燃やせるゴミが、出ない。
野菜くずや卵の殻などは、コンポスターに入れる。
紙くずなどフツウの火力で燃やせるゴミは、薪ストーブの焚きつけに使う。
だから、燃やせるゴミがほとんど出ない。
燃やせるゴミとして分別してゴミ回収に出すのは、
どうにも油汚れのひどいプラ製品くらいだろうか。
それも、量は少ない。
市指定のゴミ袋のSサイズでも大きい。
Mサイズの袋が余っている。
冬だし、家の中の寒い所に置いておけば、
虫がわくでもにおうでもない。
燃やせるゴミを滅多に出さない家になった。
※
6月末に母が特別養護老人ホームに入居した。
それまでは、燃やせるゴミはとても多かった。
その頃は生きていた飼い犬ジーロくんは、
室内の犬トイレで用を足したので、トイレシートも廃棄していた。
燃やせるゴミの収集は週に2回有る。
その度に、Mサイズの袋を1つか2つと、
おむつの袋を2つ出していた。
それが、
週に1度Sサイズを出すか、出さないか
になった。
※
ミニマリズムなんか笑い飛ばせるような、
持続可能な須山家を目指すのだ。
そして数年後は日本から独立する。
独立国家須山になる。(独立宣言の前倒し)
※
国家という言葉に「家」が付くってのも、
おもしろいことだ。
須山家と言ってみて、奇妙な感覚が有る。
ここで私は独り暮らしをしている。
家庭を営んでいるという感覚は無い。
建物として「家」と呼ぶのは分かるが、
家庭や家族という意味での「家」は
嫌いで嫌いでしょうがない。
国家とは、どういう意味合いの言葉なのだろうか。
※
年末はどこの家も片付けをするので、
ゴミの量が多くなる。
燃やせるゴミの日も、燃やせないゴミの日も、
すごい量の袋を出している家をしばしば見る。
この時期は落ち葉や剪定枝も多い。
集中すると、設備がパンクしてしまう。
なんでも分散させたほうが、公共にとっては負担が軽くて済む。
年末はゴミを出さないことにした。
年始も同様である。
正月休みの間に出せなかったゴミを、多くの家庭が一気に出す。
ゴミが多いと、収集車が満杯になってしまい、いつもの収集回数では足りなくなる。
なんでも分散させたほうが(以下同文)
年始はゴミを(以下同文)
※
一つの国という単位のもと、国の民は家族である、
というような意味が「国家」の「家」に含まれているとしたら、
ゲロゲロである。
日本国憲法で国家がどのように定義されているのか、
個人との関わりはどのようなものとされているのか、
調べる必要が有る。
けど得意分野じゃないから後回しにする。
とりあえず、手近に有る小学館国語大辞典を引いてみる。
文献的な初出に強い辞書だ。
604年の十七箇条憲法で用いられている。
なるほど、それ以上ぐいぐい遡ろうと思ったら、
中国へ渡らねばなるまい。
渡ることにする。
手近に有る大修館大漢和辞典を引いてみる。
【國家】コクカ ①くに。王室と國土。②天子。王。③諸侯の國と卿大夫の家。④現在の朝廷。
⑤一定の地域に居住する多数人から成り、統治権によって組織せられている団体。
ほほう。
ルイなんちゃら世が「朕は国家なり」とのたまったが、
②に当てはまるわけだな。
国家と聞いて私がすぐに思い浮かぶ意味は⑤が近い。
近いが、イコールではない。
ここで示しているのは、団体つまり国民の総体のことだ。
私は「国家」とは統治したりされたりしている全体のことだと思っていた。
ん?同じことか。
なんとなく統治している側に寄った意味と感じていたのが、
ちょっと違うところか。
出典を見ると、易経繋辞伝だの左氏伝だの周礼だの漢書だの晋書だのが並んでいるので、
ま、古い。(雑
これは「家」のほうも調べなきゃならんなと分かりつつめんどくさい。
追い込み項目を眺めていると、〖國家思想〗というのが目に入る。
③人生観・社会観の上に国家を以て人類努力の最高目標とし、
個人の活動は、国家に対する貢献の見地においてのみ意義ありとする思想。
うひー。ばっかじゃねえの。
自分が働くのも、自分が子育てするのも、自分が健康管理するのも、
自分が風呂入るのも歌うたうのも犬の散歩するのも全部
国のためになるからこそ。ってことかい!
…ふと人類の歴史を振り返る。
特段珍しい思想でもなく、私ももう少しだけ早く生まれていたら
経験していただろう。
※
なんの話だっけ。
ああ、ゴミゴミ、燃やせるゴミ。
燃やせるゴミを年末年始出さずにいた。
1月半ばになって、
新年4回目の燃やせるゴミの収集日。
家の前にペールを置いて燃やせるゴミを出しておいたが、
収集されなかった。
自宅は細い道の途中に在り、
ウチのためだけに係員さんは道を入って来なければならない。
何週間もパスしていたら、
忘れ去られてしまったようだ…
野菜くずや卵の殻などは、コンポスターに入れる。
紙くずなどフツウの火力で燃やせるゴミは、薪ストーブの焚きつけに使う。
だから、燃やせるゴミがほとんど出ない。
燃やせるゴミとして分別してゴミ回収に出すのは、
どうにも油汚れのひどいプラ製品くらいだろうか。
それも、量は少ない。
市指定のゴミ袋のSサイズでも大きい。
Mサイズの袋が余っている。
冬だし、家の中の寒い所に置いておけば、
虫がわくでもにおうでもない。
燃やせるゴミを滅多に出さない家になった。
※
6月末に母が特別養護老人ホームに入居した。
それまでは、燃やせるゴミはとても多かった。
その頃は生きていた飼い犬ジーロくんは、
室内の犬トイレで用を足したので、トイレシートも廃棄していた。
燃やせるゴミの収集は週に2回有る。
その度に、Mサイズの袋を1つか2つと、
おむつの袋を2つ出していた。
それが、
週に1度Sサイズを出すか、出さないか
になった。
※
ミニマリズムなんか笑い飛ばせるような、
持続可能な須山家を目指すのだ。
そして数年後は日本から独立する。
独立国家須山になる。(独立宣言の前倒し)
※
国家という言葉に「家」が付くってのも、
おもしろいことだ。
須山家と言ってみて、奇妙な感覚が有る。
ここで私は独り暮らしをしている。
家庭を営んでいるという感覚は無い。
建物として「家」と呼ぶのは分かるが、
家庭や家族という意味での「家」は
嫌いで嫌いでしょうがない。
国家とは、どういう意味合いの言葉なのだろうか。
※
年末はどこの家も片付けをするので、
ゴミの量が多くなる。
燃やせるゴミの日も、燃やせないゴミの日も、
すごい量の袋を出している家をしばしば見る。
この時期は落ち葉や剪定枝も多い。
集中すると、設備がパンクしてしまう。
なんでも分散させたほうが、公共にとっては負担が軽くて済む。
年末はゴミを出さないことにした。
年始も同様である。
正月休みの間に出せなかったゴミを、多くの家庭が一気に出す。
ゴミが多いと、収集車が満杯になってしまい、いつもの収集回数では足りなくなる。
なんでも分散させたほうが(以下同文)
年始はゴミを(以下同文)
※
一つの国という単位のもと、国の民は家族である、
というような意味が「国家」の「家」に含まれているとしたら、
ゲロゲロである。
日本国憲法で国家がどのように定義されているのか、
個人との関わりはどのようなものとされているのか、
調べる必要が有る。
けど得意分野じゃないから後回しにする。
とりあえず、手近に有る小学館国語大辞典を引いてみる。
文献的な初出に強い辞書だ。
604年の十七箇条憲法で用いられている。
なるほど、それ以上ぐいぐい遡ろうと思ったら、
中国へ渡らねばなるまい。
渡ることにする。
手近に有る大修館大漢和辞典を引いてみる。
【國家】コクカ ①くに。王室と國土。②天子。王。③諸侯の國と卿大夫の家。④現在の朝廷。
⑤一定の地域に居住する多数人から成り、統治権によって組織せられている団体。
ほほう。
ルイなんちゃら世が「朕は国家なり」とのたまったが、
②に当てはまるわけだな。
国家と聞いて私がすぐに思い浮かぶ意味は⑤が近い。
近いが、イコールではない。
ここで示しているのは、団体つまり国民の総体のことだ。
私は「国家」とは統治したりされたりしている全体のことだと思っていた。
ん?同じことか。
なんとなく統治している側に寄った意味と感じていたのが、
ちょっと違うところか。
出典を見ると、易経繋辞伝だの左氏伝だの周礼だの漢書だの晋書だのが並んでいるので、
ま、古い。(雑
これは「家」のほうも調べなきゃならんなと分かりつつめんどくさい。
追い込み項目を眺めていると、〖國家思想〗というのが目に入る。
③人生観・社会観の上に国家を以て人類努力の最高目標とし、
個人の活動は、国家に対する貢献の見地においてのみ意義ありとする思想。
うひー。ばっかじゃねえの。
自分が働くのも、自分が子育てするのも、自分が健康管理するのも、
自分が風呂入るのも歌うたうのも犬の散歩するのも全部
国のためになるからこそ。ってことかい!
…ふと人類の歴史を振り返る。
特段珍しい思想でもなく、私ももう少しだけ早く生まれていたら
経験していただろう。
※
なんの話だっけ。
ああ、ゴミゴミ、燃やせるゴミ。
燃やせるゴミを年末年始出さずにいた。
1月半ばになって、
新年4回目の燃やせるゴミの収集日。
家の前にペールを置いて燃やせるゴミを出しておいたが、
収集されなかった。
自宅は細い道の途中に在り、
ウチのためだけに係員さんは道を入って来なければならない。
何週間もパスしていたら、
忘れ去られてしまったようだ…
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