新しくない本を読んで、かなり良かった。
それぞれにじっくり感想を書きたいので、後回しにしていたら
押し詰まっちまった。
なので、慌ててまとめるが、あらためて個別に触れたい。
年が変わるからって慌てる必要も無い気もするけれど。
森田健『生まれ変わりの村』シリーズ
中国の奥地へ、著者は何年にもわたってインタビューに訪れ、
レポートした本。
突然死んだ人が数十キロ離れたくらいの村に生まれ変わった
というようなことを数多く取材している。
前世でどのように生きてどのように死んだか、
あの世へ行ってしばらく過ごした様子、
またこの世に生まれる時の経緯、
生まれ変わった気分、
前世について語るとどのようなことが起こるか、
といったことを本人の言葉をなるべくそのままに書いている。
死生観が変わる。かもしれない。
この本を読んだ後、10月に東京の文化財ウィークのパンフレットを見ていて、
同様のケースが
日本の、東京の、多摩地区、なんと身近なところにも有ったことを知った。
今は多摩動物公園があるすぐ近く、程久保の藤蔵が、隣村の中野に生まれ変わったのだ。
珍しく奇妙なことではあるから、言わないようにさせられたりして
目立たないだけで、実はちょこちょこあることなのかもしれない。
ジョン・サーノ『ヒーリング・バックペイン』『心はなぜ腰痛を選ぶのか』
米国の整形外科医が、腰痛の治療に取り組む中で築きあげた仮説。
1990年頃の本で、それから四半世紀は経っているが、
治療の主流には受け入れられていない。
腰痛の原因はメンタルにある。というと、
「ストレスが腰に出るのねー」といった受け取り方をされかねないが、
そういうことを言っているのではない。
腰痛とは、
人が、(少なくとも1990年頃の米国人が。現代日本人の多くにも当てはまる。)
社会的に発達(成長)していく中で、潜在意識よりも下の無意識の領域に
押し込めてきた、コドモの部分の爆発的な感情が、あまりにも危険なので
そこから目を逸らすために、身体に痛みを起こしそちらに気を引こうという
脳の作戦である。
ということを知って理解して受け入れるだけで、その脳の作戦は効果を失うので、
腰痛はおさまる。
という仮説だ。
危険で幼稚な感情を抑えてきたことをもともと意識していたせいか、
はたまた単純だからか、私には効果絶大であった。
7年ほど抱えていた腰痛が、ケロリとおさまってしまった。
腰痛を代表にタイトルは付けられているが、ことは腰痛だけではない。
首肩こりはもちろん、炎症性の多くの疾患も含まれる。
詳しくはあらためて紹介したい。
腱鞘炎が出がちな私の手も、ちいとも痛まなくなった。
「ヘルニアのせい」「筋力低下のせい」「年のせい」
「神経炎がここにあるから」「骨格のゆがみから」
「持病だから」「職業病」「女性特有」
などなど思ってあきらめて痛みを受け入れている人には、
おすすめしたい。
ただ、人によっては心理療法の専門家の助力を必要とするかもしれない。
本書の中で、現代医学からマッサージから何から、ほとんどの治療法は
その場しのぎであるばかりか、根本的治癒の邪魔になると言っている。
脳の作戦に力を貸すことになるからだ。
もちろん、鍼灸も含まれる。
もともと、病気は自分で作ったものだから自分で治すものだ、
と私は考えている。
鍼灸師に「治してもらう」という意識では、まず治らない。
そこに来てこの本のこの言いようで、
ますます鍼灸師やってらんない気持ちになる。
パラマハンサ・ヨガナンダ『あるヨギの自叙伝』
インドへ行って人生観変わった。って話はよく聞くが、
インドへ行く気合の無い私は、この本だけで人生観変わった。
冒頭から驚きのエピソードが畳み掛ける。
この本については慌ててなんてまとめられない。
人間にとって、世界にとって大事なことが詰まっている。
本が書かれたのはもう100年近くも前だが、
内容はまったく色あせていない。
ということは、人間はこの100年間、何をやっちょったんだ?
この本を読んで、もともと持っていた思いが膨らんだ。
インド古代の思想に直接触れたく、また、言葉の持つ力を体感したく思い、
今まで敬遠してきたサンスクリットを勉強し始めた。
また、ヨガナンダは良く言えば恰幅の良いお方だ。
デブでもヨガできるんだ、と意識が変わったおかげで
今まで敬遠してきたヨガを始めた。
インド古来の神々への信仰と、西欧的なキリスト教とは
根源的には同一であることを述べている。
という読み取りで正確かどうか、自信は無いが。
信仰とは、神への憧れ、追い求めることだ。
ヨガという語には様々な意味合いがあるが、
そのひとつは「合一」だ。
神と我の合一を求めるということだ。
ほんじゃ神って何じゃ?我とは何じゃ?
我とは何かということを、切り分けて考えてゆくことは、
病気の治癒にも繋がる。
これまた、自分の病は自分で治すものだ、という考えを強める。
詳しい内容は、日をあらためて書きたい。
そんな今年の読書でした。
それぞれにじっくり感想を書きたいので、後回しにしていたら
押し詰まっちまった。
なので、慌ててまとめるが、あらためて個別に触れたい。
年が変わるからって慌てる必要も無い気もするけれど。
森田健『生まれ変わりの村』シリーズ
中国の奥地へ、著者は何年にもわたってインタビューに訪れ、
レポートした本。
突然死んだ人が数十キロ離れたくらいの村に生まれ変わった
というようなことを数多く取材している。
前世でどのように生きてどのように死んだか、
あの世へ行ってしばらく過ごした様子、
またこの世に生まれる時の経緯、
生まれ変わった気分、
前世について語るとどのようなことが起こるか、
といったことを本人の言葉をなるべくそのままに書いている。
死生観が変わる。かもしれない。
この本を読んだ後、10月に東京の文化財ウィークのパンフレットを見ていて、
同様のケースが
日本の、東京の、多摩地区、なんと身近なところにも有ったことを知った。
今は多摩動物公園があるすぐ近く、程久保の藤蔵が、隣村の中野に生まれ変わったのだ。
珍しく奇妙なことではあるから、言わないようにさせられたりして
目立たないだけで、実はちょこちょこあることなのかもしれない。
ジョン・サーノ『ヒーリング・バックペイン』『心はなぜ腰痛を選ぶのか』
米国の整形外科医が、腰痛の治療に取り組む中で築きあげた仮説。
1990年頃の本で、それから四半世紀は経っているが、
治療の主流には受け入れられていない。
腰痛の原因はメンタルにある。というと、
「ストレスが腰に出るのねー」といった受け取り方をされかねないが、
そういうことを言っているのではない。
腰痛とは、
人が、(少なくとも1990年頃の米国人が。現代日本人の多くにも当てはまる。)
社会的に発達(成長)していく中で、潜在意識よりも下の無意識の領域に
押し込めてきた、コドモの部分の爆発的な感情が、あまりにも危険なので
そこから目を逸らすために、身体に痛みを起こしそちらに気を引こうという
脳の作戦である。
ということを知って理解して受け入れるだけで、その脳の作戦は効果を失うので、
腰痛はおさまる。
という仮説だ。
危険で幼稚な感情を抑えてきたことをもともと意識していたせいか、
はたまた単純だからか、私には効果絶大であった。
7年ほど抱えていた腰痛が、ケロリとおさまってしまった。
腰痛を代表にタイトルは付けられているが、ことは腰痛だけではない。
首肩こりはもちろん、炎症性の多くの疾患も含まれる。
詳しくはあらためて紹介したい。
腱鞘炎が出がちな私の手も、ちいとも痛まなくなった。
「ヘルニアのせい」「筋力低下のせい」「年のせい」
「神経炎がここにあるから」「骨格のゆがみから」
「持病だから」「職業病」「女性特有」
などなど思ってあきらめて痛みを受け入れている人には、
おすすめしたい。
ただ、人によっては心理療法の専門家の助力を必要とするかもしれない。
本書の中で、現代医学からマッサージから何から、ほとんどの治療法は
その場しのぎであるばかりか、根本的治癒の邪魔になると言っている。
脳の作戦に力を貸すことになるからだ。
もちろん、鍼灸も含まれる。
もともと、病気は自分で作ったものだから自分で治すものだ、
と私は考えている。
鍼灸師に「治してもらう」という意識では、まず治らない。
そこに来てこの本のこの言いようで、
ますます鍼灸師やってらんない気持ちになる。
パラマハンサ・ヨガナンダ『あるヨギの自叙伝』
インドへ行って人生観変わった。って話はよく聞くが、
インドへ行く気合の無い私は、この本だけで人生観変わった。
冒頭から驚きのエピソードが畳み掛ける。
この本については慌ててなんてまとめられない。
人間にとって、世界にとって大事なことが詰まっている。
本が書かれたのはもう100年近くも前だが、
内容はまったく色あせていない。
ということは、人間はこの100年間、何をやっちょったんだ?
この本を読んで、もともと持っていた思いが膨らんだ。
インド古代の思想に直接触れたく、また、言葉の持つ力を体感したく思い、
今まで敬遠してきたサンスクリットを勉強し始めた。
また、ヨガナンダは良く言えば恰幅の良いお方だ。
デブでもヨガできるんだ、と意識が変わったおかげで
今まで敬遠してきたヨガを始めた。
インド古来の神々への信仰と、西欧的なキリスト教とは
根源的には同一であることを述べている。
という読み取りで正確かどうか、自信は無いが。
信仰とは、神への憧れ、追い求めることだ。
ヨガという語には様々な意味合いがあるが、
そのひとつは「合一」だ。
神と我の合一を求めるということだ。
ほんじゃ神って何じゃ?我とは何じゃ?
我とは何かということを、切り分けて考えてゆくことは、
病気の治癒にも繋がる。
これまた、自分の病は自分で治すものだ、という考えを強める。
詳しい内容は、日をあらためて書きたい。
そんな今年の読書でした。
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