犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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洟考

2022年09月19日 | 椰子の実の中
[あらまし] 一昨年から、夏に副鼻腔炎をやるようになってしまった。
今年はなんとか、医薬に頼らずに治めることができた。

しかし、たまに涼しい夜が有ると、朝起きた時に鼻が詰まっていたりする。
きまって左鼻だ。

一週間前、強い症状が出た。
夜中に鼻が詰まって目が覚めた。
目が覚めてみると、のどが痛かった。

風邪か?

睡眠中は、唾液を飲み込む無意識の運動が行われない。
だから、のどが洗われず、そこから風邪症状が定着しがちだ。

いや、これは、鼻が詰まっているせいで口を開いて寝ていて、
それでのどが痛くなっているのではないか。

風邪でのどが腫れて痛い時と、
鼻詰まりで口呼吸のせいでのどが荒れて痛い時と、
微妙に感覚が異なる。

唾を飲み込む時に、腫れて狭くなっている所を通る感覚があまりしないし、
むしろのどを潤したい感じが強い。
これは表面から荒れているから痛んでいるのだろう。



そんなことでうまく眠れなかった。
その影響と、呼吸が足りんのと、薬の作用も有るのか、
二日も寝込んでしまった。



その後も、なかなか鼻の症状は収まらない。
毎日、洟をかんでばかりだった。



Tシャツの襟口に、レモンのエッセンシャルオイルを垂らす。
少しは抗炎症作用や去痰作用が期待できるか。

とにかく、こじれて副鼻腔炎になるのは避けたい。
急性副鼻腔炎を繰り返して、慢性副鼻腔炎にもつれ込んで、
更にこじらせて難治性の副鼻腔炎になったりしたくない。

身近にそういうアラフィフ女子が数人いて、苦しんでいるのを知っているので、
警戒心が有る。



鼻炎も、メンタル病の一つだと思っている。
運動不足から深部の冷えということと絡んで、
免疫系の低下は精神面から直結している。

精神面の問題から気を逸らすために脳が痛みを作り出す。ということには
騙されなくなった。
この方法は私には効かない。
と分かったので、鼻炎という作戦に出ていやがるのだろう。

そんなことはさせんぞ。
鼻詰まりで二日も寝込むなんて、そんな時間はもったいない。
私はやることが一杯有るんだ。



一週間後の今日、午前。

鼻をかんだ。
なかなか出て来ないので、繰り返し、強く、かんだ。

ポコッと出た。

今までに見たことの無いような色、固さ、大きさのハナが出た。



鼻炎フレンドのBに報告したら、すぐに返事が来た。
「写真撮った?」

撮らんわ。

いや、撮ろうかな、とは思った。
しかし、
なんかきちゃないし、
誰かに見せるのは恥ずかしい。



写真を撮ったか、と聞かれて、
いや、そんなスゴイ洟は滅多にお目にかかれないのだから、
写真に撮っておけば良かった、という気持ちになった。

ハナの写真を人に見せるのは、どうして恥ずかしいのだろう。

自分の理想とかけ離れた、たるんだ胴体。
分かっているけれど運動不足で、たるんだ胴体。
自分の身体感覚とは一致していない、ふくらんだ胸部。
そういうものを見られたら、恥ずかしい。

でも、洟なんて、出てしまえば別に自分自身ではない。
自分の一部分ですらない。
だったら、人に見られたって、恥ずかしくないのではないか。

鼻の穴から洟が垂れているのを見られるのは恥ずかしい。
でも、完全に体から出て離れて、
ティッシュペーパーの中に収まっているハナのカタマリだったら、
恥ずかしくないのではないか。



なぜ私は、ハナを人に見られることが恥ずかしいと感じるのだろう。

これは、もうちょっと考えてみても良いテーマかな、と思う。
こんなことについてねちねち考察したことが今まで無かったので、
今日のところは、ここまで。

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