のどが渇いたから水を飲む。というところから始まって、
ちょいと具合が悪かったら、ひたすら寝る。とか
なんだか酸っぱいものが食べたい。とか
寝起きに自然と伸びをする。とか
特にいちいち考えなくても、
身体の求めるようにすることで、自己治癒してゆく。
そういう感覚を大事にしていれば、病を遠ざけることができると思う。
病気にならなければ、医薬に頼らずに済む。
国の財政を圧迫している医療保険の問題に、少しばかりでも役に立つんじゃないか、
という思いも持っている。
※
のどが渇いた。なんてな感覚だと分かりやすい。
病気にならずに済ますためには、もっとささやかな身体の状態を
感じ取る必要が有るかもしれない。
多少だるくても、ちょっと疲れているだけだから、と仕事を頑張る。
仕事が休めないのは分かるけれど、
その時に身体は消耗している。
すぐに取り戻せるだけの休養を持てれば良いが、
連続したり度重なったりすると、傷が深まる。
目に見えるすり傷などに置き換えて考えてみれば良い。
ちょっと擦りむいただけで、さほど痛くもない傷が付いたとする。
絆創膏も要らないような浅い擦りむけだ。
しかし、治っていく過程で、かさぶたができる。
そのかさぶたを剥いてしまうと、最初の傷よりも血が出たりする。
そして、治癒までが長引く。
かさぶたを剥くシュミが有ったりすると、傷がこじれて痣が残ったりもする。
※
ちょっとダルいな。とか
あれ?なんかちょっとおかしい。とか
手足の先が冷える。とかいったことは、
問題と言えないような現象だ。
しかし、こういったことを放置すると、問題が起きてくる。
小さな身体の声に耳を傾ける必要が有る。
※
反対のことも有る。
小さな身体の変化を気にして、
なんでこんなことになるのだ、とか
これは大きな病気の兆候なんじゃないか、とか
どこか悪いんじゃないか、とか
あまりクヨクヨと考えるのはこれまた病気の元になる。
淡々と観察し、適切に対応すれば良い。
心配しないために観察するのだ。
※
飼い犬ジーロ去勢オス14歳が先日、癲癇の発作を起こした。
数年ぶりの発作であり、10分近く続いて長くもあった。
発作が収まった直後から、すみっこへ行きたがった。
最初は、枯れたアジサイの株にはまり込んで、立ち尽くして、
落ち着いている様子だった。
夜の間じゅう、部屋のすみっこへ行って鼻を突っ込んで数十秒じっとして、
また別のすみっこへ行って数十秒、ということを繰り返した。
私の鍼灸のシショーに話すと、
「部屋の角に行って、視覚情報が入らないように遮断して、
脳の興奮を少なく抑えようとしているんでしょうね。
本能的に、自分で治そうとしているような感じですね。」
なるほど。
犬は、自分で横になって寝ることができないようで、
疲れ切るまでそうやって室内をウロウロと歩き回っていた。
あんまり疲れて足がもつれるようになった頃、
マットに連れて行って、撫でて座らせ、寝かしつけてやった。
ちょいと忘れかけていたが、その時、
私は犬の目を手で覆ってやった。
そうすると、落ち着いたのだ。
犬の様子を見ていて、目隠ししてやると落ち着きそうだ、と思って
やってみたらうまくいった。
シショーに指摘されて、そのことを思い出した。
※
友人Mが言う。
「最期はちょっとの光も刺激としてつらいから、
暗いほうへ暗いほうへと行って、隠れる。
猫が死ぬ姿を人に見せないってよく言うけど、
実はそういうことらしいよ。」
なるほど。
そういうことも有るか。
これは治すということとはちょっと違うけれど。
ちょいと具合が悪かったら、ひたすら寝る。とか
なんだか酸っぱいものが食べたい。とか
寝起きに自然と伸びをする。とか
特にいちいち考えなくても、
身体の求めるようにすることで、自己治癒してゆく。
そういう感覚を大事にしていれば、病を遠ざけることができると思う。
病気にならなければ、医薬に頼らずに済む。
国の財政を圧迫している医療保険の問題に、少しばかりでも役に立つんじゃないか、
という思いも持っている。
※
のどが渇いた。なんてな感覚だと分かりやすい。
病気にならずに済ますためには、もっとささやかな身体の状態を
感じ取る必要が有るかもしれない。
多少だるくても、ちょっと疲れているだけだから、と仕事を頑張る。
仕事が休めないのは分かるけれど、
その時に身体は消耗している。
すぐに取り戻せるだけの休養を持てれば良いが、
連続したり度重なったりすると、傷が深まる。
目に見えるすり傷などに置き換えて考えてみれば良い。
ちょっと擦りむいただけで、さほど痛くもない傷が付いたとする。
絆創膏も要らないような浅い擦りむけだ。
しかし、治っていく過程で、かさぶたができる。
そのかさぶたを剥いてしまうと、最初の傷よりも血が出たりする。
そして、治癒までが長引く。
かさぶたを剥くシュミが有ったりすると、傷がこじれて痣が残ったりもする。
※
ちょっとダルいな。とか
あれ?なんかちょっとおかしい。とか
手足の先が冷える。とかいったことは、
問題と言えないような現象だ。
しかし、こういったことを放置すると、問題が起きてくる。
小さな身体の声に耳を傾ける必要が有る。
※
反対のことも有る。
小さな身体の変化を気にして、
なんでこんなことになるのだ、とか
これは大きな病気の兆候なんじゃないか、とか
どこか悪いんじゃないか、とか
あまりクヨクヨと考えるのはこれまた病気の元になる。
淡々と観察し、適切に対応すれば良い。
心配しないために観察するのだ。
※
飼い犬ジーロ去勢オス14歳が先日、癲癇の発作を起こした。
数年ぶりの発作であり、10分近く続いて長くもあった。
発作が収まった直後から、すみっこへ行きたがった。
最初は、枯れたアジサイの株にはまり込んで、立ち尽くして、
落ち着いている様子だった。
夜の間じゅう、部屋のすみっこへ行って鼻を突っ込んで数十秒じっとして、
また別のすみっこへ行って数十秒、ということを繰り返した。
私の鍼灸のシショーに話すと、
「部屋の角に行って、視覚情報が入らないように遮断して、
脳の興奮を少なく抑えようとしているんでしょうね。
本能的に、自分で治そうとしているような感じですね。」
なるほど。
犬は、自分で横になって寝ることができないようで、
疲れ切るまでそうやって室内をウロウロと歩き回っていた。
あんまり疲れて足がもつれるようになった頃、
マットに連れて行って、撫でて座らせ、寝かしつけてやった。
ちょいと忘れかけていたが、その時、
私は犬の目を手で覆ってやった。
そうすると、落ち着いたのだ。
犬の様子を見ていて、目隠ししてやると落ち着きそうだ、と思って
やってみたらうまくいった。
シショーに指摘されて、そのことを思い出した。
※
友人Mが言う。
「最期はちょっとの光も刺激としてつらいから、
暗いほうへ暗いほうへと行って、隠れる。
猫が死ぬ姿を人に見せないってよく言うけど、
実はそういうことらしいよ。」
なるほど。
そういうことも有るか。
これは治すということとはちょっと違うけれど。
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