増えるの反対は減る、進むの反対は退く。
増進の反対は減退だよ。げんなり。
LGBT理解増進法ができてしまった。
ちょっと困った枝葉がくっついて決まってしまった。
詳しいことは、松岡宗嗣さんの記事がよくまとまっているので、
ご一読いただけたら嬉しい。
どのような点が問題なのか。
https://news.yahoo.co.jp/byline/matsuokasoshi/20230619-00354384
どのような経緯で案が変わっていったか。
https://news.yahoo.co.jp/byline/matsuokasoshi/20230610-00353187
※
私は女性の身体で生まれてきた。
けれど女性に恋をする。
自分の身体の女性らしい部分には常に違和感を抱いている。
女性に惹かれる気持ちが有ったのは、幼稚園くらいからだったと思う。
報われない初恋みたいなもんは、11歳くらいだったか。
小学生の頃には身体の性別違和が有ったのは憶えている。
朝起きたらちんちんできてないかな、と思いながら布団に入ったものだ。
※
私は親にもカムアウトしていない。
親は一番身近な異性愛者なのだ。
親しい友人には、二十歳くらいの頃から少しづつ、カムアウトしてきた。
親しい友人とて、良い反応ばかりではない。
だから、大雑把に言えば、自分の性自認や恋愛対象は、隠して生きてきた。
返ってくる言葉が怖い。
親しい人ほど、怖い。
それまで信頼していた人が、一番怖い人になってしまうのだ。
※
隠していれば、さげすまれたりわらわれたりすることは避けられる。
隠していても、誰かがさげすまれたりわらわれたりするのを見ることは有る。
隠すということは、ただ事実を伏せているだけでは貫けない。
ちょっとづつ毎日、嘘をつく必要が出る。
常に自分を偽り続けることになる。
これは、想像以上に自分のたましいを傷付ける。
※
隠して生きていこうと思えば、ずいぶん隠し通せる。
そういう人は、私ばかりではない。
表に見える人よりも多いのではないだろうか。
だから、実際よりも、同性愛者はいないと思われている。
自分の存在を否定されるのは、つらいことだ。
認めてもらえていないということが分かると、
消えてしまいたくなる。
私が一緒に生きていきたいと思う人と一緒に生きていくことを保証する法律が、
日本には無い。
周囲の人が結婚して「おめでとう」なんて言われたり
「お幸せに」なんて言われたりするのを見るにつけ、
つまり私の将来に幸せは無いのだ、と感じた。
日本の国家は私の幸福を担保していない。
※
私は今、こうしてブログに自分の性自認や恋愛対象を明らかにして書いている。
9年くらい前に、それ以前から続けていたこのブログの中でカムアウトした。
読者には小学校・中学校・高校・大学や専門学校時代の同級生や、
その他いろいろな知人がいる。
不特定多数の読者はいい。
遠い存在だからだ。
もともと私の目の前にいない存在だ。
不快ならこのブログを読まなくなるだけのことだろう。
しかし、既存の友人となると、ちょっと私も身構えるものが有る。
けれど、もうそんなことは構っちゃいられなかった。
一時期もっていた家庭も破綻していたし、
20年続けていた学校オーケストラの場も辞めていた。
失うものは無いってヤツ?
とまあ、そんな私も、
親にはカムアウトできていない。
※
同性愛者は多数、存在するのだ。
人として生きているのだ。
ということを多くの人に知ってもらうためにはどうすれば良いか。
二十歳頃だったか、ヘヴィ・ロック雑誌「Burrrrrn!」(rの数と!の数は不確か)を読んでいて、
どこだか外国のゲイ・パレードの記事を見付けた。
そうか、そういうもんが有るのか。
これを日本でもやらねば。
と思っていたら、、ミニコミ誌で、第一回レズビアン&ゲイパレードの実行委員を募集しているのを見付けた。
すぐに応募した。
翌1994年、日本初のプライドパレードが、渋谷で行われた。
※
それから30年が経とうとしている。
30年前より確実に、メディアの中でこういった話題を見る機会は増えたと思う。
しかし「ひとごと」と思っている人はスルーだろうし、
今でも「わらいもの」にしている人はいる。多くいる。
※
LGBT理解増進法が妙な形で可決に至った、
そのことについて書こうと思う。
その前に、私のバックグラウンドを説明しておこうと思ったら、
とりとめなく、こんな量になっちゃったので、今日はここまで。
減退法については明日また書くぜ!
あーしんど!!
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