旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

台湾日記 中正國際機場へ

2005-08-07 12:00:50 | 台湾日記

建設中の台灣高速鐡路 (台湾省桃園縣)
民國94年7月17日撮影


淡水河の左岸にあるのが三重市である。ひたすら空港を目指して高速を行くのかと思ったらそうではない。三重市内のバスターミナルで客を乗せる。そしてようやく中山高速公路に流入する。本線に料金所があるので有料なのだろう。しかし各インター・ランプに料金所はない。どういう料金体系になっているのだろうか。日本の運転免許で台湾を走る事は出来ないので、調べても仕方がないのだが。建設中の台灣高速鐡路の高架橋(跨道橋)と立体交差する。架線はまだ張られていない。10月の開業に間に合うのだろうか。

大きなジャンクションで機場支線桃園環線に入る。再び台灣高速鐡路と交差する。開通したら乗りに来ようと思う。空港が近づくと、ちょっと渋滞気味の箇所がありヒヤヒヤするが大丈夫だった。時間に余裕を持って空港に到着した。


中正國際機場 (台湾省桃園縣大園郷)
C.K.S. International Airport, Dayuan Shiang, Taoyuan, Taiwan

まずは搭乗手続。そういえば今回、予約再確認(Reconfirm)をしていない。中華航空チャイナ エアライン)のカウンターを見ると、頭等艙(First Class)、華夏艙(Dynasty Class)は空いているが、經濟艙(Economy Class)には列が出来ている。やれやれと思いながら航空券を持ってうろうろしていると、中華航空(以下、華航と略す)の地上スタッフの女性が私の航空券を見て、自動チェックイン機で手続が出来ると機械で済ませてくれる。次回から機械をお使い下さいというが、全部やってもらったので、使い方はわからず仕舞いだ。登機證(BOARDING PASS)の登機門(GATE)と登機時間(BOARDING TIME)にボールペンで丸囲みをして戻してくれた。

手続も終わり、安心したところで昼食にする。この後、機内食が供されるが、最終日までこれといったものを食べていない。階上に書店と並んで軽食を出す一角があるので階段を上がってみる。STARBUCKSもあれば、麺や御飯物を店もある。中央に各店共通の席が配され、各店はそのまわりに配され、好きな店で料理を注文し、出来あがったら自分で席に運んでいって食事をする、軽食ではよくある方式である。これの問題点は料理が出来あがると番号札の番号で呼ばれる事である。何が問題かというと、外国語で番号を言われる事である。ここは空港の軽食堂で、客は歓談しながら食事をしている。そもそも聞き取りづらい状況なのだ。深圳(セン、土編に川)、澳門でこの手の店を利用した時は、あちらは広東語であり、私は全く広東語を解さない。料理が出来上がるまで女性店員の方をじっと見ている他ない。かなり怪しい。台湾では閩南語(ミン南語、門構えに虫)か北京語だろうが、聞き取れないだろう。今回も怪しい行動をとる事にする。

窓側の席を確保し、牛肉麵(麺)(150元)と台灣啤酒(Taiwan Beer)(100元)を注文する。空港内とあって割高である。台湾4日目にして100元札が1000円札くらいに思える。実際は100元を362円45銭くらいで両替しているから、550円弱なのだが、日本円の高い安いは関係ない。市中よりも高いのである。だから、これは豪華な昼食といえる。豪華だけれども自分で席に運ぶ為に女性店員を注視している。男性店員だったら更に怪しいので、結果として女性でよかったのである。自分の料理の出来上がりを何とか確認して席に運ぶ。盆がプラスチックで食器が滑りやすい。出国前に地獄を見た旅客も少なからずいるであろう。無事、席に運んで食事にする。

台灣啤酒(500ml)を飲む。昼酒は旨い。なぜ莒光號(キョ光號、草冠に呂)や自強號の車内販売ではビールを置いていなかったのか。500mlの缶は初めて見た。牛肉麵(麺)を口に運ぶ。肉がとろけるようで旨い。麺はたいした事はない。まあ、日本人との嗜好の違いであろう。全体的には旨かったと言っていい。空港の軽食でこれほど旨ければ、市中の店ではもっと旨かったに違いない。惜しい事をした。今度は飯を食う事を目的に台湾に来よう。いいお昼だった。 (つづく)

台湾日記 台北散策

2005-08-06 12:00:31 | 台湾日記

中華郵政台北郵局 (台北市)
民國94年7月17日撮影
Taipei Post Office, Chunghwa Post Co., Ltd.
Taipei, Taiwan, Sunday, 17th July 2005


總統府の北隣に臺灣銀行がある。ここは明治32年(1899)開業の特殊銀行、臺灣銀行の建物として昭和13年(1938)に竣工している。特殊銀行の臺灣銀行は昭和20年(1945)に解散しているが、現在では民國35(1946)設立の臺灣銀行が使用している。エンタシスの円柱など優雅な意匠である。霞が関、丸の内のようだったが、雑居ビルやコンビニエンスストアのある新宿のような街並になった。コンビニ店頭にはカレー弁当のポスターがあり、日本食が台湾に溶け込んでいる事が判る。

昨日購入した絵葉書を差し出そうと思う。台北郵局(台北北門郵局)へ行く。ここは昭和5年(1930)に台北の中央郵便局として竣工。これも凝った意匠となっている。長いカウンターが、東京、大阪の中央郵便局を思わせる。日本へは航空便で10元だった。郵局の前には、清朝の台北府城の北門(承恩門)がある。東門や小南門は再建されたものなので、当時からのものは北門のみとガイドブックにある。城壁はないので門だけが寂しく建っている印象を受けた。清光緒年間に造られ、第一級古蹟に指定されている。


台北府城北門(承恩門) (台北市)

もうあまり時間がない。格安航空券で飛行機に乗り遅れたら大変である。普通運賃で国際線に乗るほどお金はない。北門と台北車站はすぐである。台北車站に隣接する國光客運のバスターミナルへ。台湾各地へのバスが発着するので判りにくかったが、中正國際機場行のりばを見つける。窓口で予め切符(120元)を購入する。中正國際機場へはかなり頻繁に発着している。バスは半分くらいの乗車率だったが、後の方に2人掛けの空席を見つけて座った。座席のポケットには前の客の飲み終えた紙パックのゴミがそのままで、清掃はされていない。車内にはビデオモニターが取り付けられ、VTRが放映されているのは往路と同じだが、長榮巴士の方がきれいでよかったように思う。発車したバスは淡水河を渡り、名残惜しい台北の街を後にした。 (つづく)


台鐡台北車站と國光客運のバスターミナル(左)

台湾日記 中正紀念堂・總統府

2005-08-05 12:00:54 | 台湾日記

中正紀念堂「紀念堂主體」(台北市)
民國94年7月17日撮影
Main Hall, CKS Memorial Hall
Taipei, Taiwan, Sunday, 17th July 2005


駅を出て歩いて行くと、テレビなどで見たことのある非常に大きな門が目に入る。門には「大中至正」と書かれている。門をくぐると正面に紀念堂が、左右には中国の宮殿を思わせるような建物が配してある。それぞれ國家戯劇院(国立歌劇場)と音楽廳(コンサートホール)だそうだ。紀念堂の前に巨大な櫓のようなものが組まれている。大変目障りであったが(写真にも写していない)、後日知るところではスノーボードの仮設のジャンプ台だったそうで、雪ならぬ氷をコースに敷き詰め、イベントが催されたようである。

階段を登り、紀念堂へ入ろうとすると日本語が聞こえる。他の日本人観光客である。ようやく定番の観光地に来たという事か。堂内には大きな蒋介石総統の銅像が安置されている。そしてここは衛兵が詰めている。門をくぐり、参道を歩き、階段を上がってきたので、神社仏閣のようだが、拍手を打つのも変だし、合掌するのもどうかと思ったので、只々大きいですなあと仰ぎ見るより他にない。なお、「中正」とは蒋総統の名であり、「介石」は字(あざな)である。諸葛孝明の名「亮」、字「孝明」にあたる。英文では中正紀念堂CKS (CHIANG KAI-SHEK) Memorial Hall であり、中正國際機場C.K.S. International Airport である。

ガイドブックによると1時間ごとに衛兵交代が見られるそうだが、飛行機の時間もあるので先を急ぐ。それに風が強くなってきた。台風が確実に近づいている。大中至正門をくぐり、外に出る。中央図書館や外交部(外務省に相当)がある。官公庁が集まり、東京でいえば霞が関にあたるそうだ。そして目の前には大きな赤レンガの建物が見えてきた。


中華民國(台灣)總統府 (台北市)
Office of the President, Republic of China (Taiwan), Taipei, Taiwan

この建物は台湾総督府として大正8年(1919)竣工、昭和20年(1945)の台北大空襲では甚大なる被害を受けたが、戦後は修復されて總統府として使われている。この中で陳水扁總統が執務をしているのだろうか。はたまた日曜日だからお休みなのか。それにしても日本統治時代の建物が大切に使われている。そういえば高雄駅は新駅舎を造っても、旧駅舎を移転させてまで保存していた。 (つづく)

台湾日記 最終日

2005-08-04 12:00:07 | 台湾日記

中正紀念堂「大中至正門」(台北市)
民國94年7月17日撮影
ARCHWAY ENTRANCE, CKS Memorial Hall
Taipei, Taiwan, Sunday, 17th July 2005


民國94年7月17日星期天(日曜日)。東呉大飯店でこの旅の最終日の朝を迎えた。テレビを見ると大きな台風が台湾に接近しているようである。颱風海棠 Typhoon Haitang といい、日本では単に台風5号と紹介されているはずである。なぜ日本では国際名を使わないのか解からない。

地下のcoffee shopへ朝食をとりに行く。「早」と挨拶される。このくらいの言葉は覚えておいた方が良さそうだ。昨日の朝はトーストだったが、今朝は白い御飯である。バイキングの料理をいろいろ見ていると、顆粒であるが即席の味噌汁があった。台湾製である。見たこともない果物がある。後から思うに火龍果(ドラゴンフルーツ)だろう。店内には新聞、雑誌が置かれてあり、日本の新聞もあったが、今朝の朝刊ではなかった。ここの朝食には満足した。本当は鮭、生卵、納豆が欲しいが、贅沢を言ってもきりがない。

部屋に戻り、出発の準備をする。2泊したこのホテルだが快適だった。冷房が一番ありがたかったのだが。チェックアウトをするべくフロントへ行くと、天気図が掲示してある。今日の飛行機で日本に帰るけど大丈夫だろうか、とフロントの女性と話す。この時は自分のことしか考えていなかったが、これから台風の直撃する台湾の人の事を気遣う言葉のひとつでも言うべきだったろう。しかし大きな被害がでるとは思っていなかった。そして今日も暑いホテルの外に出た。暑いけれど飛行機の時間まで台北市内を観光する。

駅へ行く途中に國民小學があり、日曜日だからか、いつもそうなのか、市(いち)が立っているようだ。露店の数が一昨日よりも多い。歩道でいろいろ販売している。この暑い中、海産物も売っている。生では食べないだろうが大丈夫なのだろうか。買いはしないが、これらの店を見ながら歩くのは楽しいが、何と言っても暑すぎる。

民権西路の駅に着く。中正紀念堂までの切符(20元)を買う。5、60代の日本人男性2人が券売機の前で悪戦苦闘している。紙幣が券売機で使えないからだが、隣の両替機で硬貨するよう教える。空港以外で日本人を見たのは初めてだろうか。むろん遠目で日本人を見かけていても区別はつかない。なお岩国弁で教えたが、相手は面食らったであろう。地下の月台へ降り、捷運に乗る。台北車站を過ぎ、中正紀念堂で降りる。これで淡水線は全て乗りつぶした事になる。中正紀念堂の駅は他の駅よりも造りが豪華な印象を受けた。 (つづく)

台湾日記 最終夜

2005-08-03 12:00:40 | 台湾日記

台北大衆捷運 淡水線 淡水站 (台湾省台北縣淡水鎮
民國94年7月16日撮影
MRT Danshui Station, Tamsui, Taipei County, Taiwan
Saturday, 16th July 2005


捷運で台北市内に戻る。淡水-台北車站は50元。車内の座席の配置は複雑で、窓を背にしたものの他に、進行方向、またはその反対向きのものとあるが、何故かボックスシートはない。そして座席は強化プラスチックと思われるが硬くて座り心地はよろしくない。始発駅なので進行方向窓側の席を確保して出発。もう暗くなったので車窓はあまり楽しめないが、淡水河を眺める。暫くして士林の夜市が見える。ここもものすごい人出だ。全く活気のある土地である。日中は暑い事もあるのだろうが。

台北車站に戻ってきた。絵葉書を買おうと思い、台鐡の駅の売店を見てみるが見つからない。高価な台湾土産を扱う店はある。鉄道グッズを扱う店もあった。台湾の古い鉄道写真、地図、切符や記念商品まで、かなりの品揃えである。絵葉書はあったが、一般的なものが欲しかったので止めておく。宮脇先生の本では台湾には鉄道ファンはいないという事だったが、現在はいるのだろうか。それとも日本人などが買っていくのだろうか。結局、絵葉書は地下街の書店で購入。

さて、台湾での最後の晩飯を食べたい。昨日、一昨日と簡単なものばかりである(コンビニ便當、牛肉炸醤麵)。地下街、駅構内と物色するがなかなか決まらない。吉野家もあり、牛丼も食べてみたいと思ったが、酒は無さそうである。とりあえず台湾らしいものを食べたい。捷運で雙連まで移動する(20元)。ホテルの最寄駅のひとつ手前の駅だが、そこからホテルまで食堂を探しながら歩く。どこの食堂に入るか決めるのは苦手で、海外なら尚更である。ガイドブックに掲載された店をのぞいて見るが気がのらない。店の前にテーブルとイスを置いた小さな店舗が多い。冷房の効いた店内で食事と酒を楽しみたいのだが。迪化街という乾物や薬を扱う場所に来る。もうホテルは近く、何も食べないまま帰ってきてしまった。

ホテルの横に麵線の小さな店がある。麵線が何か知らないが入ってみる。おばさんが1人で営業しており、壁に貼られた2種類のメニューから選ぶよう言われる。麵線はメニューには無いようだが、日本語は通じない。メニューを見ても解からないので、実物を見せてもらい、肉饅頭を選ぶ。使い捨て食器に肉饅頭を入れ、何やらソースというかタレをかけ、香菜(だろう)を散らしたものと、魚丸の入ったスープを持ってきた。これで40元である。あっさりした味で香菜だけが南国らしい。おばさんに「謝謝」と日本語で礼を言い、勘定を済ませて店の外に出る。軽食には良いが、夕食には軽すぎる。酒も無かった。7-ELEVENで御飯團(30元)と緑茶(20元)を買ってくる。御飯團とはおむすびである。コンビニと先程の店とホテルは同じ並びだから、再び店のおばさんと目が合う。食事をしたばかりの客がコンビニのおむすびを持っているのだから、多少気まずいが、食い足らないのだから仕方が無い。

ホテルに戻り、冷蔵庫の台湾啤酒(40元)を飲みながら、具に鶏の入ったむすびを食う。緑茶は台湾の黒松の製品で普通の日本の緑茶の味であった。再びシャワーを浴びてきてテレビをつけると、「○曜スペシャル 川口浩探検隊」がフィリピンに行っている。日本のチャンネルではなく、台湾の放送局が日本語音声、中文(繁)の字幕で放送している。内容はともかく実に懐かしい。こうして台北の夜は更けていった。 (つづく)