己的金儲けを優先して情報隠蔽をしておいて善人ぶっている時点で詐欺洗脳に他ならない

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新金貨物線旅客線化計画

2022年09月02日 11時42分17秒 | 日記

新金貨物線で旅客運輸をするとかいう話があるんだけど

鶴見線で走ってたクモハ12みたいの一輛編成で走らせたらエモくないですかね

床下機器だけVVVFインバーターに魔改造して

音は製造当時の音を合成して

運転手さんも昭和時代の制服着てて

発車ベルも鐘がジリジリ鳴るとか

ちょっとしたアトラクションみたいにしたら観光客にウケそうな気がする

 

 ◇追記:耕道踏切だけでも打鐘式にできぬものか ハイレゾ音はリラックス効果があるというし

機械打鐘式だと手前と奥でタイミングがズレるのよね それが良いんだけど

わかるかな

近隣住民が嫌がるかな

無理だとわかってるけど 厚紙の切符に鋏入れるとか 期間限定でも良いからできぬものか

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする