犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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多摩丘陵と私

2013年10月17日 | 流民の窓
[あらすじ]稲城市の南山が切り崩されている。小田良の農地も開発計画地区だ。
深大寺の里山風景は、中央高速道で変化した。


地元の風景がどんどん変わって行ってしまうので、散歩の範囲を広げるより他なかった。
対岸の多摩丘陵は、ニュータウン計画で既に団地だらけになっていたが、
まんべんなく歩いてみると、原風景がぽつぽつと残っている。

小野路とか別所とか、お好きな方ならきっとご存じの場所にもすぐにたどり着いた。
七国は行ってみたらもうみなみ野の造成が始まっていた。
澱んでしまった湿地の奥に、手入れされた小さな田を見つけることもあった。
小さな谷戸を残して一面埋め立てられ切り崩され、はるひ野と呼ばれるようになって
駅までできたり、という変化を目の当たりにしたのは最近のことだ。

こんなところにこんな景色が、と思っても、すぐに宅地化が押し寄せる。
行政で決まったら、あとの変化は瞬く間だ。
丘の道を進んで行ったら、突然、赤土も露な造成地が目の前に広がる。
神社だけが申し訳程度の鎮守の森とともに、チンと残される。
しかし、周囲が宅地になってしまったら、神様も居づらかろう。

森と風と草花やきのこや目に見えないくらい小さなムシや
虫やクモやトカゲやカエルやネズミやタヌキや
湧き水や流れや沼や藻や苔や蔦なんかと一緒に、
神様も消え去ってしまうのだろう。

土さえも、削り取られる。
家を建てる台としてしか見られていない。
上に書いた生き物たちが作って堆積していった豊かな表土は削られる。
四角く切り取られ区画された赤土の上に、新しい家が建てられ、
流行りの庭木が植えられる。


いいとこの話を書こうとしても、どうしても造成の痛みの方に話が向かってしまうな。
危機感がそうさせるのか。
明日はちょっと話を戻そう。

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