犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
犬のこと、人の心身のこと、音楽や自作のいろいろなものについて

ばかきぞめ

2016年12月28日 | 書の道は
[あらすじ] 敬遠してきた毛筆の書を10月に始めた。
楷行草隷篆さらに金文、甲骨と遡る中、隷書を習得したいと志す。
今は木簡の臨書を中心にしている。


師走と言う。
鍼灸師なので師が付くが、走っていない。
どうしたことか。

中学の同級生が書道の先生をやっている。
師走は忙しい、と言う。
そういうもんかと思って聞き流しかけたが、なるほど、
「書初めの指導でてんてこまいよ」ということだ。



数日経ってから、ハタと気付く。
そうだ。書道をやっている人は、書初めをするのだ。
生後3ヶ月のおぎゃあだが、ほぼ毎日馬鹿みたいに書いている。
ここで書初めしなきゃ、ただの馬鹿だろう。

書初めと言えば、15年くらい前にもなるか、
「ばかきぞめ」と題して、書初めでは絶対誰も書かなそうな言葉ばかりを
当時の友人と書き競べしたことがある。
ばかだなあ。



天来書院テキストシリーズ5〈中国古代の書5〉『木簡』
という本が手元に届いた。
東京都中に図書館は数あれど、なんとお隣の三鷹市しか所蔵していない。
シリーズは60巻あるが、三鷹もそのうちの5冊しか無い。
いけませんな。

木簡を勉強していくうちにわかったが、日本の書家で早くに木簡を研究した人に、
比田井天来(1872-1939)という人がいる。
天来書院というのは、天来が開いた書学院の活動を引き継いだ出版社のようだ。

以前書いたように、木簡の発掘は20世紀になってからである。
壮年の天来は、その発見に飛びついて、仲間とともに研究を重ねたのでもあろうか。



書の初学の私が考えを書き並べてもあんまりアテになるもんでもない。
上記の本の巻末に、「本帖とその学び方」という文がある。
昨日の私のブログは、これをパクッたと思われるんじゃないかというくらい、
我が意を得たりの内容だった。
一部分を引用する。

「わが国では戦前まで木簡に関する研究は、書道史関係のものがほとんどであったようだ。
まっ先に木簡に取り組んだのは、書道愛好家であり、書道史上空白であった部分の、
新しい事実を発見した。
あの宋の米芾すら手に入れることの出来なかった漢魏の肉筆を、直接に見ることが
可能になったのである。
それまでは、隷書や章草を学ぶには、金石文を拓本に撮った碑帖に拠るしかなかった。
拓本では初学のものにとっては、どこかよそよそしく生硬な感じがあり、
時には点画が大きく缺けていて字は判然とせず、とっつきにくい部分があった。
場合によっては拓本に囚われ、いくら習ってもその足下から逃れられないこともあった。
ところが、木簡の出土により、肉筆の生き生きとした様が、二千年の時を越えて、
直接にその美を投げかけることになったのである。

隷書を学ぶのに、何十年も拓本だけを使ってきた先輩たちにとって、
初めて木簡を見た時の驚き、感動は、いかばかりであったろう。
(中略)
書を学ぶ者にとって木簡を学ぶということは、使い古され色褪せた
碑法帖と異なり、何を如何に学ぶかという原点に返らせる。」云々。



あらためて「ばかきぞめ」を引っ張り出して見てみると、そう悪くないじゃないか。
笑いながら、楽しく筆を揮い、線に勢いがあり、自づと形が整っている。
私は書を敬遠することで、苦手意識をつのらせてしまっていたのだろう。

今、臨書にこだわり、形に気を取られ過ぎている。
なんだか気を集中させて、床の間かなんか背負っちゃって、
墨をおろしながら落ち着いて、ってなかしこまったのも書だろうが、
自分で思い付いた言葉を、仲間とゲラゲラ笑いながら書くくらいのものが
私の性には合っているのだろう。

蘇軾と米芾が酒酌み交わしながら夜更けまで書いたみたいにさ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 木簡の臨書 | トップ | 今年の読福 »

コメントを投稿

書の道は」カテゴリの最新記事