犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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自分の体は自分で

2022年09月05日 | 椰子の実の中
「自分の体は自分のもの」
と言えば、
あまり反対されないのではないだろうか。

他の誰かのものであるわけがない。

隣にいる友達の頬っぺたをつねったら
自分の頬っぺたが痛かった。
なんてなことは起こらない。

自分の頬っぺたをつねれば、自分が痛い。

これは、簡単に納得できる。

自分が筋トレしたら、職場の同僚がムキムキになった。
なんてなことは起こらない。

自分の生活が、自分の体を作る。

これも、納得できる。



自分の病気は自分のもの
というのはどうだろう。

隣のおじさんが深酒したから
今日は私が二日酔い。
なんてなことは起こらない。

私が暴飲暴食したから、読んでいるあなたが下痢した。
なんてなことは起こらない。

これは納得だろう。



人となりや、生活習慣といったものの総体が
その人を作っている。

どこの国のどこの町に、どんな親のもとに産まれて、
どんな食べ物が好きで、趣味は何で、どんな友達と付き合って、
そういったことの集まりが、その人を作っている。

その人自身とその人を取り巻く全てが、
その人の全体を作っている。

病気も、そのうちの一つである。
今までの自分を作ってきたものが、病気も作っている。
病気は自分の一部分である。自分自身のある一つの側面なんだ。



行動が違えば、結果も変わってくる。
今までの行動が、今の病気を持っている自分を作ってきたのなら、
行動を変えれば、病気のかたちも変わってくる。



「医者に頼ってもダメだわ。
自分の体は自分でなんとかすることにした。」
友人Kが腹を括ったのは、五十代のことだったと言う。

自分の行動の結果がバンバカ現れ、
因果の全体を眺める胆力も備わっていた、ということだろう。



文明というのは、分業化・専門化の歴史でもあると思う。

自分の食べる野菜は自分ちの畑で作る。
自分の着る服は自分で作る。
原始社会だったら、そうだったかもしれない。
生活全体が、村の中に在り、
自分でやらなきゃどうにもならなかった。

近年(?)になって、貨幣というものができて、
必要なものはお金で買えるようになった。
都市部では特に、市民は消費する立場になっている。

食べるものも着るものも、家も家電も乗り物も、
生活にまつわるほとんどの物を、
私のような都市生活者は、お金を払って手に入れている。

医療も同様だ。
「病気になったらお金を払って医者に治してもらう」
という、消費者としての感覚が蔓延している。
特に日本は、医療保険制度が整っている。

多くの人が安価に医薬を受けることができるのは
とても良いことだ。
しかし、自分の心身の健康を自分で管理する、という感覚が
そげているのも事実だと思う。

「薬を貰う」とか
「ワクチンはタダなんだから打っとけ」といった言い方には
制度によって骨抜きにされた、医療消費者の感覚が表れていると思う。

分業化専門化によって無責任化まで起きてしまっている。
私は、医療の無償化などは、そういう理由で反対だ。
「タダだし医者行って薬貰えばいい」と思っていたら、
自分の体の声を聞く感覚はなかなか身に付かないだろう。

むしろ、病気を近付けない心身を作るためには
どのように生きていったら良いか、
ということこそを、義務教育の中で教えたら良いと思う。

基本的で、生活に添った、生理学や病理学や薬学、
解剖学や運動法、食事法や思考法。
特に、呼吸法と、歩き方・立ち方・座り方という姿勢について
教育すると良いと思う。

医薬界と政財界などの利権に絡め取られない教育がされたら良いけれど、
いやー、書いていて、無理じゃんと思うわ。

実現するには王様になるしか無いねー。
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