犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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草取ら

2022年08月31日 | うつろい
[あらすじ] お向かいさんは道の草取りをしないよ。


自宅の前は、幅2メートルの砂利道だ。
舗装をしていないので、雑草が生える。
両脇の雑草で、さらに道幅が狭まる。
強い雨が降れば一面の水溜まりになる。

バス停に向かうためにこの道を使う人もいる。
散歩の際に好んで通る人もいる。
が、多くはない。

南北に通るこの道の両側に、3軒ずつの家がある。
しかし、西側の3軒は全て道に対して低い塀の上にフェンスという形で
閉じている。
家の出入り口がこの道に面しているのは、我が家と、南隣の元酒屋さんだけだ。
けれど、お隣さんは他に南側の道にも面している。
この砂利道だけに面しているのは、我が家だけである。
つまり、
どうしてもこの道を使わなきゃならないのは、
私だけなんである。



2年前に老母が特別養護老人ホームに入居する前は、
介護生活のため、家の内側のことだけで手一杯だった。
それでもたまに草取りをしたけれど、
砂利道はボーボーで、実際より狭く見えた。

幅2メートルとは到底思えない。
人の踏み跡の分だけ、細く砂利の見える部分が有る、
ってなくらいだった。

その後、心身の余裕ができたので、
草を取り、我が家の庭からはみ出た土を削り、
砂利を均して水溜まりもできにくくし、
幅2メートルを取り戻した。

一旦きれいにしてみると、雑草が気になる。



道のこちら側の両隣は、我が家より以前から住んでいる人たちだ。
道の西側の3軒は、数年前に建売りで越して来たお家だ。

こちら側の3軒は、草取りをする習慣が有る。
しかし、向こう側の3軒は、草取りしない。

特に真ん中の家の人は、この道を全く使わない。
家そのものも、道に向かって開いている窓が無い。

いや、その家にも少しの庭が有る。
ある時、庭の部分の塀の上のフェンスだけ、
ちょいと草取りしてあった。
そして、取った草は道端に置いたままであった。

つまり、
家の中から見える範囲だけがきれいにしてあったのだ。

ほほう。



草ボーボーで道が荒れているのは、
防犯上よろしくない、と私は思う。

目の行き届いていない証拠になる。
誰も見ない道は、逃走経路として良い。



期待しても、草取りをしない人はしない。
気を揉むだけ損である。

私は、道の向こう側の草取りも、した。
けっこうたいへん。
10メートルくらいはあるか。

取った草を向こうの塀沿いに山と積み上げた。
・・・
1週間後、犬の散歩をしようと家を出たら、向かいの奥さんに久しぶりに会うことができた。
「草取りしておいたので、ゴミ出しだけお願いします。」
「ああ、ありがとうございます。普通の、可燃ごみの袋でいいのかしら。」
「無料で持って行ってくれるので、透明の袋で大丈夫ですよ。」
草取りしないのだから、ゴミ出しの仕方も知らないわけだ。

「いや結構ボーボーで歩きにくいくらいになりますからね。」
「まあでも冬になれば枯れちゃうし。」
!!!
ほほう!
なるほど!
冬になるまでほっとけば枯れて無くなるから、いいのか。そうか!
その発想は無かったな!



犬の散歩しながら思った。

んなわけあるかい。

ボーボーのままにしておけば、冬も枯草ボーボーになる。
今まで、すっきり無くなっていたのは私が取っていたからだい!



これは、毎年謹んで私めが反対側の雑草も取るしかないと
あらためて腹を括った。



草を取ることを、連用形を用いて「草取り」と言う。

何かをすることを指す名詞を作るのに、動詞の連用形を使うのだ。

じゃあ、何かをしないことを指す名詞も簡単に作れたら良いな、と私は考えた。
することを表すのが連用形なら、
しないことを表すのは未然形がふさわしい。

というわけで、
草を取らないことを、未然形を用いて「草取ら」と言おうではないか。

我が家のお向かいさんは草取らだ。
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