[あらすじ] 「『草枕』はタロットカードで読み解けます。」と
オカシなことをシショーが言う。
『草枕』は大好きな小説だ。
二十代の頃だったか読んで、びっくらこいた。
鮮やかな風景描写、いきいきとした人物たちが話し、
時々思い付いたように芸術論が続くかと思うと、
下世話と言っていいほどの世間的な物語が繋ぎになっていたりする。
なんじゃこりゃ。
主人公の一人称は「余」で、西洋画の「画工」であるという。
山路を進んだ先の宿に泊まって、その宿や界隈の人々としばし交流する。
宿の出戻り娘の那美さんが従弟の出征を見送りに行くところで物語は終わる。
「非人情」という言葉がテーマになっている。
その意味は何かというのも、読みどころだ。
※
鍼灸の専門学校を卒業した後も、学校で出会った先生のところに
月に一度、見学に行っている。
先生以上師匠未満ということで、ここではシショーと書いている。
先生以上の方を拾ってセンセイでも良かったか。
でも漢字からカタカナにすると何かちょっと格が下がるような気がする。
漱石が『草枕』を発表したのが1906年。
アーサー・エドワード・ウェイトが新しいタロットカードをライダーから出版したのが1908年。
『草枕』冒頭から全13章に描かれる内容と、
ウェイト版タロットカード大アルカナ0番から13番に表されるものとが
共通している、とシショーは気付いた。
たとえば『草枕』の冒頭。
―
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
ー
ウェイト版タロットカードの0番を見てみる。
0は「愚者」、The Fool。
私が持っているのはドイツ語版(安かったから)なので、Der Narrとある。
山路で棹持って手から花が咲いちゃっている。
ふむ。
続く1章では「余」がこの旅で何を得ようとしているか、芸術論を語る。
シェリーの詩を引いたり、王維や陶淵明に触れ、ダ・ヴィンチに話は及ぶ。
漱石がイギリスに留学するほどに研究したシェイクスピアももちろん出てくる。
そこに馬子が出てきて茶屋へ行く、という現実場面が重なるのが、
この小説のおもろいところだ。
タロットカードの1番は「魔術師」で、ウェイト版では「野心の開拓」という
意味を持っている。
「余」の野心が語られる場面だ。
他にも、タロット5番「教皇」のカードには教皇と剃髪した修道士が描かれている。
『草枕』で「余」は床屋に行って髭を剃られる。
8番「力」のカードには女性が獅子の口を押える様子、
8章では和尚が虎の毛皮の上に座っている。
最後の13章では出征する従弟が汽車に乗って行くのを
那美さんは「死んでおいで」と見送る。
13番「死」のカードには、死神が馬に乗っている。
※
『草枕』の挿絵を描けと言われたらひどくたいへんそうだが、
タロットカードとして描くということならできるかもしれない。
ウェイト版タロットカードを手本にして、
その要素を『草枕』に置き換えるような感じだ。
画の縦横のサイズは決まっているし、
黒い描線に三色の重ね刷りという表現法も模したら良いだろう。
※
同時期に離れた地点で同様の事が起こるのを、
共時性なんてな言葉で言う。
それを、ただの偶然と見ることもできるだろうが、
起こるべくして起きたと言ってみたり、
集合的無意識から多数の者が同時に受け取ったとも言えるし、
神の思し召しと言う人もいるだろう。
IT技術不要のクラウドサービスにアクセスした。
ウェイトも、漱石も。
ウェイトはその知識をタロットカードで表し、
漱石は小説に書いた、という違いだろう。
そんじゃその二つを統合しちゃえ。
というのが、玉名版タロットカードである。(芸術的野心)
※
シショーが玉名に移り住んだのは何年前だったか。
こんな着想を得るのも、玉名にシショーが住む、ということが無ければ
起こらなかったのかもしれない。
※
シショーの語るタロットの象意と『草枕』のポイントを押さえつつ、
さらに『草枕』を読み返して風景や人物の描写を確認しつつ、
玉名の風景を今は実際に行くことはかなわないので画像で見て、
カードの絵に盛り込んでいく。
0番
遠景に煙を吐く雲仙普賢岳。
その手前は有明海。
山路は春なのに蜜柑がなっているのはおかしいが、
天水の山の風景の特徴と思って詰め込んだ。
玉名辺りには赤と青を使った装飾古墳が在るので、
それとアルファベットのTAMANAの文字をあしらう。
山路も装飾古墳の幾何学形をもとにする。
ウェイト版に見える犬は、漱石が実際に飼っていた犬に似せたが、
実は私が飼っていた犬により似た。
山路を登る「愚者」は画工の「余」、漱石の顔にした。
14枚を数週間で描くだけの力は無かったので、
最初と最後だけにした。
13番
死地へ人を運ぶ馬ならぬ汽車は、『草枕』当時の九州鉄道で最も多かった8500系機関車にした。
さらりと書いたが、私は鉄道ファンでもないので、これを調べるのに時間がかかった。
機関車の煙突から出る煙は、0番で雲仙普賢岳から出る煙と相似形。
駅まで舟で行く、その川に柳と田んぼにレンゲ、つばくろ、家鴨。
ウェイト版では山の上の二つの塔の間に日章が有るが、
現在、『草枕』の舞台となった地に「草枕温泉てんすい」という施設ができており、
その建物に二本の塔が有るので、これを描いた。
那美さんの髪は迷いに迷った末、丸髷に結った。
那美さんの着物の柄は麻の葉模様の円形にした。
人体科学会の発表に神聖幾何学をテーマにしたものが有ったので、
ちょいとフラワーオブライフを盛り込んでみたのだ。
※
ウェイト版では、カードの右下にサインが入っている。
絵を描いたパメラ・コールマン・スミスのサインだ。
あ、今気付いたが、
0番にはサインが入っていない。
真似すりゃ良かったな。
オカシなことをシショーが言う。
『草枕』は大好きな小説だ。
二十代の頃だったか読んで、びっくらこいた。
鮮やかな風景描写、いきいきとした人物たちが話し、
時々思い付いたように芸術論が続くかと思うと、
下世話と言っていいほどの世間的な物語が繋ぎになっていたりする。
なんじゃこりゃ。
主人公の一人称は「余」で、西洋画の「画工」であるという。
山路を進んだ先の宿に泊まって、その宿や界隈の人々としばし交流する。
宿の出戻り娘の那美さんが従弟の出征を見送りに行くところで物語は終わる。
「非人情」という言葉がテーマになっている。
その意味は何かというのも、読みどころだ。
※
鍼灸の専門学校を卒業した後も、学校で出会った先生のところに
月に一度、見学に行っている。
先生以上師匠未満ということで、ここではシショーと書いている。
先生以上の方を拾ってセンセイでも良かったか。
でも漢字からカタカナにすると何かちょっと格が下がるような気がする。
漱石が『草枕』を発表したのが1906年。
アーサー・エドワード・ウェイトが新しいタロットカードをライダーから出版したのが1908年。
『草枕』冒頭から全13章に描かれる内容と、
ウェイト版タロットカード大アルカナ0番から13番に表されるものとが
共通している、とシショーは気付いた。
たとえば『草枕』の冒頭。
―
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
ー
ウェイト版タロットカードの0番を見てみる。
0は「愚者」、The Fool。
私が持っているのはドイツ語版(安かったから)なので、Der Narrとある。
山路で棹持って手から花が咲いちゃっている。
ふむ。
続く1章では「余」がこの旅で何を得ようとしているか、芸術論を語る。
シェリーの詩を引いたり、王維や陶淵明に触れ、ダ・ヴィンチに話は及ぶ。
漱石がイギリスに留学するほどに研究したシェイクスピアももちろん出てくる。
そこに馬子が出てきて茶屋へ行く、という現実場面が重なるのが、
この小説のおもろいところだ。
タロットカードの1番は「魔術師」で、ウェイト版では「野心の開拓」という
意味を持っている。
「余」の野心が語られる場面だ。
他にも、タロット5番「教皇」のカードには教皇と剃髪した修道士が描かれている。
『草枕』で「余」は床屋に行って髭を剃られる。
8番「力」のカードには女性が獅子の口を押える様子、
8章では和尚が虎の毛皮の上に座っている。
最後の13章では出征する従弟が汽車に乗って行くのを
那美さんは「死んでおいで」と見送る。
13番「死」のカードには、死神が馬に乗っている。
※
『草枕』の挿絵を描けと言われたらひどくたいへんそうだが、
タロットカードとして描くということならできるかもしれない。
ウェイト版タロットカードを手本にして、
その要素を『草枕』に置き換えるような感じだ。
画の縦横のサイズは決まっているし、
黒い描線に三色の重ね刷りという表現法も模したら良いだろう。
※
同時期に離れた地点で同様の事が起こるのを、
共時性なんてな言葉で言う。
それを、ただの偶然と見ることもできるだろうが、
起こるべくして起きたと言ってみたり、
集合的無意識から多数の者が同時に受け取ったとも言えるし、
神の思し召しと言う人もいるだろう。
IT技術不要のクラウドサービスにアクセスした。
ウェイトも、漱石も。
ウェイトはその知識をタロットカードで表し、
漱石は小説に書いた、という違いだろう。
そんじゃその二つを統合しちゃえ。
というのが、玉名版タロットカードである。(芸術的野心)
※
シショーが玉名に移り住んだのは何年前だったか。
こんな着想を得るのも、玉名にシショーが住む、ということが無ければ
起こらなかったのかもしれない。
※
シショーの語るタロットの象意と『草枕』のポイントを押さえつつ、
さらに『草枕』を読み返して風景や人物の描写を確認しつつ、
玉名の風景を今は実際に行くことはかなわないので画像で見て、
カードの絵に盛り込んでいく。
0番
遠景に煙を吐く雲仙普賢岳。
その手前は有明海。
山路は春なのに蜜柑がなっているのはおかしいが、
天水の山の風景の特徴と思って詰め込んだ。
玉名辺りには赤と青を使った装飾古墳が在るので、
それとアルファベットのTAMANAの文字をあしらう。
山路も装飾古墳の幾何学形をもとにする。
ウェイト版に見える犬は、漱石が実際に飼っていた犬に似せたが、
実は私が飼っていた犬により似た。
山路を登る「愚者」は画工の「余」、漱石の顔にした。
14枚を数週間で描くだけの力は無かったので、
最初と最後だけにした。
13番
死地へ人を運ぶ馬ならぬ汽車は、『草枕』当時の九州鉄道で最も多かった8500系機関車にした。
さらりと書いたが、私は鉄道ファンでもないので、これを調べるのに時間がかかった。
機関車の煙突から出る煙は、0番で雲仙普賢岳から出る煙と相似形。
駅まで舟で行く、その川に柳と田んぼにレンゲ、つばくろ、家鴨。
ウェイト版では山の上の二つの塔の間に日章が有るが、
現在、『草枕』の舞台となった地に「草枕温泉てんすい」という施設ができており、
その建物に二本の塔が有るので、これを描いた。
那美さんの髪は迷いに迷った末、丸髷に結った。
那美さんの着物の柄は麻の葉模様の円形にした。
人体科学会の発表に神聖幾何学をテーマにしたものが有ったので、
ちょいとフラワーオブライフを盛り込んでみたのだ。
※
ウェイト版では、カードの右下にサインが入っている。
絵を描いたパメラ・コールマン・スミスのサインだ。
あ、今気付いたが、
0番にはサインが入っていない。
真似すりゃ良かったな。
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