深大寺十三夜観月会に行ってきた。
自宅から1㎞ほどである。近い。
昨年には、白鳳仏が国宝に指定された。
私が深大寺について大いに言いたいのは、元三大師像だ。
元三大師は良源という僧だ。
非常に霊力が強かったそうで、バケモノのような姿になって人を救ったという。
元三大師のお札には、その不気味な姿が刷られている。
一度、ご開帳の時に見たことがある。
お堂の中に納まっているのが不思議なくらい、大きく見えた。
奥の暗がりの中に据わっているのに、黒光りして迫る。
この元三大師の特別開帳が、今年の春に予定されていた。
新型コロナ流行のため、残念ながら延期となり、
秋にはと言っていたのも中止になった。
疫病退散なんてのも、元三大師の霊力の得意とするところのはずだろうが、
コロナで開帳中止とは妙な話である。
狭いお堂に参詣客が詰め掛けたら密になるのでいけないのだ。
三密に密教を加えて四密になっちゃう。
そのかわりだかなんだか、出開帳が有る。
来年の秋、国立博物館で開催される
伝教大師一二〇〇年御大遠忌記念 特別展「最澄と天台宗のすべて」
に出張してくれるというのだ。
仏像ではない。
坊さんの像としては、日本一の大きさだという。
どうなんだろう。
お堂の中では妖しい力に満ちていたが、
国立博物館の大きな部屋の中で見たら、
フツーになっちゃうのだろうか。
見たいような、見たくないような。
いや信じて見に行きたい。
※
いつもは開きもせずに捨ててしまう市報を、久しぶりに開いて、
文化情報の面に目を通した。
すると、深大寺で十三夜観月会をするという記事が目に入った。
声明の会やら薪能やら、
夜の境内でいろいろなイベントを開いているな、と思いながら、
行ったことが無かった。
入場無料、ただし先着100名に入場券を明日の朝9時から寺務所で配布する、
と書いてある。
こういうタイミングにはヒョイと乗らなくっちゃ。
※
朝9時10分前に家を出て深大寺への道を進むと、
バス通りを渡る信号待ちで、近所の知った顔2、3を見かける。
境内に入ると、寺務所の前に20人くらいの列ができていて、
さっき見た顔も列に並んでいる。
「今朝知ったんですよ」なんて言っている。
まあ、朝わざわざ券をもらいに来なけりゃいけないのだから、
地元の人に向けてのイベントという感じなのだろう。
※
幸い、十三夜はよく晴れた。
月の光は闇を際立たせ、犬の声は静けさを深める。
チケットと同時にプログラムをもらっていたのに、
まったく予習をしていかなかった。
ちんぷんかんぷんである。
先 四奉請(しぶじょう) なんのこっちゃ
次 勧請(かんじょう) なんで
次 十二礼(じゅうにらい)なにがダース
次 三句念仏 なむあみだ
次 般若心経 ぎゃーてーぎゃーてー
次 後唄
声明は、なんだか現代日本的な節回しだと感じた。
※
回向式と書いてある。おや?
第二部は邦楽演奏だが、プログラムには「前山主を偲んで」と書いてある。あら?
そうか、前の住職、亡くなったのか。
境内でのイベントを企画するだけでなく、いろんな取り組みをする人だった。
境内に檻を作ってエノキにオオムラサキを飼育してみたり。
公民館の達磨の展示の際にも講演をして面白くしゃべっていた。
若い僧侶たちに、蕎麦打ちを修行させている、と言っていた。
せっかく深大寺に来たのだから、名物の技を身に付けろということだ。
達磨や蕎麦が有るのは強みだ。
グッズとグルメがセットになっている。
隣には植物園も有る。
観光客が絶えないので、寺も栄える。
演奏の前に住職の話が有った。
先代の長男だという。へええ。
「父はアイディアマンでした」という。知ってる知ってる。
達磨と蕎麦と植物園が有ると言ったって、それにあぐらをかいていちゃあ、
達磨市とバラフェスタと大晦日正月にしか人の来ないフツウの寺になってしまう。
「今やること、続けることが、十年後に繋がる」と父は言っていた、と語る。
それを実践した人だったということだ。
※
邦楽演奏とは、
篠笛と、琵琶の弾き語りと、独吟と、打ち物それぞれの独奏があって、
それから四人の合奏があった。
琵琶を生で聴くのは実は初めてのことだった。
ビヨンと弦のテンションが弛めで、歌も緩めで、いい。
邦楽器だけど胡坐がOKだから、できそうな気もした。
また、打ち物とは何が出るかなと思ったら、
ハンマーダルシマーのような楽器だった。
これが和楽器なのかどうか知らない。
琵琶もそうだろうが、きっと起源はシルクロードのどこかなのだろう。
今年はバリトンウクレレに苦労させられたが、
今後は伝統楽器やどこぞの弦楽器や音程の有る打楽器もやってみたいと思った。
そう、今日の鑑賞が明日に繋がるのかもしれない。
おもしろい坊さんがいたことを、私もささやかに偲んだ。
自宅から1㎞ほどである。近い。
昨年には、白鳳仏が国宝に指定された。
私が深大寺について大いに言いたいのは、元三大師像だ。
元三大師は良源という僧だ。
非常に霊力が強かったそうで、バケモノのような姿になって人を救ったという。
元三大師のお札には、その不気味な姿が刷られている。
一度、ご開帳の時に見たことがある。
お堂の中に納まっているのが不思議なくらい、大きく見えた。
奥の暗がりの中に据わっているのに、黒光りして迫る。
この元三大師の特別開帳が、今年の春に予定されていた。
新型コロナ流行のため、残念ながら延期となり、
秋にはと言っていたのも中止になった。
疫病退散なんてのも、元三大師の霊力の得意とするところのはずだろうが、
コロナで開帳中止とは妙な話である。
狭いお堂に参詣客が詰め掛けたら密になるのでいけないのだ。
三密に密教を加えて四密になっちゃう。
そのかわりだかなんだか、出開帳が有る。
来年の秋、国立博物館で開催される
伝教大師一二〇〇年御大遠忌記念 特別展「最澄と天台宗のすべて」
に出張してくれるというのだ。
仏像ではない。
坊さんの像としては、日本一の大きさだという。
どうなんだろう。
お堂の中では妖しい力に満ちていたが、
国立博物館の大きな部屋の中で見たら、
フツーになっちゃうのだろうか。
見たいような、見たくないような。
いや信じて見に行きたい。
※
いつもは開きもせずに捨ててしまう市報を、久しぶりに開いて、
文化情報の面に目を通した。
すると、深大寺で十三夜観月会をするという記事が目に入った。
声明の会やら薪能やら、
夜の境内でいろいろなイベントを開いているな、と思いながら、
行ったことが無かった。
入場無料、ただし先着100名に入場券を明日の朝9時から寺務所で配布する、
と書いてある。
こういうタイミングにはヒョイと乗らなくっちゃ。
※
朝9時10分前に家を出て深大寺への道を進むと、
バス通りを渡る信号待ちで、近所の知った顔2、3を見かける。
境内に入ると、寺務所の前に20人くらいの列ができていて、
さっき見た顔も列に並んでいる。
「今朝知ったんですよ」なんて言っている。
まあ、朝わざわざ券をもらいに来なけりゃいけないのだから、
地元の人に向けてのイベントという感じなのだろう。
※
幸い、十三夜はよく晴れた。
月の光は闇を際立たせ、犬の声は静けさを深める。
チケットと同時にプログラムをもらっていたのに、
まったく予習をしていかなかった。
ちんぷんかんぷんである。
先 四奉請(しぶじょう) なんのこっちゃ
次 勧請(かんじょう) なんで
次 十二礼(じゅうにらい)なにがダース
次 三句念仏 なむあみだ
次 般若心経 ぎゃーてーぎゃーてー
次 後唄
声明は、なんだか現代日本的な節回しだと感じた。
※
回向式と書いてある。おや?
第二部は邦楽演奏だが、プログラムには「前山主を偲んで」と書いてある。あら?
そうか、前の住職、亡くなったのか。
境内でのイベントを企画するだけでなく、いろんな取り組みをする人だった。
境内に檻を作ってエノキにオオムラサキを飼育してみたり。
公民館の達磨の展示の際にも講演をして面白くしゃべっていた。
若い僧侶たちに、蕎麦打ちを修行させている、と言っていた。
せっかく深大寺に来たのだから、名物の技を身に付けろということだ。
達磨や蕎麦が有るのは強みだ。
グッズとグルメがセットになっている。
隣には植物園も有る。
観光客が絶えないので、寺も栄える。
演奏の前に住職の話が有った。
先代の長男だという。へええ。
「父はアイディアマンでした」という。知ってる知ってる。
達磨と蕎麦と植物園が有ると言ったって、それにあぐらをかいていちゃあ、
達磨市とバラフェスタと大晦日正月にしか人の来ないフツウの寺になってしまう。
「今やること、続けることが、十年後に繋がる」と父は言っていた、と語る。
それを実践した人だったということだ。
※
邦楽演奏とは、
篠笛と、琵琶の弾き語りと、独吟と、打ち物それぞれの独奏があって、
それから四人の合奏があった。
琵琶を生で聴くのは実は初めてのことだった。
ビヨンと弦のテンションが弛めで、歌も緩めで、いい。
邦楽器だけど胡坐がOKだから、できそうな気もした。
また、打ち物とは何が出るかなと思ったら、
ハンマーダルシマーのような楽器だった。
これが和楽器なのかどうか知らない。
琵琶もそうだろうが、きっと起源はシルクロードのどこかなのだろう。
今年はバリトンウクレレに苦労させられたが、
今後は伝統楽器やどこぞの弦楽器や音程の有る打楽器もやってみたいと思った。
そう、今日の鑑賞が明日に繋がるのかもしれない。
おもしろい坊さんがいたことを、私もささやかに偲んだ。
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