犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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カムアウトの反応 芸術篇

2015年10月26日 | LGB&T
去年の4月に、ブログでカムアウトしたけれど、
それまでにも身近な友人に一対一でちょこちょことカムアウトしてきた。

話のわかりそうな人を選んで、話す。
差別発言のある人にわざわざ言うことは無い。傷を負うだけだ。

「須山のことを聞くまでは、私は《同性愛に走るヤツはわからん》って
言ってたんだけど、やっとわかったよ。」
なんて言う友達がいた。
《走る》発言は、私は知らなかった。
時すでに遅し。
「わかった」とこの人は言ったが、どうもわかっていなかった。
その後、いくつか無理解な言葉が出てきた。
付き合いきれず、断絶してしまった。

恋愛の告白に似たものもある。
打ち明けたら、友達でいられなくなるかもしれない。という不安。
しかし、わからん人はそもそも友達にはなれない。
うわっつらの付き合いなら大事な友達ではない。
そんな人と友達でいられなくなっても、惜しくはない。
というくらい腹を据えていないと、やってられない。



受け入れ方にも、いろいろあるのだが、逆差別のような感情がくっついてくると
ちょいと厄介だ。
こんなふうな反応があった。

「いいんじゃない?ひとと違う経験ができて、
だから須山は芸術的センスがあるんだよ。
いい音楽や詩ができるよ!」

ゲイは芸。と思っているクチだ。
芸術家にゲイは多い、と思われる節があるが、本当にそうだろうか。
巷の、特に秀でたセンスも持たない、ごくフツウの同性愛者は、
ごくフツウの生活の中で、ごくフツウにはカムアウトできない現状があるから
存在が見えていないだけじゃないだろうか?

ゲイじゃない芸術家はもちろん数多いるし、
芸術家じゃないゲイもごろごろいる。

芸術家だと、同性愛者であると明かしても受け入れられやすい、ということも
起きているようだ。
アーティストなら許される。
なんじゃそりゃ。

プラスのイメージを付け加えることで受け入れられることがある。
それはなにかマイナスの要素があるから、埋め合わせになるものを探しているのではないか
とも思える。


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