犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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ザ・禁句ス 決め付ける。

2015年02月10日 | the 禁句s
ヨノナカ騒々しい。交通マナーについて書いている場合ではない。
外堀から埋めることにする。

ひとの言葉遣いは、その人の物の捉え方や行動の選び方を自ずと表す。
「悩む」という言葉をよく使う人は実際に悩みが多いかもしれない。
悩まない人は「悩む」という言葉を忘れて過ごしているかもしれない。
疲れたと感じるから「疲れたー」と言う。
そして、疲れを感じて「疲れた」と言ったことがあるから、
ひとに「お疲れさま」と挨拶できるのかもしれない。

以前も書いたが、そんなふうに考えるようになったできごとがある。
「須山さんは優しいね」と言われたのだが、
言った人は私よりはるかに日頃から優しい人だったのだ。
なんだってこんな優しい人がわざわざ私のことを優しいなどと言うのか。
言葉はその人自身を表す、ということのようだと、
愚考の末にたどり着いた。

であれば、そうありたい言葉はじゃんじゃん遣い、
そうありたくないような言葉はなるべく遣いたくない。
ひとをほめるのには、そんな効果もあるかもしれない。
一方で、遣わないようにする言葉のリストが、自分の中でできていった。

ある人と話をしていて、
どうも何かと自分の推測から物事を判断しがちな人だな、と
感じる相手がいた。
推測がうまく進んでいればいいのだが、
いくつか仮定してみてその中からより正確そうなものを選ぶとか、
そのためによく対象を観察するとか、
していない。
そのため、判断は間違っていることが多い。
要するに、自分の思い込みでものごとを見ている。

その人と話していると、「決めつける」という言葉をよく遣う。

その時、「決めつける」の主語はその人自身ではない。
だが、はたで聞いていると、どうも決めつけているのは
その人のように思えてならない。

どうも決めつけられるというのは迷惑なことだ。
だからなるべくなら自分がひとに何かを決めつけたくはない。
そのためにはまず、自分が普段、「決めつける」という言葉を
どんな時にどれくらい遣っているか、意識してみる。

遣っているようならやめて、「決めつける」回路を解消しようとしてみる。

私にとって、禁句というのは、そういう作用があると考えている。

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