読書メモ連続でしたが今日でおしまい。
毎回、感想を最後に書いたが、今日は冒頭にする。
※
人知の及ばないところに神を見るのは良い。
その、人知の及ぶ端っこを見るのは、優れた科学者の冥利。
だからこそ、神の力を感じる科学者もいる。
ただ、神を現時点での研究の限界の言い訳にしてはいけない、
ということだろうと受け取ることにしてみた。
思えばこの冥利というのも、 知らず知らずのうちに仏や菩薩に与えられる利
というような意味の仏語だ。
ついでに書いておくと、「人間は~~なもの」という言い回しを
私は信じない。
これは、普遍的なことを述べているようでいて、実際は
その人個人のことを言っているに過ぎないことが、ひどく多い。
益川の発言も、同様に思える。
念のために書いておけば、私は近代科学の姿勢には賛同している。
対談の最後に、益川にとっての神がどういうものなのか、明らかになっている。
もう一箇所、二人ともが「お風呂で思いついた」というエピソードを
語る場面があるが、付箋を貼り忘れてどこだかわからなくなっちゃった。
ソクラテスも然り。
あたしゃ一昨夜、昼間どうしても思い出せなかった歌詞を、
お風呂に浸かったらすぐに思い出せた。
日本の風呂文化に、可能性を感じる…。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
益川 湯川秀樹先生の弟弟子ぐらいに当たられる物理学者の
武谷三男先生は、「目で見えるものほど不確かなものはない」
とおっしゃっています。ある現象を、ただ漠然と見ているだけでは
いけない。細かく観察したうえで、信じるか信じないかを決定すべきだ、
という意味です。
ところで、山中先生は特に宗教を意識されたことはありませんか。
山中 苦しい時の神頼みはよくします(笑)。研究に行き詰まると、
「神様、助けて下さい」って。私、そういうのは節操がないんです(笑)。
生物学をやっていると、それこそ、「これは神様にしかできない」と
思うようなことがたくさんありますから。
益川 医学系の先生の中には、ここ20年ぐらいの間にクリスチャンに
なっている方がけっこう多い。子供の頃からクリスチャンというのでは
なく、50歳前後になってから洗礼を受けられているんです。それは
たぶん、生命と日々向き合っているから、宗教に救いやよりどころを
求めたくなるんだと思います。悪いことに、僕は無宗教なんです。
それも、ただの無宗教じゃなくて、「積極的無宗教」。
山中 それは、宗教を信じないということですか。
益川 いや、「信じない」のではなく、「信じている人を
やめさせる」ほう(笑)。
僕が積極的無宗教なのは、「神」というのが、自然法則を
説明する時によく出てくるからです。たとえば、「雪の結晶には
一つとして同じものがない。実に不思議だ。なぜこんなものが
存在するのだろう」と誰かが言った時、「神様がお作りになったのだ」
と、神を引き合いに出して説明するのが、いちばん手っ取り早い。
山中 そうですね。
益川 人間というのは、あらゆる自然現象に対して、「これは
どうしてなのだろう」「あれはなんだろう」と疑問を持ち、
なんでも説明したがる生き物です。そして、答えがわからない時、
「神がそういう性質を与えた」「神がそう決めた」ということにすれば、
とりあえず問題は解決したように思えます。それが宗教です。
しかし、近代科学の考え方は、まったく違います。
答えがわからなければ、わからないままにしておけ。いつか、
わかる時期が来るだろう。それまで気に留めたまま待とうじゃないか
――というのが、近代科学の基本的な姿勢です。
せっかちに答えを求めなくても、「これは未来の問題として
残しましょう」と言えば、それで済むはずなのに、今すぐ白か黒か
割り切ろうとするから、神様のところに行くしかなくなって
しまうんです。
僕が言う積極的無宗教とは、「雪の結晶は神様がお作りになったのだ」
と言う人達に対して、「その答えを神様に求めなきゃいかんほど、
あなたの理性は単純なのですか?それぐらいの答えだったら、
いくらでも考えられますよ」と、意義を申し立てることなのです。
※
益川 自然に対して予想をたてることは、僕ら科学者にとって
重要だけど、その予想はほとんど当たったためしがありません。
たとえば、高エネルギーの加速器を作ってもらうときには、
「これこれしかじかの研究をやって、このような成果を出します」
とカッコよく予想して、政府に予算を要求します。
結果として、その加速器は確かに成果を挙げるかもしれないけれど、
当初の予想と寸分たがわずに成功した例は、これまでに一つも
ありません。
つまり、人間が考えることよりも自然のほうが奥が深く、
バラエティが豊富だということ。「自然のほうが人間の考えより深い」
と言われるゆえんです。でも、ものごとを漠然としか見られない人には、
それがわからないのです。
山中 科学者にとって、「神」の英語訳は「ゴッド」じゃなくて、
「ネイチャー」なんですね。
毎回、感想を最後に書いたが、今日は冒頭にする。
※
人知の及ばないところに神を見るのは良い。
その、人知の及ぶ端っこを見るのは、優れた科学者の冥利。
だからこそ、神の力を感じる科学者もいる。
ただ、神を現時点での研究の限界の言い訳にしてはいけない、
ということだろうと受け取ることにしてみた。
思えばこの冥利というのも、 知らず知らずのうちに仏や菩薩に与えられる利
というような意味の仏語だ。
ついでに書いておくと、「人間は~~なもの」という言い回しを
私は信じない。
これは、普遍的なことを述べているようでいて、実際は
その人個人のことを言っているに過ぎないことが、ひどく多い。
益川の発言も、同様に思える。
念のために書いておけば、私は近代科学の姿勢には賛同している。
対談の最後に、益川にとっての神がどういうものなのか、明らかになっている。
もう一箇所、二人ともが「お風呂で思いついた」というエピソードを
語る場面があるが、付箋を貼り忘れてどこだかわからなくなっちゃった。
ソクラテスも然り。
あたしゃ一昨夜、昼間どうしても思い出せなかった歌詞を、
お風呂に浸かったらすぐに思い出せた。
日本の風呂文化に、可能性を感じる…。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
益川 湯川秀樹先生の弟弟子ぐらいに当たられる物理学者の
武谷三男先生は、「目で見えるものほど不確かなものはない」
とおっしゃっています。ある現象を、ただ漠然と見ているだけでは
いけない。細かく観察したうえで、信じるか信じないかを決定すべきだ、
という意味です。
ところで、山中先生は特に宗教を意識されたことはありませんか。
山中 苦しい時の神頼みはよくします(笑)。研究に行き詰まると、
「神様、助けて下さい」って。私、そういうのは節操がないんです(笑)。
生物学をやっていると、それこそ、「これは神様にしかできない」と
思うようなことがたくさんありますから。
益川 医学系の先生の中には、ここ20年ぐらいの間にクリスチャンに
なっている方がけっこう多い。子供の頃からクリスチャンというのでは
なく、50歳前後になってから洗礼を受けられているんです。それは
たぶん、生命と日々向き合っているから、宗教に救いやよりどころを
求めたくなるんだと思います。悪いことに、僕は無宗教なんです。
それも、ただの無宗教じゃなくて、「積極的無宗教」。
山中 それは、宗教を信じないということですか。
益川 いや、「信じない」のではなく、「信じている人を
やめさせる」ほう(笑)。
僕が積極的無宗教なのは、「神」というのが、自然法則を
説明する時によく出てくるからです。たとえば、「雪の結晶には
一つとして同じものがない。実に不思議だ。なぜこんなものが
存在するのだろう」と誰かが言った時、「神様がお作りになったのだ」
と、神を引き合いに出して説明するのが、いちばん手っ取り早い。
山中 そうですね。
益川 人間というのは、あらゆる自然現象に対して、「これは
どうしてなのだろう」「あれはなんだろう」と疑問を持ち、
なんでも説明したがる生き物です。そして、答えがわからない時、
「神がそういう性質を与えた」「神がそう決めた」ということにすれば、
とりあえず問題は解決したように思えます。それが宗教です。
しかし、近代科学の考え方は、まったく違います。
答えがわからなければ、わからないままにしておけ。いつか、
わかる時期が来るだろう。それまで気に留めたまま待とうじゃないか
――というのが、近代科学の基本的な姿勢です。
せっかちに答えを求めなくても、「これは未来の問題として
残しましょう」と言えば、それで済むはずなのに、今すぐ白か黒か
割り切ろうとするから、神様のところに行くしかなくなって
しまうんです。
僕が言う積極的無宗教とは、「雪の結晶は神様がお作りになったのだ」
と言う人達に対して、「その答えを神様に求めなきゃいかんほど、
あなたの理性は単純なのですか?それぐらいの答えだったら、
いくらでも考えられますよ」と、意義を申し立てることなのです。
※
益川 自然に対して予想をたてることは、僕ら科学者にとって
重要だけど、その予想はほとんど当たったためしがありません。
たとえば、高エネルギーの加速器を作ってもらうときには、
「これこれしかじかの研究をやって、このような成果を出します」
とカッコよく予想して、政府に予算を要求します。
結果として、その加速器は確かに成果を挙げるかもしれないけれど、
当初の予想と寸分たがわずに成功した例は、これまでに一つも
ありません。
つまり、人間が考えることよりも自然のほうが奥が深く、
バラエティが豊富だということ。「自然のほうが人間の考えより深い」
と言われるゆえんです。でも、ものごとを漠然としか見られない人には、
それがわからないのです。
山中 科学者にとって、「神」の英語訳は「ゴッド」じゃなくて、
「ネイチャー」なんですね。
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