旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

サクラサク 皇居東御苑

2019-04-10 17:30:00 | 

皇居東御苑 北桔橋門 (東京都千代田区千代田)

皇居を退出して、続いて東御苑へ。


乾濠の向こうに先程までいた乾通りが見える!

皇居東御苑は昭和43年から公開されており、特別な時でなくとも入園出来る。公開時間は午前9時からで、おしまいは季節によって異なる。休園日あり。以前は無かったと思うが、手荷物検査が行われている。今日は写真機だけ持参し、手荷物はないので手っ取り早い。





皇居東御苑は江戸城のあったところだそう。天守は明暦3年(1657)の振り袖火事(明暦の大火)で焼失して再建されていない。御殿も現存しない。いや、初期のものなら喜多院(埼玉県川越市)に移築されていたはず。喜多院は一度訪れている。流石は小江戸。


桃華楽堂




天守台に登ってみる!

天守は再建されなかったが、基礎となる天守台はある。転車台ではない。









太平の世となり、天守を再建するより、城下の復興を優先したのだそう。















東京の真ん中にこんな公園があるのは素晴らしい。外国人観光客の姿も多く見掛けたが、日本の満開の桜を存分に堪能していっていただきたい。


富士見多聞

現存する江戸期の建物。多聞とは城郭の石垣上に建てられた長屋で、城壁よりも強固な防御施設なのだそう。大正12年の関東大震災で損傷、同14年に復旧。昭和43年には解体修理されている。先程、蓮池濠を挟んで乾通りから見えていた。


富士見多聞の内部は公開されている!


多聞内部より乾通りを望む!




松之大廊下跡

元禄14年3月14日(西暦1701年4月21日)、浅野内匠頭長矩の吉良上野介義央への刃傷事件が発生。御殿は現存しないが、松の廊下があった場所はここだそう。外国人観光客が案内板を見ているが、忠臣蔵の話を知らなければ何の事やら解らないだろう。


松の廊下の跡には松の木が生い茂る!




大番所

大手中之門の内側に設けられた警備詰所。


百人番所

江戸城本丸への最大の検問所で、甲賀組、根来組、伊賀組、二十五騎組の4組が昼夜交代で詰めており、同心が各組100人ずつ配属されていたそう。




同心番所




大手門




大手濠 いずれも平成31年4月1日撮影

皇居東御苑を大手門より退出したが、まだ皇居の周りを散策する。 (つづく)