[あらまし] 同居の母85歳。パーキンソン病。
変形性股関節症のため、左股関節を人口関節の置換。
その後、脚長差が出たので、右を1.5cm補高。
朝4時。
起床して階下へ行くと、母が台所の床に伏している。
昨冬以来、久しぶりの転倒か。
※
私は早寝早起きだ。
それが体にいいから、とかいうことではなく、
性質なのか。
子どもの頃から割に寝起きは良かった。
寝坊で遅刻とか、朝せかされるとか、したことが無い。
夜寝るのもこの頃早い。
八時半に携帯が鳴っても気付いてなかったりする。
※
食卓の上はマットがずれてめくれ、
夕飯が散乱している。
倒れかかった時に食卓につかまって、
ぐちゃぐちゃになったのだろう。
夕飯を食べようとしていたなら、
せいぜい遅くとも八時台か。
倒れてから、眠っていたそうだ。
どうやって転んだか説明できる?と聞いたら「できる。」と言う。
しかし、4時だと言ったら驚いているし、ベッドの横にいるつもりになっている。
時間も場所も分かっていない。
どうやって転んだのか、聞くのはやめた。
※
私は風呂が好きだ。
長湯するわけではないが、無上のひとときだと思う。
早寝なので、6時頃に風呂に入る習慣だった。
しかし、母の介護のためにヘルパーさんが来る時間帯になってしまった。
自分の好きなタイミングにゆっくりと入浴できないのは、ちょっとつらい。
たまには羽を伸ばそうと、先日は銭湯に行った。
洗い場に、婆ちゃんがいる。
痩せて、背が曲がっている。
でも、一人で銭湯に来て、自分で体を洗っている。
腰の両側に、股関節の手術痕が有る。
自分で入浴できて、立派なことだと思う。
どのような状況で暮らすか、本当に一人ひとり違うものだ。
※
昨日、入浴付きのデイサービスから帰宅した後、
母は靴を洗っていた。
右の靴底に補高した上履きで、家の中でも常に履いている。
履かないと、バランスが悪く、歩きにくくなる。
常に履いておくものだ。
「デイサービスではあまり履かないから」と言って、
持っていかない日が有る。これもムラが有って持って行く日も有るのだが。
持っていかなかった時の留守中に、すかさず私が洗う。
その他は常に履くように言っている。
洗うのは私が洗うとも言っている。
デイサービスに行く時も、靴を履き替えるのは玄関で、と言っている。
しかし、それでも奥の部屋で靴を脱いでしまうことがちょくちょく有る。
それはいけない、と説明しても怒っても、ぬらりひょんとしている。
※
物を持って運ばないで良い、私がやります。と言っている。
それでも「良かれと思って」運ぶ。
荷物で手が塞がったら、杖も持てないし、つかまれない。
荷物の重さでバランスも崩す。
何が一番の良かれかと言ったら、自分が転ばないように配慮することなのだが、
それが分からない。
いくら「荷物は運ばない」「靴は玄関で履き替える」「靴は洗わない」
などの前提を言っても、その時そのときに自分の考えによって行動するので、
原則は原則にならない。
(まるで日本国憲法みたいだ。)
すべては、転倒しないためですよ、
転倒してケガしたら、軽くても夜間診療に行く騒ぎになったり、
入院ということになれば家にはいられなくなりますよ、
と話しても、その場その場で自分の考えがふくらむ。
※
4時。ヘルパーさんが来て朝の薬をのむまで2時間有る。
とんぷくでドーパミン剤をのませる。
薬をのまないと、体の動きが悪いので、
起き上がるだのベッドに移動するだのがやりにくい。
薬をのみ、しばらくして仰臥位に起こし、しばらくして上体を起こし、
さらにしばらくしてから四つん這いの形にし、
はいはいでベッドサイドへ移動した。
ベッドサイドに置いてあった、就寝前にのむ薬が無くなっている。
つまり、のんである。
就寝前の薬は、ふらつきの副作用も有る薬だ。
だから、ベッドサイドに置いてあり、いざ寝るというその時にのめるようにしてある。
就寝前の薬をのんである、これは寝る直前にのむはずのものじゃないか、と言うと、
「そうしてるわよ。不思議ね。」とぬらりひょんと答える。
行動の前後関係など、ちぐはぐになっている。
※
そんな朝。
犬の散歩に出たら、深大寺の鐘の音が聞こえた。
こっちまで聞こえるのは珍しい。
空気が冷えた証拠だろう。
変形性股関節症のため、左股関節を人口関節の置換。
その後、脚長差が出たので、右を1.5cm補高。
朝4時。
起床して階下へ行くと、母が台所の床に伏している。
昨冬以来、久しぶりの転倒か。
※
私は早寝早起きだ。
それが体にいいから、とかいうことではなく、
性質なのか。
子どもの頃から割に寝起きは良かった。
寝坊で遅刻とか、朝せかされるとか、したことが無い。
夜寝るのもこの頃早い。
八時半に携帯が鳴っても気付いてなかったりする。
※
食卓の上はマットがずれてめくれ、
夕飯が散乱している。
倒れかかった時に食卓につかまって、
ぐちゃぐちゃになったのだろう。
夕飯を食べようとしていたなら、
せいぜい遅くとも八時台か。
倒れてから、眠っていたそうだ。
どうやって転んだか説明できる?と聞いたら「できる。」と言う。
しかし、4時だと言ったら驚いているし、ベッドの横にいるつもりになっている。
時間も場所も分かっていない。
どうやって転んだのか、聞くのはやめた。
※
私は風呂が好きだ。
長湯するわけではないが、無上のひとときだと思う。
早寝なので、6時頃に風呂に入る習慣だった。
しかし、母の介護のためにヘルパーさんが来る時間帯になってしまった。
自分の好きなタイミングにゆっくりと入浴できないのは、ちょっとつらい。
たまには羽を伸ばそうと、先日は銭湯に行った。
洗い場に、婆ちゃんがいる。
痩せて、背が曲がっている。
でも、一人で銭湯に来て、自分で体を洗っている。
腰の両側に、股関節の手術痕が有る。
自分で入浴できて、立派なことだと思う。
どのような状況で暮らすか、本当に一人ひとり違うものだ。
※
昨日、入浴付きのデイサービスから帰宅した後、
母は靴を洗っていた。
右の靴底に補高した上履きで、家の中でも常に履いている。
履かないと、バランスが悪く、歩きにくくなる。
常に履いておくものだ。
「デイサービスではあまり履かないから」と言って、
持っていかない日が有る。これもムラが有って持って行く日も有るのだが。
持っていかなかった時の留守中に、すかさず私が洗う。
その他は常に履くように言っている。
洗うのは私が洗うとも言っている。
デイサービスに行く時も、靴を履き替えるのは玄関で、と言っている。
しかし、それでも奥の部屋で靴を脱いでしまうことがちょくちょく有る。
それはいけない、と説明しても怒っても、ぬらりひょんとしている。
※
物を持って運ばないで良い、私がやります。と言っている。
それでも「良かれと思って」運ぶ。
荷物で手が塞がったら、杖も持てないし、つかまれない。
荷物の重さでバランスも崩す。
何が一番の良かれかと言ったら、自分が転ばないように配慮することなのだが、
それが分からない。
いくら「荷物は運ばない」「靴は玄関で履き替える」「靴は洗わない」
などの前提を言っても、その時そのときに自分の考えによって行動するので、
原則は原則にならない。
(まるで日本国憲法みたいだ。)
すべては、転倒しないためですよ、
転倒してケガしたら、軽くても夜間診療に行く騒ぎになったり、
入院ということになれば家にはいられなくなりますよ、
と話しても、その場その場で自分の考えがふくらむ。
※
4時。ヘルパーさんが来て朝の薬をのむまで2時間有る。
とんぷくでドーパミン剤をのませる。
薬をのまないと、体の動きが悪いので、
起き上がるだのベッドに移動するだのがやりにくい。
薬をのみ、しばらくして仰臥位に起こし、しばらくして上体を起こし、
さらにしばらくしてから四つん這いの形にし、
はいはいでベッドサイドへ移動した。
ベッドサイドに置いてあった、就寝前にのむ薬が無くなっている。
つまり、のんである。
就寝前の薬は、ふらつきの副作用も有る薬だ。
だから、ベッドサイドに置いてあり、いざ寝るというその時にのめるようにしてある。
就寝前の薬をのんである、これは寝る直前にのむはずのものじゃないか、と言うと、
「そうしてるわよ。不思議ね。」とぬらりひょんと答える。
行動の前後関係など、ちぐはぐになっている。
※
そんな朝。
犬の散歩に出たら、深大寺の鐘の音が聞こえた。
こっちまで聞こえるのは珍しい。
空気が冷えた証拠だろう。
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