犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
犬のこと、人の心身のこと、音楽や自作のいろいろなものについて

キッド・ボンヲドリックやっぱり深大寺

2022年07月26日 | 踊る阿呆
深大寺の盆踊りで楽しみにしているのが、
ある一人の少女である。

初めて見た時は、小学校三年生くらいに見えた。

私の後ろで踊る女の子がいた。
私自身、盆踊りを始めた頃に、知らない人にほめてもらえると
とても嬉しかった。だから、曲が終わった時にその子に
「上手だね」と言った。
ちょいとはにかんだ笑顔を見せた。

時々、木の下に立っている年配の女性のもとに行っていた。
おばあちゃんだろうか。

その後も毎年、ばあちゃんと来ている様子だった。

ある年、ものすごい雨が降った。
踊りの輪は、ほんの数人だけとなってしまった。
DJはテントの下だし、櫓には屋根が有るので、盆踊り自体は続行されていた。
私はどうせ近所なので、濡れるのもかまわず踊っていた。

その子も、踊っていた。
土砂降りの中、踊る阿呆。

ばあちゃんも寛大だと思う。
雨ん中で濡れて踊るのは余程の阿呆だ。
親だったら「風邪引くわよ!」とか言って連れて帰るだろう。

他にも雨に濡れて踊った経験は何度も有るけれど、
この時はとても印象に残っている。

数年前、多分3年前にも、お見掛けした。
十代半ばか、もう高校生か。
すっかりおねえさんになっている。
上手な子どもの踊りから、しな良い踊りに変わってきている。

と、思ったら、コロナで盆踊りどころでない世になってしまった。



今日、終盤に主催者の挨拶が有った。
「一ヶ月、開催するかどうか、本当に迷い続けていました。
苦渋の決断でした。」と語っていた。
中止するのも苦渋の決断だろうし、開催するのも苦渋の決断だろう。
迷いは一ヶ月どころの騒ぎじゃないのは想像に難くない。

「子どもたちは我慢の連続で。
夏の思い出を一つでも作ってもらいたく、決断しました。」
大人だって我慢の連続だ。
子どもよりも、大人のほうが、いや年寄りほど、思い出の価値を知っている。



二日とも行った。
あの子はいたのだろうか。
考えてみると、もう成人しているくらいの年頃だろう。
もう、おばあちゃんの付き添いも必要ないだろう。

顔貌は憶えているけれど、見ても分からないかもしれない。
私は化粧の下の顔を見る力が無いアホなんである。



深大寺の盆踊りは一時期、人が減っていた。
しかし、今年は盛況であった。
若い男女が多いのが印象的だった。
そう、二十代男子も踊っている。

地域の盆踊りが縮小し、
運営する人が高齢化し、
このまま盆踊りという文化は廃れてしまうのではないか、
と、数年前には危惧していた。

けれど、そうでもないような気がしてきた。
前回は大正大学だったから学生さんが多いので、
だから若いだけだ、と思ったけれど、
地域の盆踊りでも若者がいるのならば、
未来は明るい。



どこの会場で踊っても、思う。

また来年ここで一緒に踊りましょう!
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« キッド・ボンヲドリック久々... | トップ | プレバト俳句での犬山紙子 »

コメントを投稿

踊る阿呆」カテゴリの最新記事