国際不二性デー
なんと訳そうか。
wikipediaでも、日本語版にはまだページが無い。
近年、LGBTだのいやLGBTQだのといった言葉を耳にするようになったとは言え、
日本語版wikipediaを見てもこういった語の説明は載っていなかったりする。
私はXジェンダー(エックスジェンダー)自認である。
Xジェンダーという言葉は、日本でできた言葉だそうだ。
「X」は「よくわかんない」くらいの意味だろう。
数学でも、分かっていない数字は「x」と置くものだ。
しかし、不気味な「物体X」を想起してしまうのは私だけでしょうか。
そっから「SFX」を連想してしまうのは以下同文
どうも、「X」には「よくわかんない」以上に
「へんてこ」とか「バッテン」などのマイナスイメージも有るような気がする。
「未知のもの」は「怖い」と思いがちなところが有るのも否めない。
日本には「X Japan(エックスジャパン)」というバンドがいる。
バンド名の由来を調べてみた。
バンド名を書く欄に仮にペケ印を付けておき、
後から調べてみたところ、「X」には「数多くの可能性」という意味が有るということが分かったので
採用した、ってなエピソードが見付かった。
真偽のほどはさておき、
「未知」を「可能性」と捉え、「バツ印」のイメージをひっくり返したのは
ロックバンドの名前として力を感じる。
そんなら、「Xジェンダー」という呼び名も、
マイナスイメージをひっくり返していくという気持ちを含んだものとして
ロックと言えなくもない。
あたしゃ自分をファンクの人だと思っていて、ファンクはロックと重なるものだと思っている。
エックス上等!
※
もとい。
日本では「Xジェンダー」と呼ぶものはどういうものか。
これは日本語版wikipediaに掲載されている。
「男女のいずれにも属さないと考える性自認を持つ人。」とある。
LGBTのTは「トランスジェンダー」のTである。
「トランスする」とは「越境する」といった意味だ。
男性自認でありながら女装するのは「トランスヴェスタイト」、
女性の身体に生まれて男性の身体に性別適合手術をするのは「Female To Male Transsexual」といった
ような具合だ。
「Xジェンダー」は「越境する」というのとはちょいと意識が異なる。
「現状どっちでもないよ。」という感じだ。
※
どっちでもないという自認の人のありようは、ざっと言えば中性的だ。
ただ、中性的であることは越境のようでもある。
男性が中性に向かうのは女性の方向に向かっているわけだし、
女性が中性に向かうのは男性の方向に向かっているから、
男性か女性という視点から見ると、中性にいることは動きに見えるのだ。
つまりトランスジェンダーというのは、
性別とは男女の二極から成るものであるという認識に基づいた見方である。
人間てのは男女どっちかだよね、と思っているから、
真ん中あたりにいる者にベクトルを感じるわけだ。
Xジェンダーは、外部から見ると越境しているように見えるかもしれないが、
それは男女二元論の目によった見え方と言える。
※
さて、さらに、
「ノンバイナリー」という言葉が有る。
「バイナリー」とは耳慣れない言葉かもしれない。
「バイ」は「2」という意味だ。
例えば「バイシクル」は「二輪車」というように。
「バイナリー」は「二元論」ということだ。
何についての二元論かと言ったら、性別についての二元論つまり男女二元論である。
性別は男女の二つである。
そう思っている人にとってみればそれは当たり前のことのように思えるだろう。
しかしそれはひとつのものの見方でしかなく、事実はもっと複雑なんである。
身体的つまり解剖学的にも、身体機能的つまり生理的にも、
意識的にも、
文化的にも、社会的にも、
ピッタリふたつに分けられるようなもんではない。
※
よく、男女二元論に対する批判として
性はグラデーションと言われたりする。
しかし、グラデーションであると考えると、「端っこ」ができてしまう。
「最も男らしい」とか「最も女らしい」という二極ができてしまうのだ。
それでは本末転倒である。
セクシュアルマイノリティの運動を、6色のレインボーカラーに託すということがされている。
虹が七色に見えるというのは、文化的な影響が大きい。
虹を7色と見ても良い、5色と見ても良い、8色と見ても良い。
それに、虹の色の外には紫外線や赤外線といった不可視光線が有る。
目に見えないものが有ることを知るのは科学的にも精神的にも謙虚な態度であり、
未知のものの存在を知ることは他者を知ることに繋がる。
※
International Non-binary People's Day に、そんなことを考える。
つづく
なんと訳そうか。
wikipediaでも、日本語版にはまだページが無い。
近年、LGBTだのいやLGBTQだのといった言葉を耳にするようになったとは言え、
日本語版wikipediaを見てもこういった語の説明は載っていなかったりする。
私はXジェンダー(エックスジェンダー)自認である。
Xジェンダーという言葉は、日本でできた言葉だそうだ。
「X」は「よくわかんない」くらいの意味だろう。
数学でも、分かっていない数字は「x」と置くものだ。
しかし、不気味な「物体X」を想起してしまうのは私だけでしょうか。
そっから「SFX」を連想してしまうのは以下同文
どうも、「X」には「よくわかんない」以上に
「へんてこ」とか「バッテン」などのマイナスイメージも有るような気がする。
「未知のもの」は「怖い」と思いがちなところが有るのも否めない。
日本には「X Japan(エックスジャパン)」というバンドがいる。
バンド名の由来を調べてみた。
バンド名を書く欄に仮にペケ印を付けておき、
後から調べてみたところ、「X」には「数多くの可能性」という意味が有るということが分かったので
採用した、ってなエピソードが見付かった。
真偽のほどはさておき、
「未知」を「可能性」と捉え、「バツ印」のイメージをひっくり返したのは
ロックバンドの名前として力を感じる。
そんなら、「Xジェンダー」という呼び名も、
マイナスイメージをひっくり返していくという気持ちを含んだものとして
ロックと言えなくもない。
あたしゃ自分をファンクの人だと思っていて、ファンクはロックと重なるものだと思っている。
エックス上等!
※
もとい。
日本では「Xジェンダー」と呼ぶものはどういうものか。
これは日本語版wikipediaに掲載されている。
「男女のいずれにも属さないと考える性自認を持つ人。」とある。
LGBTのTは「トランスジェンダー」のTである。
「トランスする」とは「越境する」といった意味だ。
男性自認でありながら女装するのは「トランスヴェスタイト」、
女性の身体に生まれて男性の身体に性別適合手術をするのは「Female To Male Transsexual」といった
ような具合だ。
「Xジェンダー」は「越境する」というのとはちょいと意識が異なる。
「現状どっちでもないよ。」という感じだ。
※
どっちでもないという自認の人のありようは、ざっと言えば中性的だ。
ただ、中性的であることは越境のようでもある。
男性が中性に向かうのは女性の方向に向かっているわけだし、
女性が中性に向かうのは男性の方向に向かっているから、
男性か女性という視点から見ると、中性にいることは動きに見えるのだ。
つまりトランスジェンダーというのは、
性別とは男女の二極から成るものであるという認識に基づいた見方である。
人間てのは男女どっちかだよね、と思っているから、
真ん中あたりにいる者にベクトルを感じるわけだ。
Xジェンダーは、外部から見ると越境しているように見えるかもしれないが、
それは男女二元論の目によった見え方と言える。
※
さて、さらに、
「ノンバイナリー」という言葉が有る。
「バイナリー」とは耳慣れない言葉かもしれない。
「バイ」は「2」という意味だ。
例えば「バイシクル」は「二輪車」というように。
「バイナリー」は「二元論」ということだ。
何についての二元論かと言ったら、性別についての二元論つまり男女二元論である。
性別は男女の二つである。
そう思っている人にとってみればそれは当たり前のことのように思えるだろう。
しかしそれはひとつのものの見方でしかなく、事実はもっと複雑なんである。
身体的つまり解剖学的にも、身体機能的つまり生理的にも、
意識的にも、
文化的にも、社会的にも、
ピッタリふたつに分けられるようなもんではない。
※
よく、男女二元論に対する批判として
性はグラデーションと言われたりする。
しかし、グラデーションであると考えると、「端っこ」ができてしまう。
「最も男らしい」とか「最も女らしい」という二極ができてしまうのだ。
それでは本末転倒である。
セクシュアルマイノリティの運動を、6色のレインボーカラーに託すということがされている。
虹が七色に見えるというのは、文化的な影響が大きい。
虹を7色と見ても良い、5色と見ても良い、8色と見ても良い。
それに、虹の色の外には紫外線や赤外線といった不可視光線が有る。
目に見えないものが有ることを知るのは科学的にも精神的にも謙虚な態度であり、
未知のものの存在を知ることは他者を知ることに繋がる。
※
International Non-binary People's Day に、そんなことを考える。
つづく
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