犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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飼い主は自分を責める

2016年07月21日 | 犬と暮らす
[あらすじ] 昨日未明、雌雄2匹の飼い犬のうち、雌のカバサが
息を引きとった。

犬を飼って、死ぬまで飼った経験のある人なら、思い当たるだろう。
飼い主は、自分を責める。

あの時、獣医に連れて行っていれば助かったんじゃないだろうか。
あの時、何か食べさせていれば良かったんじゃないか。
あの時、気付いた小さな異変の意味がわかっていれば。
あの時、どうしていればもっと楽にしてやれただろうか。

カバサは私が見ている中で死んで行った。
今まで飼った犬は、見ていない時に死んだ。
ふと目を離した数分の隙に死んだ。
だから、犬というのは死ぬ瞬間を飼い主に見せないものなのだ、
という言い方を信じていた。
一方で、外出していた飼い主さんが帰ってくるのを待って
最後の息をした、といった話も聞く。

見ていない時や、まして留守中に死なれると、飼い主はもっと身を責める。
そばにいてやれたら、どんなに苦しかっただろう、と。
しかしそばにいても、いてやることくらいしかできない。
命という厳然としたものの前で、ただの人は無力だ。

もっと走らせてやればよかった。
もっといろんな場所に連れて行ってやればよかった。
もっと一緒にボール遊びすればよかった。
もっと抱いてやればよかった。

自責と後悔で、飼い主の心はひしゃげる。

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2 コメント

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子供の時ですが・・ (後藤 清 69)
2016-07-21 11:22:18
拾ってきたりして犬飼ってましたが・・
後の世話 死に水は親父がやってました
体が硬くなってきて もう終わりやと思っても
翌朝 まだ生きていてました 頑張りますね

最近は 犬の扱いも千差万別で
人間と同等になってきてるんですが
金もかかるし 
必要以上に延命する必要もないと思います

うちのワンコも あと五年くらいでしょうね
私の余命と同じくらいで 始末は奥さんにまかせて
私が 先に天国にいければ幸せです

気楽な話しですいません
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子どもの頃は (す~さん)
2016-07-25 00:41:09
子どもの頃に飼った犬は、最期は母が看取りました。

本当に、犬は頑張りますね。
食べられなくなった時に、獣医に連れて行くことも考えましたが、
きっとそこでできるのは点滴で栄養を入れることなどでしょう。
しかしそれは、いたづらに時間を延ばすだけになると考えて、受診はやめました。

自力で食べられなくなったら、
命が終わる。
ただそれに従って、生きている間は必死で生きたと思います。

お気楽結構。
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