ちゅうげんをいく
と読むと、心は一気に黄河流域に飛ぶ。
実はなんのことは無い、
隣町を散歩しているだけなのだが。
※
小学6年生の時の図工の先生が教わっている、
書道教室の展覧会に行った。
その先生の師匠は、西川寧先生(1902‐1989)である。
西川は包世臣が唱え趙之謙も実現した筆法を引き継いだ。
書き出しにその字画の向きと逆から筆を入れ、最後は進んできた方向に筆を抜く、
逆入平出。
篆書や隷書で使われる。
ある時、先生は西川に「その隷書は誰に教わった。」と聞かれる。
もちろん、西川なのだが、そう答えると西川は慌てて、
「そんなのを書いていてはいかん」ということで、別の人を手本にするように教える。
それまで、力強い隷書ばかりを書いていたが、それからは、
ふっくらとして、どこかやわらかさも有る隷書を作りあげていった。
隷書というと、石碑に遺ったどっしりとした字ばかりが知られていたが、
その頃から発掘が進み、木簡や帛書などが発見される。
割り箸かという細い竹のヘラに、よくできた細い筆で書いた、
日常的に使われる隷書というものが知られるようになったのだ。
趙之謙などの時代と較べて、隷書というものがガラリと変わったのだと思う。
肉筆の隷書の存在が加わり、表現に幅が出た。
それに西洋的個人主義なども加わり、隷書が芸術表現になり得ることになった。
西川は、そういう変革期を生きた人だと思う。
なんせ明治の終わりから平成まで生きたから、
驚きの連続だっただろう。
作品で人々を驚かせもしたわけだが。
※
異常は全て脱線。
私の小学校の先生が、友達に私を紹介するのに、こんな話をした。
「この子がさ、休み時間に机の上に何か広げて見てるのよ。
何かと思ったら、白地図で、それに、自分が自転車で走った道のところに
赤鉛筆で塗ってあるの。
これを私もやってみたいと思って、さっそく地図を買ってまねしてみたわけ。
大人に影響を与えた子どもだったのよ。」
国土地理院の2万5千分の1の地形図。
自転車で何時間か走り回って、帰宅してから地図を広げ、
記憶を頼りに道に赤線を引いていく。
それが楽しみだった。
※
しかし言われてみて、学校にまで地図を持って行っていたことを
あらためて知る。
おそらく、
友達は誰も興味を示さなかっただろう。
「私も地図を買ってやってみた」というのは、この図工の先生だけだ。
好きなことに打ち込むのは結構なことだが、
学校の短い休み時間くらい、
級友としゃべるとかすりゃあいいのに。
相変わらず非社交的だなあ。と
時間軸が逆の表現だが、思う。
卒業後、クラス会でみんなが集まっている中、
時刻表をめくっている鉄道好きのヤツがいて、
お節介な女子に注意されていた。
アイツといい勝負だな。
※
9月1日から、毎朝、自分の散歩をしている。
犬が老いて、特に8月からは一日1000歩も歩かない日が続いていた。
24日に犬が死んで、それから1週間は喪に服していた。
何度か雨の日も有ったが、うまいこと私が歩く早朝に止んでいたりで、
一日も欠かさず歩けている。
犬の散歩に行った方には、まだ行く気がしない。
どうせなら、と、あまり行かない方向に行ってみる。
水路を辿る。
ここからは暗渠かとか、ここで住宅街の裏に入るのかとか、
この先は遊歩道になっているのかとか、
そういうのを追うのが楽しい。
あるいは、暗渠も分からないようになっているけれど、
昔は川が有っただろうという道を見つけたり、
その先に道とも言えない空き地が細く続いていて
川だった証拠を掴んだり。
そうやって歩いてみると、
自宅からほんの1㎞行くか行かないかという範囲の中でも、
通ったことの無い道がまだ有るのを発見することもある。
新鮮である。
※
今は、住宅街が続いて退屈だから、と、あまり散歩したことの無かった
隣町を主に歩いている。
一時間余り歩き回って8000歩圏内で、
初めての道を歩く楽しみがまだ残っていたのが、楽しい。
※
小学生で、地形図を初めて買った時には、確か120円くらいだったと思う。
今は400円だかもっとだか。
というより、今ならダウンロードしてプリントアウトできる。
自宅ではA4サイズまでしか刷れないという点に
地図としては難が有るが、便利なこった。
久しぶりに、地形図に赤線を引く遊びをしてみようか。
ほんの数十分前に歩いた道を思い出す。
これだけでも、今の私の脳味噌には良い鍛錬になるかもしれない。
と読むと、心は一気に黄河流域に飛ぶ。
実はなんのことは無い、
隣町を散歩しているだけなのだが。
※
小学6年生の時の図工の先生が教わっている、
書道教室の展覧会に行った。
その先生の師匠は、西川寧先生(1902‐1989)である。
西川は包世臣が唱え趙之謙も実現した筆法を引き継いだ。
書き出しにその字画の向きと逆から筆を入れ、最後は進んできた方向に筆を抜く、
逆入平出。
篆書や隷書で使われる。
ある時、先生は西川に「その隷書は誰に教わった。」と聞かれる。
もちろん、西川なのだが、そう答えると西川は慌てて、
「そんなのを書いていてはいかん」ということで、別の人を手本にするように教える。
それまで、力強い隷書ばかりを書いていたが、それからは、
ふっくらとして、どこかやわらかさも有る隷書を作りあげていった。
隷書というと、石碑に遺ったどっしりとした字ばかりが知られていたが、
その頃から発掘が進み、木簡や帛書などが発見される。
割り箸かという細い竹のヘラに、よくできた細い筆で書いた、
日常的に使われる隷書というものが知られるようになったのだ。
趙之謙などの時代と較べて、隷書というものがガラリと変わったのだと思う。
肉筆の隷書の存在が加わり、表現に幅が出た。
それに西洋的個人主義なども加わり、隷書が芸術表現になり得ることになった。
西川は、そういう変革期を生きた人だと思う。
なんせ明治の終わりから平成まで生きたから、
驚きの連続だっただろう。
作品で人々を驚かせもしたわけだが。
※
異常は全て脱線。
私の小学校の先生が、友達に私を紹介するのに、こんな話をした。
「この子がさ、休み時間に机の上に何か広げて見てるのよ。
何かと思ったら、白地図で、それに、自分が自転車で走った道のところに
赤鉛筆で塗ってあるの。
これを私もやってみたいと思って、さっそく地図を買ってまねしてみたわけ。
大人に影響を与えた子どもだったのよ。」
国土地理院の2万5千分の1の地形図。
自転車で何時間か走り回って、帰宅してから地図を広げ、
記憶を頼りに道に赤線を引いていく。
それが楽しみだった。
※
しかし言われてみて、学校にまで地図を持って行っていたことを
あらためて知る。
おそらく、
友達は誰も興味を示さなかっただろう。
「私も地図を買ってやってみた」というのは、この図工の先生だけだ。
好きなことに打ち込むのは結構なことだが、
学校の短い休み時間くらい、
級友としゃべるとかすりゃあいいのに。
相変わらず非社交的だなあ。と
時間軸が逆の表現だが、思う。
卒業後、クラス会でみんなが集まっている中、
時刻表をめくっている鉄道好きのヤツがいて、
お節介な女子に注意されていた。
アイツといい勝負だな。
※
9月1日から、毎朝、自分の散歩をしている。
犬が老いて、特に8月からは一日1000歩も歩かない日が続いていた。
24日に犬が死んで、それから1週間は喪に服していた。
何度か雨の日も有ったが、うまいこと私が歩く早朝に止んでいたりで、
一日も欠かさず歩けている。
犬の散歩に行った方には、まだ行く気がしない。
どうせなら、と、あまり行かない方向に行ってみる。
水路を辿る。
ここからは暗渠かとか、ここで住宅街の裏に入るのかとか、
この先は遊歩道になっているのかとか、
そういうのを追うのが楽しい。
あるいは、暗渠も分からないようになっているけれど、
昔は川が有っただろうという道を見つけたり、
その先に道とも言えない空き地が細く続いていて
川だった証拠を掴んだり。
そうやって歩いてみると、
自宅からほんの1㎞行くか行かないかという範囲の中でも、
通ったことの無い道がまだ有るのを発見することもある。
新鮮である。
※
今は、住宅街が続いて退屈だから、と、あまり散歩したことの無かった
隣町を主に歩いている。
一時間余り歩き回って8000歩圏内で、
初めての道を歩く楽しみがまだ残っていたのが、楽しい。
※
小学生で、地形図を初めて買った時には、確か120円くらいだったと思う。
今は400円だかもっとだか。
というより、今ならダウンロードしてプリントアウトできる。
自宅ではA4サイズまでしか刷れないという点に
地図としては難が有るが、便利なこった。
久しぶりに、地形図に赤線を引く遊びをしてみようか。
ほんの数十分前に歩いた道を思い出す。
これだけでも、今の私の脳味噌には良い鍛錬になるかもしれない。
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