日本で唱える仏教のお経は、
インドでできたものを当時の中国語に訳したものを、
日本なりの発音で読んでいるものだ。
お経の中には、訳していない部分もある。
真言(マントラ)や陀羅尼(ダーラニー)といった類で、
おまじないの文句のようなものだ。
般若心経も、ああだこうだ説明した揚句、最後に
意味ではなく、音を漢字で表している。
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提 薩婆呵
と書いて、
ぎゃーてー ぎゃーてー はーらーぎゃーてー
はらそうぎゃーてー ぼーじー そわかー
と唱えるわけだ。
音が大事だから、意味で訳さずに伝えているというのに、
漢字に置き換えた上にそれを日本語流の発音で読んでいるのだから、
元の発音からは程遠いという結果になっている。
それでも音の持つ力は失われていないのだろうか?
意味はというと、ここはサンスクリットとして文法的には整っていないので、
すっきりとは訳せないのだそうだ。なんてこった。
中村元というそれはそれは知見の広い仏教学者がそう言いつつも
訳を試している。
「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ。」
「往けるときに、往けるときに、彼岸に往けるときに、彼岸に完全に往けるときに、さとりあり、スヴァーハー。」
元のサンスクリットはこんなだそうで。
गते गते पारगते पारसंगते बोधि स्वाहा॥
gate gate pāragate pārasaṃgate bodhi svāhā∥
ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー
音を写すことが重要なら、発音を知りたい。
文法的にどれくらい分からないものなのか、ちょっとでも知りたい。
そんな気持ちがちょびっと有ったが、あまりにも遠大な世界なので敬遠し続けてきた。
サンスクリットを勉強し始めて、半年ほどになる。
文字は読めるようになった。
しかし、日本語だってそうだが、発音も時代によって変化するものだ。
いくら口から口へ伝えられてきた聖なる言語だと言っても、
まったく常用の口語からの影響を受けないということがあるだろうか?
知識よりも体感することが大事だと思うけれど、
体感するために知っておかねばならないことがヒマラヤ級で困る。
※
以前、写経をしてみたが、そん時は百円均一ショップでたまたま目に入ったお手本を買ったのだ。
どこの誰が書いたんだろうと思いながらなぞった。
初唐の三大家の一人、欧陽詢(おうようじゅん;557-641)が書いてくれている。
欧陽詢のものは、以前『九成宮醴泉銘』(632)を全臨したぞ。
楷書も書家によっていろいろだが、欧陽詢の楷書は好きだ。
とは言え、石碑の『九成宮醴泉銘』より、『般若心経』(635)はずっと字が小さいので、
かなり書き方が異なる。
※
孝経はどうしても内容が退屈でたまらない。
儒教というのはどうしてこう規範的なもの言いになるのか。
あと、現世の生活というものを大事にしているように思う。
最低限のラインとして、貧しくても父母を生かせ、自分もなんとか生きろ、
という意味のようだ、ということを先日書いた。
生ということにこだわりを感じる。
生と死の間に大きな隔たりがあるようだ。
それが中国的なのかな、と思ったが、
中国的というより、儒教的なのかもしれない。
中国だってもう少し前なら老子や荘子がいて、
生きるも死ぬも同じことのちょいと姿を変えたもんだよー、くらいのことを言っている。
とまあ、この辺りは私の受け取り方なので、間違ってるかもしれないけれど。
仏教も、生きている中の悩み苦しみから始まって、考え抜いた末、
まあ生きるも死ぬも大差無いかー、ということを言っている。と思う。
地獄がどうしたとか、死んで成仏するとか、そんなのは後から付いた尾鰭ざんしょ。
とまあ、この辺りは私の受け取り方なので、間違ってるかもしれないけれど。
今生きているしかない我々が、生きているというこのステージで見ているものだけを
この世界だと思っていると、大間違いだと私は思う。
※
そんなこんなを考えること無く、
臨書するときは形を追うことで今は精一杯だ。
※
ところで、欧陽詢って、欧・陽詢じゃなくて、欧陽・詢なのね。
どうも中国の名前は姓が一字と思い込みがちだが、たまにそうでないのがあるし、
表記上は分けないので、わからん。
じゅんちゃん。
インドでできたものを当時の中国語に訳したものを、
日本なりの発音で読んでいるものだ。
お経の中には、訳していない部分もある。
真言(マントラ)や陀羅尼(ダーラニー)といった類で、
おまじないの文句のようなものだ。
般若心経も、ああだこうだ説明した揚句、最後に
意味ではなく、音を漢字で表している。
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提 薩婆呵
と書いて、
ぎゃーてー ぎゃーてー はーらーぎゃーてー
はらそうぎゃーてー ぼーじー そわかー
と唱えるわけだ。
音が大事だから、意味で訳さずに伝えているというのに、
漢字に置き換えた上にそれを日本語流の発音で読んでいるのだから、
元の発音からは程遠いという結果になっている。
それでも音の持つ力は失われていないのだろうか?
意味はというと、ここはサンスクリットとして文法的には整っていないので、
すっきりとは訳せないのだそうだ。なんてこった。
中村元というそれはそれは知見の広い仏教学者がそう言いつつも
訳を試している。
「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ。」
「往けるときに、往けるときに、彼岸に往けるときに、彼岸に完全に往けるときに、さとりあり、スヴァーハー。」
元のサンスクリットはこんなだそうで。
गते गते पारगते पारसंगते बोधि स्वाहा॥
gate gate pāragate pārasaṃgate bodhi svāhā∥
ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー
音を写すことが重要なら、発音を知りたい。
文法的にどれくらい分からないものなのか、ちょっとでも知りたい。
そんな気持ちがちょびっと有ったが、あまりにも遠大な世界なので敬遠し続けてきた。
サンスクリットを勉強し始めて、半年ほどになる。
文字は読めるようになった。
しかし、日本語だってそうだが、発音も時代によって変化するものだ。
いくら口から口へ伝えられてきた聖なる言語だと言っても、
まったく常用の口語からの影響を受けないということがあるだろうか?
知識よりも体感することが大事だと思うけれど、
体感するために知っておかねばならないことがヒマラヤ級で困る。
※
以前、写経をしてみたが、そん時は百円均一ショップでたまたま目に入ったお手本を買ったのだ。
どこの誰が書いたんだろうと思いながらなぞった。
初唐の三大家の一人、欧陽詢(おうようじゅん;557-641)が書いてくれている。
欧陽詢のものは、以前『九成宮醴泉銘』(632)を全臨したぞ。
楷書も書家によっていろいろだが、欧陽詢の楷書は好きだ。
とは言え、石碑の『九成宮醴泉銘』より、『般若心経』(635)はずっと字が小さいので、
かなり書き方が異なる。
※
孝経はどうしても内容が退屈でたまらない。
儒教というのはどうしてこう規範的なもの言いになるのか。
あと、現世の生活というものを大事にしているように思う。
最低限のラインとして、貧しくても父母を生かせ、自分もなんとか生きろ、
という意味のようだ、ということを先日書いた。
生ということにこだわりを感じる。
生と死の間に大きな隔たりがあるようだ。
それが中国的なのかな、と思ったが、
中国的というより、儒教的なのかもしれない。
中国だってもう少し前なら老子や荘子がいて、
生きるも死ぬも同じことのちょいと姿を変えたもんだよー、くらいのことを言っている。
とまあ、この辺りは私の受け取り方なので、間違ってるかもしれないけれど。
仏教も、生きている中の悩み苦しみから始まって、考え抜いた末、
まあ生きるも死ぬも大差無いかー、ということを言っている。と思う。
地獄がどうしたとか、死んで成仏するとか、そんなのは後から付いた尾鰭ざんしょ。
とまあ、この辺りは私の受け取り方なので、間違ってるかもしれないけれど。
今生きているしかない我々が、生きているというこのステージで見ているものだけを
この世界だと思っていると、大間違いだと私は思う。
※
そんなこんなを考えること無く、
臨書するときは形を追うことで今は精一杯だ。
※
ところで、欧陽詢って、欧・陽詢じゃなくて、欧陽・詢なのね。
どうも中国の名前は姓が一字と思い込みがちだが、たまにそうでないのがあるし、
表記上は分けないので、わからん。
じゅんちゃん。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます