犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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合掌

2013年03月29日 | 日々
ウチの近所に、修道院が有る。
いくつか有るのだが、その一つは深大寺から道を挟んでちょいと南の所。
ここらも元々は深大寺の境内であり、今は修道院の敷地になっている中に
仁王門が有ったそうだ。
鎌倉時代に武士に焼かれたらしい。

その修道院は、キリスト教の、カトリックの、カルメル会の、女性の、修道院だ。
去年、建て替えになってかなり印象が変わったが、
以前はブロックが最多の箇所で21段だかなんだかの高い塀で、ちと物々しい雰囲気だった。
今はその塀もやわらかいレンガ色のような、マヨネーズとケチャップを混ぜたような色で
塗られて、かわいらしい。

そして、正門の脇には、おさなごイエスを抱くマリア像が有る。
こちらもずんぐりぽっちゃりとかわいらしい。

野川の花見と深大寺見物、といった恰好の、70前後かと見える男女数人の観光客が
向こうから歩いて来る。
一人の男性がふざけて、マリア像に向かって手を合わせて、シャンシャン!と二度手を叩く。
もう一人の男性が「お願いしちゃダメだよ、仏教じゃないんだから~」とツッコミを入れる。

違う~。違うよ~。
柏手を二回は神道ですよ~。
それに神道であれ仏教であれ、お願いするために有るわけではないよ。
そしてそれはそもそもの話であって、キリスト教徒だってお願いばっかりしてる人もいるかもしれない。
神様ってそんなもの。

神社とお寺の違いが分からない人も多い。
お寺の守り神として、寺の横とか角っちょに神社を作ることも多かったので、仕方無いかもしれない。
お寺は仏教で神社は神道だよ、と言っても、
お寺によっていろんな仏様がまつってあるのはナゼか、とか、
神社だって宇賀神やら産土神みたいな原始的なのから、木花咲耶や大国主といった神話の神々や、
菅原道真なんて人間まで祀られているのだから、一口に説明がつかない。

わからない人には余計にわかりにくくなる、曖昧~なものが日本にはある。
歴史的には、天皇が仏教を信奉してその他の信仰一切を迫害した時だってある。
ねえ、天皇の存在と神道はイコールじゃないんだよ。

明治時代になって、水神様とかいった自然を祀るような原始宗教的な神社は廃止された。
全国でたくさんの、古くからの神様が禁止された。
そんな中でも神様を守るためには、国が良しとする、系統的な神道の神を祀っている
ことにする、という方法を取る所も多かった。
神社の入口によく立て看板みたいなのがあって、御祭神が書いてあるでしょ。
あそこに書いてあることが、その神社ができた当初からのものかと言ったらそれは
非常に疑わしい。

そこには素戔嗚尊じゃなくて実はいろんな精霊たちが住んでいるのかもしれない。
なーんて思って鳥居をくぐるのも楽しいのでは?

えーと、なんだっけ。そうすると…
マリア様に向かって柏手打っても、いいような気がしてくる。

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