80歳の母。
股関節の変形が一因で痛みがあったので、5年ほど前に全置換手術を受けた。
しかしその後、両脚の長さの差が出てきて、立ち歩きがしんどくなってしまった。
片方の足だけにスリッパを履いていると思えばいい。
立ちにくい。
バランスを取るために、屈み続けることになる。
腰が痛む。
両脚を割に大きく広げて立つと、長さの差の影響が減る。
鍼の先生にそういう指導を受けた。
ところが、母は古い教育を受けて育った女性だ。
これは男の立ち方だ、と言う。
和服なんか着ないくせに(私は母の和装を見たことが無い)、
着物を着てこの立ち方をしたら裾がはだけてしまう、なんて言う。
今の自分にとってそれが楽な立ち方だということがわかっても、
今まで何十年に良識として教えられたことの方が強い。
闘病とは意識の転換だと思う。
今までの生活の中で、自分の考え方や暮らしぶりの中で
自分の身体に病気が作りあげられてきた。
それならば、病と別れるためには今までと違った生活をすることが必要だ。
何十年と親しんできた生き方や常識を離れることは、怖い。
臆病な者にとって、変化は怖い。
しかし、治癒というのも変化の一種だ。
喜ばしい変化のためには、思い切りも必要になってくる。
治った自分を思い描いて、今までと違う生活を試す。
自己治癒に必要な態度だと考えている。
股関節の変形が一因で痛みがあったので、5年ほど前に全置換手術を受けた。
しかしその後、両脚の長さの差が出てきて、立ち歩きがしんどくなってしまった。
片方の足だけにスリッパを履いていると思えばいい。
立ちにくい。
バランスを取るために、屈み続けることになる。
腰が痛む。
両脚を割に大きく広げて立つと、長さの差の影響が減る。
鍼の先生にそういう指導を受けた。
ところが、母は古い教育を受けて育った女性だ。
これは男の立ち方だ、と言う。
和服なんか着ないくせに(私は母の和装を見たことが無い)、
着物を着てこの立ち方をしたら裾がはだけてしまう、なんて言う。
今の自分にとってそれが楽な立ち方だということがわかっても、
今まで何十年に良識として教えられたことの方が強い。
闘病とは意識の転換だと思う。
今までの生活の中で、自分の考え方や暮らしぶりの中で
自分の身体に病気が作りあげられてきた。
それならば、病と別れるためには今までと違った生活をすることが必要だ。
何十年と親しんできた生き方や常識を離れることは、怖い。
臆病な者にとって、変化は怖い。
しかし、治癒というのも変化の一種だ。
喜ばしい変化のためには、思い切りも必要になってくる。
治った自分を思い描いて、今までと違う生活を試す。
自己治癒に必要な態度だと考えている。
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