フォト・ジャーナリストであるダリン・ザミット・ルピさんの
ギャラリートークに参加してきた。
写真家自身が、自分の作品の前に立って、解説してくれる。
この上ない機会だ。
アフリカのいくつかの国から、ヨーロッパへ移民しようというときに、
いくつかのルートがある。
スペインへ渡るもの、エジプトを経由するもの、
マルタ島を経てイタリアに入るもの。
その中で、マルタ島を経由するコースは、地中海を渡る距離が短いので、
多くの移民が利用する。
とは言え、小さなボートに27人を満載すると、転覆の危険がある。
500人近くを乗せた船で渡ることもある。
もちろん定員はその何分の一かである。
船室の中は人ですし詰めで、転覆すれば数百人が船もろとも沈むし、
それ以前に酸欠で死亡するケースもある。
それだけの危険を冒しても渡航を選択するくらい、
自国では生きられないのだ。
展覧会のポスターは、救命胴衣の間で今まさに溺れていく人がこちらへ手を伸ばしている写真だ。
この写真では、ジャーナリズム写真にしばしば聞こえる批判が出た。
「目の前で人が溺れているゎに、手を伸べずに写真を撮っていたのか。」
移民が満載のボートの写真を撮っていたら、
へりに腰かけていた移民たちが将棋倒しのように海に落ちてしまった、という状況だったと言う。
自分のしたことは正しかったのか。
そう自問したと、写真の前でルピさんは語る。
右手でカメラのシャッターを切りながら、左手で海中の人を引っ張り上げた。
カメラを置いて、両手を使えばもっと救えたのではないか。
もし、ルピさんが溺れる移民を自分自身が助けようと海に飛び込んだとすると、
救命胴衣が働いてルピさんの体は海面に浮かび、自在には泳げない。
それに、溺れる人が他の人に捕まると、双方が溺れる危険がある。
訓練していない人が救命のために海に入ることはとても危険だ。
レスキューの専門家はこう言ったそうだ。
写真は溺れる人がこちらに手を突き出しているように見える。
ここはとても重要な点だと思ったのだが、
実は、これは写真というものの特性の問題でもある。
写真を見ると、溺れる人は目の前に見える。
自分の手を伸ばせば、溺れる人の突き出した手に届くように見える。
もう一枚、同じ現場の写真が展示されていた。
奥に移民のボートがあり、手前にレスキューの小型ボートがあって、
間の海面に救命胴衣を着けた数人の移民が落ちている。
問題の溺れかけの人は、移民のボート寄りで、写真家からは数メートル離れているのだ。
レンズの望遠のおかげで、離れたところで溺れかけた人を、
くっきりと捉えることができた写真なのだ。
ルピさんがその人が溺れかけていることに気付き、写真を撮っていたおかげで
隊員もそのことに気付き、結果的にこの人は救われた。
もうひとつ、私が印象的だった写真は、船上での礼拝の様子である。
大きな救助船で、あるとき移民たちが礼拝を始めたという。
参加者の誰かが質問した。「宗教は何ですか?」
移民たちは、様々な国からリビアに集まり、
そこで密航業者に金を払って船に乗っている。
部族も宗教も、いろいろだ。
その、いろいろ違った宗教の人たちが、一緒に集まって
祈り、歌い、踊って礼拝をしたのだそうだ。
地中海に浮かぶ移民のボートも、
宇宙にぽつんと在るこの地球も、
同じようにいかんもんかねえ。
3月11日(日)まで
(休場日:土日祝日 ただし3月11日は開場)
東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所資料展示室(1F)
講演会:ダリン・ザミット・ルピ(フォトジャーナリスト)
開催日:2018年3月9日(金)
開催時間:17:30 - 19:30 ※開場17:00
http://www.tufs.ac.jp/event/general/post_1178.html
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