蕗を刈り取る。
湯がいて煮て食う。
とは言え、
庭中に広がり過ぎて、多い。
取って食って取って食っても、減りゃしない。
地下茎で伸びて広がって、殖える殖える。
冬の間に、地下茎を掘り起こして、ずいぶん捨てた。
「ご自由にお持ちください」
と書いて道端に置いておいたが、
誰も持って行きゃしない。
湯がいて煮てパッケージして
「ご自由にお持ちください」
と書いて置いておいたら持って行く人もいるだろうか。
今どき、そんなアヤシゲな物を持って行って口に入れる人はいないか。
じゃあ、代金百円だったらどうだろうか。
いや、そんなら、刈り取った蕗を束で置いて百円としたほうが
持って行く人は多いだろう。
そんな愚にもつかぬことを思い巡らすほど、
たくさん採れた。
しまった。こんなに食えん。
※
しめた!お隣から声が聞こえる。
ポリ袋に大量のしかし全体のほんの四分の一ほどの蕗を入れて、
外へ飛び出し、塀越しに声を掛ける。
「蕗はお好きですか?」
お隣のおじさん(88歳)は、久しぶりに会ったら随分と耳が遠くなったようだ。
我が家の物干し場と、お隣の庭は隣接している。
以前は、私が洗濯物を干していると、おじさんは気付いて挨拶してくれたものだが、
この頃はそんな様子が無くなっていた。
私が物を干す音も耳に届かなくなっていたのかもしれない。
「こんなにたくさん、かえってご迷惑ではないですか?多過ぎませんか?」
「いやいや、好きですから。」
と、くしゃくしゃの顔で喜んでくれた。
ほッ。
※
友人Pから突然、ランチのお誘いが来た。
「蕗、要る?」
忙しそうなので、多過ぎない量を、下ごしらえして持参した。
※
下ごしらえがちょっと面倒だ。
たっぷりの塩で擦って、湯がいて、冷水で冷まして、皮を引く。
文字で書けばこれだけのことだが、
大量の蕗を一人で黙々と剥くのは、ちょっと気が重い。
その点、誰かと一緒におしゃべりしながら作業すると、
あら不思議、あっという間に剥きあがる。という気がする。
だから、今日は我が音楽的相棒である山ちゃんを召喚しておいた。
山ちゃんは蕗が好きだ。
蕗をおかずに主食の蕗を食べても飽きないと言う。
そんなに好きか。
私は、飽きる。
蕗は好きだが、飽きてしまう。
一度食べたら次の日は食べなくてもいいし、
三度食べたら次の一週間は食べなくてもいい。
…。
それは「好き」と言えるのだろうか。
山ちゃんの「好き」と比べたら、「別にそうでもない」の部類にさえ入るのではないか。
※
一緒に作業して、
途中から缶ビールを開け、
筍をつまみ、
せっかくなので早速、蕗を炊き、
ついでに皮蛋豆腐も出して、
つまんで飲む。
私は一人で食って飲んでもかなり楽しむほうだが、
ひとと食って飲むのはまた旨いものだ。
※
材木の高騰について思うとき、
食事について思うとき、
国としての自給率が要点だと考える。
第一次産業は国の基盤として重要だ。
少なくとも、
我が国家の蕗の自給率はかなり高い。
国内の需要はさほど大きくない。
産出量のうち多くは輸出に回される。といったところだ。
※
蕗が庭に広がり過ぎている。
若い株はどうせ細いものしか生えてこない。
食いでが無い。
太い茎が採れる大きな株だけ残して、
若い株は掘り起こして捨てることにしよう。
蕗を刈り終わってみて、思った。
これは、
混んでいたところを間引きして、より立派な蕗が育つように
お世話しているに過ぎないのではないか?
湯がいて煮て食う。
とは言え、
庭中に広がり過ぎて、多い。
取って食って取って食っても、減りゃしない。
地下茎で伸びて広がって、殖える殖える。
冬の間に、地下茎を掘り起こして、ずいぶん捨てた。
「ご自由にお持ちください」
と書いて道端に置いておいたが、
誰も持って行きゃしない。
湯がいて煮てパッケージして
「ご自由にお持ちください」
と書いて置いておいたら持って行く人もいるだろうか。
今どき、そんなアヤシゲな物を持って行って口に入れる人はいないか。
じゃあ、代金百円だったらどうだろうか。
いや、そんなら、刈り取った蕗を束で置いて百円としたほうが
持って行く人は多いだろう。
そんな愚にもつかぬことを思い巡らすほど、
たくさん採れた。
しまった。こんなに食えん。
※
しめた!お隣から声が聞こえる。
ポリ袋に大量のしかし全体のほんの四分の一ほどの蕗を入れて、
外へ飛び出し、塀越しに声を掛ける。
「蕗はお好きですか?」
お隣のおじさん(88歳)は、久しぶりに会ったら随分と耳が遠くなったようだ。
我が家の物干し場と、お隣の庭は隣接している。
以前は、私が洗濯物を干していると、おじさんは気付いて挨拶してくれたものだが、
この頃はそんな様子が無くなっていた。
私が物を干す音も耳に届かなくなっていたのかもしれない。
「こんなにたくさん、かえってご迷惑ではないですか?多過ぎませんか?」
「いやいや、好きですから。」
と、くしゃくしゃの顔で喜んでくれた。
ほッ。
※
友人Pから突然、ランチのお誘いが来た。
「蕗、要る?」
忙しそうなので、多過ぎない量を、下ごしらえして持参した。
※
下ごしらえがちょっと面倒だ。
たっぷりの塩で擦って、湯がいて、冷水で冷まして、皮を引く。
文字で書けばこれだけのことだが、
大量の蕗を一人で黙々と剥くのは、ちょっと気が重い。
その点、誰かと一緒におしゃべりしながら作業すると、
あら不思議、あっという間に剥きあがる。という気がする。
だから、今日は我が音楽的相棒である山ちゃんを召喚しておいた。
山ちゃんは蕗が好きだ。
蕗をおかずに主食の蕗を食べても飽きないと言う。
そんなに好きか。
私は、飽きる。
蕗は好きだが、飽きてしまう。
一度食べたら次の日は食べなくてもいいし、
三度食べたら次の一週間は食べなくてもいい。
…。
それは「好き」と言えるのだろうか。
山ちゃんの「好き」と比べたら、「別にそうでもない」の部類にさえ入るのではないか。
※
一緒に作業して、
途中から缶ビールを開け、
筍をつまみ、
せっかくなので早速、蕗を炊き、
ついでに皮蛋豆腐も出して、
つまんで飲む。
私は一人で食って飲んでもかなり楽しむほうだが、
ひとと食って飲むのはまた旨いものだ。
※
材木の高騰について思うとき、
食事について思うとき、
国としての自給率が要点だと考える。
第一次産業は国の基盤として重要だ。
少なくとも、
我が国家の蕗の自給率はかなり高い。
国内の需要はさほど大きくない。
産出量のうち多くは輸出に回される。といったところだ。
※
蕗が庭に広がり過ぎている。
若い株はどうせ細いものしか生えてこない。
食いでが無い。
太い茎が採れる大きな株だけ残して、
若い株は掘り起こして捨てることにしよう。
蕗を刈り終わってみて、思った。
これは、
混んでいたところを間引きして、より立派な蕗が育つように
お世話しているに過ぎないのではないか?
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