[いきさつ] 二年前の十月に、今まで敬遠していた毛筆での書を
独習し始めた。
一年間、ほぼ毎日書いたが、ふとしたはずみにサボったら、
次の一年間はほぼ全く書かなかった。
何度か立ち直ろうとしては失敗しつつ、ちょうど一年経った頃から
また、ぽつぽつと書いている。
草書が読めるようになりたい。とか
筆で署名しなきゃならない時に困らずに書けるようになりたい。とか
そんな動機だったっけ。
そのくせ、いつもの「さかのぼって学ぶ」という癖(ヘキ)が出て、
草書どころか、隷書だ篆書だ甲骨文字だと
いろいろ書いた。
中でも隷書が気に入った。
蔵鋒と言って、筆先を内側に収めるように使う。
波磔と言って、楷書で言うところの払いの形に特徴が有る。
特に、横画の終わりを楷書のように止めず、波磔できめる。
気に入ったので、いろいろ臨書した。
好きだから、練習も苦にならない。
たくさん書いても飽きないし、疲れを感じない。
※
久しぶりに書くのなら、やっぱりそうやって親しんだ書体が良いだろう。
と思って、隷書の中では後回しにしていた礼器碑を選んだ。
細身の線が特徴的で、波磔の美しい隷書だ。
その細さに苦手意識を持っていた。
しかし、その後、木簡の小さい隷書などを練習した。
すると、見え方が変わった。見る目が変わったのだ。
石碑でしか遺っていなかった隷書も、木簡が発掘されるに従って、
肉筆の書が見られるようになったのは、二十世紀に入ってからだ。
そして今では、写真や印刷の性能が上がり、木簡の筆づかいが見て取れるようになってきた。
肉筆の隷書である木簡を臨書してから、
石に刻まれた隷書である石碑を臨書すると、ずいぶん違う。
最初、いきなり石碑の隷書を臨書していた時は、
どっしりがっちりずっしり、という印象だった。
しかし、木簡に勢いよく書かれた隷書を見てからは、
石碑の隷書の中にも、筆勢を見るようになった。
そうなってみると、礼器碑の線も、
ただ細いのではなく、筆の運び方として見ることができる。
※
とかなんとかエラっそうなことを書いているが、
一年書いて一年サボった後なので、
またひどく下手くそになっている。
書き始めて一年経った頃の感覚だけ残っている。
思うように筆を使えない。
どう筆を運べばこの線が出せるのか、忘れている。
いちいちまた一から練習する。
書の練習は、文字通り「一」からの練習だ。
「一」、「ニ」、「三」、「土」…と進んで行く。
やれやれ。
※
礼器碑でリハビリして、
次にやりたいことは決まっている。
来年一月から、国立博物館で、顔真卿の展覧会が有るのだ。
ただ見ても、面白くない。分からない。
どうせ見に行くなら、その前にあれこれ臨書しておきたい。
敬遠してきた顔真卿を、書いてみたいのだ。
独習し始めた。
一年間、ほぼ毎日書いたが、ふとしたはずみにサボったら、
次の一年間はほぼ全く書かなかった。
何度か立ち直ろうとしては失敗しつつ、ちょうど一年経った頃から
また、ぽつぽつと書いている。
草書が読めるようになりたい。とか
筆で署名しなきゃならない時に困らずに書けるようになりたい。とか
そんな動機だったっけ。
そのくせ、いつもの「さかのぼって学ぶ」という癖(ヘキ)が出て、
草書どころか、隷書だ篆書だ甲骨文字だと
いろいろ書いた。
中でも隷書が気に入った。
蔵鋒と言って、筆先を内側に収めるように使う。
波磔と言って、楷書で言うところの払いの形に特徴が有る。
特に、横画の終わりを楷書のように止めず、波磔できめる。
気に入ったので、いろいろ臨書した。
好きだから、練習も苦にならない。
たくさん書いても飽きないし、疲れを感じない。
※
久しぶりに書くのなら、やっぱりそうやって親しんだ書体が良いだろう。
と思って、隷書の中では後回しにしていた礼器碑を選んだ。
細身の線が特徴的で、波磔の美しい隷書だ。
その細さに苦手意識を持っていた。
しかし、その後、木簡の小さい隷書などを練習した。
すると、見え方が変わった。見る目が変わったのだ。
石碑でしか遺っていなかった隷書も、木簡が発掘されるに従って、
肉筆の書が見られるようになったのは、二十世紀に入ってからだ。
そして今では、写真や印刷の性能が上がり、木簡の筆づかいが見て取れるようになってきた。
肉筆の隷書である木簡を臨書してから、
石に刻まれた隷書である石碑を臨書すると、ずいぶん違う。
最初、いきなり石碑の隷書を臨書していた時は、
どっしりがっちりずっしり、という印象だった。
しかし、木簡に勢いよく書かれた隷書を見てからは、
石碑の隷書の中にも、筆勢を見るようになった。
そうなってみると、礼器碑の線も、
ただ細いのではなく、筆の運び方として見ることができる。
※
とかなんとかエラっそうなことを書いているが、
一年書いて一年サボった後なので、
またひどく下手くそになっている。
書き始めて一年経った頃の感覚だけ残っている。
思うように筆を使えない。
どう筆を運べばこの線が出せるのか、忘れている。
いちいちまた一から練習する。
書の練習は、文字通り「一」からの練習だ。
「一」、「ニ」、「三」、「土」…と進んで行く。
やれやれ。
※
礼器碑でリハビリして、
次にやりたいことは決まっている。
来年一月から、国立博物館で、顔真卿の展覧会が有るのだ。
ただ見ても、面白くない。分からない。
どうせ見に行くなら、その前にあれこれ臨書しておきたい。
敬遠してきた顔真卿を、書いてみたいのだ。
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