犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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ドクダミカラスウリ戦争

2022年04月07日 | うつろい
草取りは無念無想になれる。
草取りのこと以外は頭から去る。
草取りのことは考えているかもしれない。
しかし、草取りはパターン化する。

この範囲でこれとこれを取り除くためにこの動作をする。
という方針が決まれば、後は何も考える必要が無い。
動きだけになる。
没入できる。
ヨーガ(動作)による心の滅止である。

気が付くと予定していた範囲より手を広げていたりする。
そんでもって雑草は無くなっている。
しかも集中した後なので、気持ちいい。



老母と同居していた時は、草取りさえ集中できなかった。
「庭仕事はたいへんでしょう、ご苦労さま」と言われるのが
イヤなのだ。
楽しみでやっているのだから、「苦労」と言わないで欲しい。
などと説明してお願いしても、受け止めてはもらえない。
理解できなくても、なるほどそうなのねと受け止めてさえくれれば良いのだが、
母は自分に理解できないと飲み込めない。
元々そういうところが有る上に、年を取ってなおのこと
自分と異なる感覚を受容しなくなっている。

私はこの数年、すっかり庭を放置してしまった。



シャベルに乗せた足に体重をかけ、グッと深く差し込む。
今度は傾けた柄に体重をかけて、掘り起こす。

地上に見えている草が浮き上がれば、うまく根ごと掘れている。
土が浮いても草が動かないのであれば、深さが足りていない。
これでは根茎だの球根だのといった地下部分が残ってしまい、
後でまた生えてくることになる。

うまく掘り起こした土を手でほぐして返して、
ドクダミの根茎やカラスウリの球根を見付け出して取り除く。

ドクダミの根茎が縦横無尽に在るのは予想通りだった。
しかし、烏瓜がこれほどたくさん出てくるとは。
こりゃもう庭と言うより荒地だ。
草取りと言うより開墾だ。

老母との同居で潰してしまった数年間と自分の心を
解放するためかのように、私は草取りに没入する。
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