[あらすじ] お向かいさんは道の草取りをしないよ。
自宅の前は、幅2メートルの砂利道だ。
舗装をしていないので、雑草が生える。
両脇の雑草で、さらに道幅が狭まる。
強い雨が降れば一面の水溜まりになる。
バス停に向かうためにこの道を使う人もいる。
散歩の際に好んで通る人もいる。
が、多くはない。
南北に通るこの道の両側に、3軒ずつの家がある。
しかし、西側の3軒は全て道に対して低い塀の上にフェンスという形で
閉じている。
家の出入り口がこの道に面しているのは、我が家と、南隣の元酒屋さんだけだ。
けれど、お隣さんは他に南側の道にも面している。
この砂利道だけに面しているのは、我が家だけである。
つまり、
どうしてもこの道を使わなきゃならないのは、
私だけなんである。
※
2年前に老母が特別養護老人ホームに入居する前は、
介護生活のため、家の内側のことだけで手一杯だった。
それでもたまに草取りをしたけれど、
砂利道はボーボーで、実際より狭く見えた。
幅2メートルとは到底思えない。
人の踏み跡の分だけ、細く砂利の見える部分が有る、
ってなくらいだった。
その後、心身の余裕ができたので、
草を取り、我が家の庭からはみ出た土を削り、
砂利を均して水溜まりもできにくくし、
幅2メートルを取り戻した。
一旦きれいにしてみると、雑草が気になる。
※
道のこちら側の両隣は、我が家より以前から住んでいる人たちだ。
道の西側の3軒は、数年前に建売りで越して来たお家だ。
こちら側の3軒は、草取りをする習慣が有る。
しかし、向こう側の3軒は、草取りしない。
特に真ん中の家の人は、この道を全く使わない。
家そのものも、道に向かって開いている窓が無い。
いや、その家にも少しの庭が有る。
ある時、庭の部分の塀の上のフェンスだけ、
ちょいと草取りしてあった。
そして、取った草は道端に置いたままであった。
つまり、
家の中から見える範囲だけがきれいにしてあったのだ。
ほほう。
※
草ボーボーで道が荒れているのは、
防犯上よろしくない、と私は思う。
目の行き届いていない証拠になる。
誰も見ない道は、逃走経路として良い。
※
期待しても、草取りをしない人はしない。
気を揉むだけ損である。
私は、道の向こう側の草取りも、した。
けっこうたいへん。
10メートルくらいはあるか。
取った草を向こうの塀沿いに山と積み上げた。
・・・
1週間後、犬の散歩をしようと家を出たら、向かいの奥さんに久しぶりに会うことができた。
「草取りしておいたので、ゴミ出しだけお願いします。」
「ああ、ありがとうございます。普通の、可燃ごみの袋でいいのかしら。」
「無料で持って行ってくれるので、透明の袋で大丈夫ですよ。」
草取りしないのだから、ゴミ出しの仕方も知らないわけだ。
「いや結構ボーボーで歩きにくいくらいになりますからね。」
「まあでも冬になれば枯れちゃうし。」
!!!
ほほう!
なるほど!
冬になるまでほっとけば枯れて無くなるから、いいのか。そうか!
その発想は無かったな!
※
犬の散歩しながら思った。
んなわけあるかい。
ボーボーのままにしておけば、冬も枯草ボーボーになる。
今まで、すっきり無くなっていたのは私が取っていたからだい!
※
これは、毎年謹んで私めが反対側の雑草も取るしかないと
あらためて腹を括った。
※
草を取ることを、連用形を用いて「草取り」と言う。
何かをすることを指す名詞を作るのに、動詞の連用形を使うのだ。
じゃあ、何かをしないことを指す名詞も簡単に作れたら良いな、と私は考えた。
することを表すのが連用形なら、
しないことを表すのは未然形がふさわしい。
というわけで、
草を取らないことを、未然形を用いて「草取ら」と言おうではないか。
我が家のお向かいさんは草取らだ。
自宅の前は、幅2メートルの砂利道だ。
舗装をしていないので、雑草が生える。
両脇の雑草で、さらに道幅が狭まる。
強い雨が降れば一面の水溜まりになる。
バス停に向かうためにこの道を使う人もいる。
散歩の際に好んで通る人もいる。
が、多くはない。
南北に通るこの道の両側に、3軒ずつの家がある。
しかし、西側の3軒は全て道に対して低い塀の上にフェンスという形で
閉じている。
家の出入り口がこの道に面しているのは、我が家と、南隣の元酒屋さんだけだ。
けれど、お隣さんは他に南側の道にも面している。
この砂利道だけに面しているのは、我が家だけである。
つまり、
どうしてもこの道を使わなきゃならないのは、
私だけなんである。
※
2年前に老母が特別養護老人ホームに入居する前は、
介護生活のため、家の内側のことだけで手一杯だった。
それでもたまに草取りをしたけれど、
砂利道はボーボーで、実際より狭く見えた。
幅2メートルとは到底思えない。
人の踏み跡の分だけ、細く砂利の見える部分が有る、
ってなくらいだった。
その後、心身の余裕ができたので、
草を取り、我が家の庭からはみ出た土を削り、
砂利を均して水溜まりもできにくくし、
幅2メートルを取り戻した。
一旦きれいにしてみると、雑草が気になる。
※
道のこちら側の両隣は、我が家より以前から住んでいる人たちだ。
道の西側の3軒は、数年前に建売りで越して来たお家だ。
こちら側の3軒は、草取りをする習慣が有る。
しかし、向こう側の3軒は、草取りしない。
特に真ん中の家の人は、この道を全く使わない。
家そのものも、道に向かって開いている窓が無い。
いや、その家にも少しの庭が有る。
ある時、庭の部分の塀の上のフェンスだけ、
ちょいと草取りしてあった。
そして、取った草は道端に置いたままであった。
つまり、
家の中から見える範囲だけがきれいにしてあったのだ。
ほほう。
※
草ボーボーで道が荒れているのは、
防犯上よろしくない、と私は思う。
目の行き届いていない証拠になる。
誰も見ない道は、逃走経路として良い。
※
期待しても、草取りをしない人はしない。
気を揉むだけ損である。
私は、道の向こう側の草取りも、した。
けっこうたいへん。
10メートルくらいはあるか。
取った草を向こうの塀沿いに山と積み上げた。
・・・
1週間後、犬の散歩をしようと家を出たら、向かいの奥さんに久しぶりに会うことができた。
「草取りしておいたので、ゴミ出しだけお願いします。」
「ああ、ありがとうございます。普通の、可燃ごみの袋でいいのかしら。」
「無料で持って行ってくれるので、透明の袋で大丈夫ですよ。」
草取りしないのだから、ゴミ出しの仕方も知らないわけだ。
「いや結構ボーボーで歩きにくいくらいになりますからね。」
「まあでも冬になれば枯れちゃうし。」
!!!
ほほう!
なるほど!
冬になるまでほっとけば枯れて無くなるから、いいのか。そうか!
その発想は無かったな!
※
犬の散歩しながら思った。
んなわけあるかい。
ボーボーのままにしておけば、冬も枯草ボーボーになる。
今まで、すっきり無くなっていたのは私が取っていたからだい!
※
これは、毎年謹んで私めが反対側の雑草も取るしかないと
あらためて腹を括った。
※
草を取ることを、連用形を用いて「草取り」と言う。
何かをすることを指す名詞を作るのに、動詞の連用形を使うのだ。
じゃあ、何かをしないことを指す名詞も簡単に作れたら良いな、と私は考えた。
することを表すのが連用形なら、
しないことを表すのは未然形がふさわしい。
というわけで、
草を取らないことを、未然形を用いて「草取ら」と言おうではないか。
我が家のお向かいさんは草取らだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます