[あらすじ] 去年の10月から、今まで敬遠していた毛筆を始めたら
楽しくてほぼ毎日書いている。
旧友仮名(仮名)は仮名を書くひとだ。
ああややこしい。
旧友Kはかな文字が専門だが、お習字の先生もやっている。
年末に「忙しい忙しい」と言っている。
師走に先生は忙しいと言う。
書初めの練習の指導で忙しいと言うのだ。
へーなるほど、と思ってから1日経過してやっとそれが自分の身にも関係あることに気付いた。
書初め、今年はやんなきゃ。
そう思ったものの、大晦日から風邪を引いたので、
筆を持つ気にもなれず、旧暦でやるという形をとることでゴマカシた。
その、旧正月がやってきた。
※
『千字文』というものがある。
http://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/452515885c5c60d4bf7299b5258c5088
4字で一句の詩の形になっているが、一字として重複が無い。
梁の武帝(464-549)の時代に、王羲之(おうぎし 303-361)の字を組み合わせて
作られたものだ、ということになっている。
書のお手本がそれまで無かったかと言うとそんなことはない。
前漢(紀元前206年 - 8年)の史游が作ったとされる『急就篇』(きゅうしゅうへん)だ。
さらにさかのぼれば、篆書の『史籀篇』(しちゅうへん)や『蒼頡篇』(そうけつへん)
などなどが有るのだが、今に伝わっていない。
しかし、二十世紀はじめに敦煌から『蒼頡篇』の一部分を書いた木簡が発掘された。
興奮するね。さかのぼり癖がくすぐられる。
同じく敦煌から『急就篇』の一部分が出土している。
全部で34章2144字ということだが、そのうちのほんの一本だ。
これを、書初めしよう。
※
半紙に書いたんじゃつまんない。
そっくりに作ってみよう。
木簡は、幅7mm前後、長さ22cmくらいの薄くて細いものを、紐で綴って
ちょうど巻き寿司を作る簾みたいなふうにする。
だが、『急就篇』はちょいと違って、觚(こ)と呼ばれる、断面が三角形の棒に書いてある。
三角形の2辺は幅およそ2.1cm、長い1辺は幅2.9cmの、二等辺三角形だ。
上の端にひとつ、穴があけてある。
紐を通したのだろうけれど、どのように綴って、どうやって使っていたのだろう。
調べると、出土した木簡の材は、半数が紅柳、3割が雲杉(トウヒ)、1割が胡楊だという。
そこまでこだわるこたあないか。
ストーブの薪として、木は家にやたらと有る。
桜や何かを割ってみるが、曲がり過ぎていたり、スジが強くて平らにするのがたいへんそうだったり。
もっと、やわらかめでまっすぐで加工しやすいもの、と思って、
すでに角材になっているものを割って使うことにした。
鉈で三角に割って、ここは楽をしてグラインダーで平らにして、
最後は紙やすりを丁寧にかけた。
昔の人は、どうやって觚を作っていたのだろう。
割りっぱなしだと木の繊維が強く残って、タテスジが激しく、
文字の横画はブツ切れになってしまう。
しかしやすりをかけるのはかなり手間だ。
急就篇のものではないが、他の觚の写真を見ると、
一文字分凹んでいる箇所がちょくちょくある。
これは、書き損じた文字を削り落として書き直しているのだろう。
刃物で削れるくらいの、やわらかめの材を使っているのだろう。
手持ちの切り出し刀では、ちょっと威力に欠ける。
もう少し大きい刃を持っていたら、削って書いてみるところだったが。
※
裏面や内容は、明日につづく
楽しくてほぼ毎日書いている。
旧友仮名(仮名)は仮名を書くひとだ。
ああややこしい。
旧友Kはかな文字が専門だが、お習字の先生もやっている。
年末に「忙しい忙しい」と言っている。
師走に先生は忙しいと言う。
書初めの練習の指導で忙しいと言うのだ。
へーなるほど、と思ってから1日経過してやっとそれが自分の身にも関係あることに気付いた。
書初め、今年はやんなきゃ。
そう思ったものの、大晦日から風邪を引いたので、
筆を持つ気にもなれず、旧暦でやるという形をとることでゴマカシた。
その、旧正月がやってきた。
※
『千字文』というものがある。
http://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/452515885c5c60d4bf7299b5258c5088
4字で一句の詩の形になっているが、一字として重複が無い。
梁の武帝(464-549)の時代に、王羲之(おうぎし 303-361)の字を組み合わせて
作られたものだ、ということになっている。
書のお手本がそれまで無かったかと言うとそんなことはない。
前漢(紀元前206年 - 8年)の史游が作ったとされる『急就篇』(きゅうしゅうへん)だ。
さらにさかのぼれば、篆書の『史籀篇』(しちゅうへん)や『蒼頡篇』(そうけつへん)
などなどが有るのだが、今に伝わっていない。
しかし、二十世紀はじめに敦煌から『蒼頡篇』の一部分を書いた木簡が発掘された。
興奮するね。さかのぼり癖がくすぐられる。
同じく敦煌から『急就篇』の一部分が出土している。
全部で34章2144字ということだが、そのうちのほんの一本だ。
これを、書初めしよう。
※
半紙に書いたんじゃつまんない。
そっくりに作ってみよう。
木簡は、幅7mm前後、長さ22cmくらいの薄くて細いものを、紐で綴って
ちょうど巻き寿司を作る簾みたいなふうにする。
だが、『急就篇』はちょいと違って、觚(こ)と呼ばれる、断面が三角形の棒に書いてある。
三角形の2辺は幅およそ2.1cm、長い1辺は幅2.9cmの、二等辺三角形だ。
上の端にひとつ、穴があけてある。
紐を通したのだろうけれど、どのように綴って、どうやって使っていたのだろう。
調べると、出土した木簡の材は、半数が紅柳、3割が雲杉(トウヒ)、1割が胡楊だという。
そこまでこだわるこたあないか。
ストーブの薪として、木は家にやたらと有る。
桜や何かを割ってみるが、曲がり過ぎていたり、スジが強くて平らにするのがたいへんそうだったり。
もっと、やわらかめでまっすぐで加工しやすいもの、と思って、
すでに角材になっているものを割って使うことにした。
鉈で三角に割って、ここは楽をしてグラインダーで平らにして、
最後は紙やすりを丁寧にかけた。
昔の人は、どうやって觚を作っていたのだろう。
割りっぱなしだと木の繊維が強く残って、タテスジが激しく、
文字の横画はブツ切れになってしまう。
しかしやすりをかけるのはかなり手間だ。
急就篇のものではないが、他の觚の写真を見ると、
一文字分凹んでいる箇所がちょくちょくある。
これは、書き損じた文字を削り落として書き直しているのだろう。
刃物で削れるくらいの、やわらかめの材を使っているのだろう。
手持ちの切り出し刀では、ちょっと威力に欠ける。
もう少し大きい刃を持っていたら、削って書いてみるところだったが。
※
裏面や内容は、明日につづく
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