電車に乗るというのに、本を持って来るのを忘れたことに、
駅にあまり近くない駐輪場に着いてから気付いた。
家まで引き返す時間は無い。
電車の中の時間は長い。
何か、買って行くか。
※
友人Vが言う。
「どうせひと休みと言ってスマホゲームでもするくらいなら、
スドク?パズルのほうが頭の体操になると思って、アプリを入れて始めてみた。」
おお、スウドク、数独、数字は独身に限る、だね。
私がパズル誌ニコリに出会ったのは、18歳の頃、
二駅隣の駅前の本屋だった。
ニコリというパズル誌は、
季刊であり、一切広告を入れておらず、自分たちの足で書店を回って置いてもらう、
というスタイルだった。
何から何まで、新鮮だった。
そんな本作り、雑誌作りが有るのか。
町田でほんの数人で作っているらしい。
編集長はどうやら地元調布に住んでいるらしい。
もともとパズル好きだったので、どんどん引き込まれた。
私が知った時、ニコリは14号目だった。
B5変型と言おうか、ちょっと細長い誌面で、薄めの中綴じだった。
ニコリというのは、どこかの国の競走馬の名前らしい。
編集長である鍛冶真起(かじまき)さんが競馬が好きなようだ。
イラストも独特の雰囲気を醸し出している。
「ペンシルパズル」という呼び名を使っている。
様々な種類のパズルが載っているが、どれも
鉛筆で升目を埋めていく、ということは共通しているからだ。
クロスワードから始まって、シークワーズやスケルトンパズルや、覆面算などが
子どもの頃から好きだった。
そういったパズルがぎっしり載っている。
それに、ニコリ独自のルールのパズルもあれこれ作っているようだ。
カックロの解き味に惚れ、スリザーリンクに驚いた。
掲載されているパズルの多くは投稿作品ということだ。
パズルファンが日本にも大勢いるということが嬉しかった。
※
数独は、鍛冶さんが外国の雑誌で見つけたパズルを元に、
形を整え、好き勝手な命名をして、世に送り出したものだ。
スマホアプリでナンプレ?それはどうせコンピューターで作った問題だろう。
それより、ニコリの数独をやってみてよ。
問題の質がまるで違うから。
まず、盤面が美しい。
対象形にこだわって数字が並んでいる。
それに、解き心地が良い。
ここが決まる、ここが決まる、するとこっちが決まる、それでここが入る、
といった連鎖がたまらない。
それぞれの作家の持ち味というものがある。
たくさん解いていると、好きな作家ができてくる。
作品の意図を感じたりする。
ただの時間つぶしではない。
限りなく楽しめる世界なのだ。
※
本さえ持っていれば、待ち合わせも待ちにならない。
早めに出て各駅停車に乗って、できるだけ読みたいくらいだ。
それなのに今日は本を忘れた。
駅前に本屋は有る。古本屋はずいぶん前につぶれてしまった。
新刊を買うことは滅多に無い。
読みたい本は山のように有るので、新しいものに飛びつくでもない。
待っていれば古本で安く手に入る。
まともに買ってばかりいたら身上がつぶれる。
それでも新刊で買わねばならない本って、何だろう。と考えた。
漢字の練習帳だろうか。いや私はこれも古本で済む。
そうなると、パズル誌しかない。
しかし、今日はボールペンしか持っていない。
ボールペンでペンシルパズルを解くには、勇気が要る。
間違っていても後には引けない。
それに、消して何度も解き直すという楽しみ方もできない。
鉛筆も買うか?
いや、それならば、見て読むだけでも楽しめるパズル本を買おう。
ニコリなら、有るはずだ。
と、最寄り駅の駅前の書店に入る。
入口のすぐわきに、小さな箱が有り、そこにペンシルパズル本が詰まっていた。
こういうスタイル自体、ニコリが生み出したものだ。
けれど、そこに入っているのは、多くがニコリではない物だった。
その中から、ニコリの本を探した。
見て読んで楽しみたい、という私の今日の要求にぴったりの本が有った。
※
この本は、ニコリのパズルをニコリではなく文藝春秋が出版したものだ。
中身は、ニコリの出版物で発表された数独の優品が並んでいる。
作家自身によるコメントが付いていて、どんな意図で作ったかとか、
作家にとって何がどう嬉しいのかといったことが読める。
まえがきを鍛冶さんが書いている。
私が友人Vに懇々と説明した、まさにそのストーリーが書いてある。
盤面は見ているだけでも本当に楽しい。
見て楽しいと、これを解いたら今度はどんな味わいだろうということが
気になってくる。
読み終わったら入門者Vにあげようと思って買った本だが、
その前にこっそり遊ぶことにしよう。
コンピューターには作れない、作家の思いのこもった名品揃いだ。
駅にあまり近くない駐輪場に着いてから気付いた。
家まで引き返す時間は無い。
電車の中の時間は長い。
何か、買って行くか。
※
友人Vが言う。
「どうせひと休みと言ってスマホゲームでもするくらいなら、
スドク?パズルのほうが頭の体操になると思って、アプリを入れて始めてみた。」
おお、スウドク、数独、数字は独身に限る、だね。
私がパズル誌ニコリに出会ったのは、18歳の頃、
二駅隣の駅前の本屋だった。
ニコリというパズル誌は、
季刊であり、一切広告を入れておらず、自分たちの足で書店を回って置いてもらう、
というスタイルだった。
何から何まで、新鮮だった。
そんな本作り、雑誌作りが有るのか。
町田でほんの数人で作っているらしい。
編集長はどうやら地元調布に住んでいるらしい。
もともとパズル好きだったので、どんどん引き込まれた。
私が知った時、ニコリは14号目だった。
B5変型と言おうか、ちょっと細長い誌面で、薄めの中綴じだった。
ニコリというのは、どこかの国の競走馬の名前らしい。
編集長である鍛冶真起(かじまき)さんが競馬が好きなようだ。
イラストも独特の雰囲気を醸し出している。
「ペンシルパズル」という呼び名を使っている。
様々な種類のパズルが載っているが、どれも
鉛筆で升目を埋めていく、ということは共通しているからだ。
クロスワードから始まって、シークワーズやスケルトンパズルや、覆面算などが
子どもの頃から好きだった。
そういったパズルがぎっしり載っている。
それに、ニコリ独自のルールのパズルもあれこれ作っているようだ。
カックロの解き味に惚れ、スリザーリンクに驚いた。
掲載されているパズルの多くは投稿作品ということだ。
パズルファンが日本にも大勢いるということが嬉しかった。
※
数独は、鍛冶さんが外国の雑誌で見つけたパズルを元に、
形を整え、好き勝手な命名をして、世に送り出したものだ。
スマホアプリでナンプレ?それはどうせコンピューターで作った問題だろう。
それより、ニコリの数独をやってみてよ。
問題の質がまるで違うから。
まず、盤面が美しい。
対象形にこだわって数字が並んでいる。
それに、解き心地が良い。
ここが決まる、ここが決まる、するとこっちが決まる、それでここが入る、
といった連鎖がたまらない。
それぞれの作家の持ち味というものがある。
たくさん解いていると、好きな作家ができてくる。
作品の意図を感じたりする。
ただの時間つぶしではない。
限りなく楽しめる世界なのだ。
※
本さえ持っていれば、待ち合わせも待ちにならない。
早めに出て各駅停車に乗って、できるだけ読みたいくらいだ。
それなのに今日は本を忘れた。
駅前に本屋は有る。古本屋はずいぶん前につぶれてしまった。
新刊を買うことは滅多に無い。
読みたい本は山のように有るので、新しいものに飛びつくでもない。
待っていれば古本で安く手に入る。
まともに買ってばかりいたら身上がつぶれる。
それでも新刊で買わねばならない本って、何だろう。と考えた。
漢字の練習帳だろうか。いや私はこれも古本で済む。
そうなると、パズル誌しかない。
しかし、今日はボールペンしか持っていない。
ボールペンでペンシルパズルを解くには、勇気が要る。
間違っていても後には引けない。
それに、消して何度も解き直すという楽しみ方もできない。
鉛筆も買うか?
いや、それならば、見て読むだけでも楽しめるパズル本を買おう。
ニコリなら、有るはずだ。
と、最寄り駅の駅前の書店に入る。
入口のすぐわきに、小さな箱が有り、そこにペンシルパズル本が詰まっていた。
こういうスタイル自体、ニコリが生み出したものだ。
けれど、そこに入っているのは、多くがニコリではない物だった。
その中から、ニコリの本を探した。
見て読んで楽しみたい、という私の今日の要求にぴったりの本が有った。
※
この本は、ニコリのパズルをニコリではなく文藝春秋が出版したものだ。
中身は、ニコリの出版物で発表された数独の優品が並んでいる。
作家自身によるコメントが付いていて、どんな意図で作ったかとか、
作家にとって何がどう嬉しいのかといったことが読める。
まえがきを鍛冶さんが書いている。
私が友人Vに懇々と説明した、まさにそのストーリーが書いてある。
盤面は見ているだけでも本当に楽しい。
見て楽しいと、これを解いたら今度はどんな味わいだろうということが
気になってくる。
読み終わったら入門者Vにあげようと思って買った本だが、
その前にこっそり遊ぶことにしよう。
コンピューターには作れない、作家の思いのこもった名品揃いだ。
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