犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
犬のこと、人の心身のこと、音楽や自作のいろいろなものについて

伏流煙

2018年11月21日 | 日々
飲み会で、こんな光景を見たことがある。
隣の席の人を気遣ったのか、「ごめんね」と、
自分の煙草の煙を手で払っているのだ。
その後、その人は煙草を持つ手をテーブルの下にしていた。

せっかくの気遣いだが、どちらもかえってよろしくない。

煙は、発したところからまとまって上に昇り、次第に拡散する。
さっさと上に行ってしまえば、隣や周囲の席の人へ漂う煙は少なくて済む。

せっかくまとまっている煙を、手で払って散らしてしまったら、逆効果だ。
煙は見えなくなるが、見えなくなっているだけで無くなっているわけではない。
煙草の煙が苦手な人にとって、見えないくらい薄まっている煙でも、
苦しさは変わらない。

さっさと上に昇って行ってしまった方が良いという意味で、
煙草を持つ手をテーブルの下にするのも間違っている。
低いところから発すれば、拡散する高さも低くなる。
それに、テーブルにつっかえて上に昇らず、
テーブルの下を広がり、周囲の席で上がることになる。



飲み屋で飲みたい。
一人でも飲みたい。
一人だと、カウンター席ということになる。

小さな店だと、隣の人と肘も当たらんかというくらい近い。
隣の人が喫煙者だと、かなりつらい。

この頃は喫煙者も減ったので、煙の来ないことも有る。
隣の人が灰皿を置いていないと、ラッキーと思う。
しかし、どこからともなく煙が流れて来ることもある。
向こうのほうの人が、なぜか煙草を持つ手をカウンターの下にしていたりする。

できればカウンターよりもテーブル席に腰掛けたい。
その方が、低いからだ。
煙は上がるから、自分が低い位置にいた方がけむくない。



灰皿も、煙草を持つ手も、なるべく高いところに置いてほしい。

やれやれ。
自分が煙草を吸っていた頃のことを思い出す。
周囲なんかお構い無しだった。

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