昭和28年に発売になった「東京ブギウギ」を歌った。
https://youtu.be/N97Y7_-bQsY
you tubeに演奏動画をアップするのは、久しぶりですだ。
2年ぶり。
2年間、あれこれとやりたいネタを抱えながら、
じわじわと練習したりしながら、
まとめる時間と気力には欠けていた。
老母の介護に気力を奪われていた。
時間も体力も恵まれてはいたが、気持ちの余裕は無かった。
※
戦後の日本で、「ブギ」が流行った。
戦後はおろか、戦中戦前も知らない者としては、
戦後にアメリカというものがGHQと一緒に文化も雪崩れ込んで来た
ようなふうに思ってしまうが、んなこたない。
その前から、アメリカ的ポピュラー音楽の文化は日本に有った。
地盤は有ったが、戦時中に一旦、敵性音楽として抑圧された。
そして、戦後の解放とともに、進駐軍のキャンプという演奏機会まで提供されて盛んになった。
といったようなところなんではないだろうか。
最初に書いたように全く当事者ではないので、
実際の流れについては生き字引の語りや研究者のご意見を伺うほかない。
私の身近の生き字引は、数ヶ月前に特別養護老人ホームに入居した母である。
戦後のアメリカ映画に夢中になった話が聞ける。
しかしこれとて昭和8年生まれである。
終戦の時に12歳という程度なので、戦前の文化までは知らない。
※
後々ねちねちと解説していこうと考えているが、
「東京ブギウギ」などの当時流行した「ブギ」は
さほど「ブギ」ではない。
じゃあブギってなんなのとか、なんでブギって名付けたのとか、
そういえばブルースもそんな使い方してるよね、ってな話を
後日書こうと思う。
私は、この戦後流行の「ブギ」を、ほんとに「ブギ」で演奏しようと思った。
チャック・ベリー開発と言われるボトムリフで演奏しよう。
※
この後の今年いっぱい、「ブギ」と呼べる曲を演奏して
動画をアップしていく予定だ。
計画は7曲有る。
今年こういうシリーズをやろうと発案したのは、1月末頃のことだ。
そして4月には1曲目の「東京ブギウギ」をアップしようと思っていた。
しかし、2年間、ライブも録音もしてこなかったので、調子が落ちている。
自分で思っているよりも、ずっと落ちている。
練習しても練習しても、既にできている「これくらいできる」という
自己イメージまで実際の音がついてこない。
焦ったが、焦ってもしかたない。
練習する。
そのうち、新型コロナが社会的に深刻化し、
5月には母の特別養護老人ホームが決まり、
6月には入居準備が有り、
7月8月は年老いた飼い犬ジーロくんの世話に徹した。
その間、せっせと練習したり、できなかったりした。
時間がかかってしまったが、時間がかかっただけ練ることができた部分も有った。
※
やっとアップすることにした。
新しい犬を迎えることになったのが節目だ。
その犬は、新しい物にはなんでもビクつくし、
音に敏感だという。
そんなビビり犬の前で、バリトンウクレレを激しく掻き鳴らし
大声で歌うわけにもいかないだろう。
犬の引き取りの前日と当日の午前中に、録画した。
※
「歌ってみました」なんつって、カラオケの画面を撮影して
自分の歌をアップしているyou tube動画が、私は嫌いなんである。
それは、誰がやってもいいからだ。
アイディアでもアレンジでも表現でもなんでもいいから、
その人じゃなきゃできない要素が入っていないものは、
見なくていい。という意味であって、見る側としての時分の都合を言っている。
「歌ってみました」をアップすることはいい。
その人がここまでやりましたという達成感を得るためにとても良いことだと思う。
自分の動画は、独自の要素が有りながら、演奏の質がさほどでない、
評価の基準をどこに置くかで、糞にも肥やしにもなり得ると思う。
私がアップした何かの動画に、
「うまくないけど何かある。」というコメントをもらったことが有る。
七五12音だけで言い得ている。
あれこれ楽器をやるが、どうも、何をやっても「うまい」ところまで至らない。
そこまで徹底的に一つのことをやる気が自分には無いらしい。
あるバンドに参加していた時、
「アイディア倒れの女王」という称号を戴いたことが有る。
いけん。
そのバンドのメンバーはみんな、アイディアも技術も有る人たちだった。
アイディア倒れしていたら、うまくない私には何も残らない。
形にしなきゃ。
って、これが、うまくないからなかなか形にならない。
嗚呼。アイディアを倒さないためには技術が必要よ。
※
てなわけで、足掻いて手掻いて歌ったよ。
はなはだお耳汚しとは存じますが、「東京ブギウギ」どうぞ。
https://youtu.be/N97Y7_-bQsY
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