犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
犬のこと、人の心身のこと、音楽や自作のいろいろなものについて

感動を与える

2015年09月30日 | 日々
一昨日の記事を書く中で、なんとなく言い回しが違うのだが、
思い出せない箇所があった。
以前、一緒にバンドをやっていた人の言葉の部分だ。
「夢を売る仕事だから」と書いたが、
思い出した。

バンド・ミュージシャンは、見る人に
「夢を与える仕事だから、かっこよくしていなくちゃいけない」
というのだ。

言った人はハラもたるんでいたし、カネも無かったのだから、
きっと見た目や振る舞いのかっこよさを言っていたのではないとは思う。
かっこよさは取って付けてもしょうがない。
ミュージシャンのかっこよさは、演奏から表れりゃいい。
その人も、ライブ一本終わって楽屋でブッ倒れている時に
私はかっこいいと思った。ちょっと。

私が引っ掛かるのは、「夢を与える」ってところだ。
「夢を与える」の「与える」のところだ。



なぜか近年、スポーツ選手が試合や遠征の前にインタビューを受けると、
「感動を与える試合をしたい」
と言うことが増えた。
観客を意識した言葉だ。
アマチュアでも、というより、アマチュアスポーツでこそしばしば聞かれる気がする。

声援が力になる。
だから、観客を意識するのだろう。
それはいい。

しかし、観客が感動を得るかは、観客次第だ。
何を感じるかは、受け手の側の問題だ。

パフォーマンスでも作品でも、やる側はやったらやりっぱなし。
投げたボールがどう飛んでどうキャッチされるかは、
投げた者にはコントロールできない。

スポーツと違って、何かの作品であれば、何らかの意図も込められるかもしれないが、
それでもそれをそのまま見た者が汲み取るとは限らない。

ましてや「感動」を「与える」など、
おこがましいことだと私は感じてしまう。



「夢を与える」と気張って言う人は、
ライブが終わったら息を切らして楽屋でブッ倒れていた。
たぶん、これは本人にとって無様な姿、お客さんには見せられない姿なんだろう。
でもさ、アイドルじゃないんだから。

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