東京都下、調布市の深大寺町に45年ほど前から住んでいる。
宅地化の進む地域だが、自宅の周囲は農家が多い。
引っ越して来たときから今も、隣家は鶏を飼っている。
子どもの頃から、朝は鶏の声で迎える。
コケコッコーなんて鳴くヤツはいない。
「かっこいーいぞー」
「かっとーばせー」
「結果オーラーイ」
いろんなのがいる。
こういうのを、「聞きなし」と言う。
ウグイスの「ほう、法華経」とか
ホトトギスの「東京特許許可局」とかが、よく知られている。
「聞きなし」という言葉は耳慣れないが、
視覚の場合の「見なし」とか「見なす」という動詞なら、よく使う。
同じつくりの言葉だ。
今使ったばかりの「耳慣れない」という言葉だが、
同じつくりをするなら「目慣れない」となるはずだが、これは言わず、
「見慣れない」と言う。
聴覚の場合は、「耳慣れない」とも言うが、「聞き慣れない」とも言う。
ほめ言葉に「見事」というのがある。
沖縄には、「聞きごと」という言葉がちゃんとある。
『沖縄語の入門』というテキストの例文に
「タルーヌサンシンヤーキキグトゥヤアル」というのがある。
「太郎の三線は聞きごとがある」と言っている。
過去にはやまとでも両方使っていた時があったのかもしれない。
音楽会の帰りに、「あすこのホルンのソロは見事だったね」
なんておかしいじゃないか。
音は聞いたんであって、見たわけではないわけで。
だったら、「聞きごと」と言ったらぴったりだ。
復活させてみたい言葉だ。
宅地化の進む地域だが、自宅の周囲は農家が多い。
引っ越して来たときから今も、隣家は鶏を飼っている。
子どもの頃から、朝は鶏の声で迎える。
コケコッコーなんて鳴くヤツはいない。
「かっこいーいぞー」
「かっとーばせー」
「結果オーラーイ」
いろんなのがいる。
こういうのを、「聞きなし」と言う。
ウグイスの「ほう、法華経」とか
ホトトギスの「東京特許許可局」とかが、よく知られている。
「聞きなし」という言葉は耳慣れないが、
視覚の場合の「見なし」とか「見なす」という動詞なら、よく使う。
同じつくりの言葉だ。
今使ったばかりの「耳慣れない」という言葉だが、
同じつくりをするなら「目慣れない」となるはずだが、これは言わず、
「見慣れない」と言う。
聴覚の場合は、「耳慣れない」とも言うが、「聞き慣れない」とも言う。
ほめ言葉に「見事」というのがある。
沖縄には、「聞きごと」という言葉がちゃんとある。
『沖縄語の入門』というテキストの例文に
「タルーヌサンシンヤーキキグトゥヤアル」というのがある。
「太郎の三線は聞きごとがある」と言っている。
過去にはやまとでも両方使っていた時があったのかもしれない。
音楽会の帰りに、「あすこのホルンのソロは見事だったね」
なんておかしいじゃないか。
音は聞いたんであって、見たわけではないわけで。
だったら、「聞きごと」と言ったらぴったりだ。
復活させてみたい言葉だ。
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