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機動戦士Zガンダムを久々に見返す~百式編

2022-03-09 19:15:00 | NHKに捧げる歌



機動戦士Zガンダムは、いまだに新作が作り続けられている人気シリーズのオリジナル
「機動戦士ガンダム」(ファーストガンダムと呼ばれる)の正統な(富野由悠季さんが原作も
監督も務めている)初めての続編として、7年の月日を経て制作されたテレビシリーズです。
時系列的にもファースト(1年戦争)から7年後の世界が舞台設定となっています。

ヒット作の続編として当時ずいぶん話題と期待を集めた作品でしょうし、すでに完全に評価が
定まっているので今更感が強い気はしますが、今回久々に視聴してみて感じた、できるだけ
率直な感想をここで述べておきます。


結論から述べると、完成度は極めて低いと言ってよく、「あえて言おう、カスであると!」
と、ギレン総帥ならバッサリ切り捨ててしまうかもしれません。様々な事象が未消化で
終わっているのが目に余るような気がするのです。(ギレン総帥を彷彿させる独裁者といい、
象徴される紋章が「Z」であることといい、ニュータイプな私に、なにか予知させるものが
あったのだろうかと勘繰っているこの頃です。もちろん、Zガンダムを見始めた際には、
まだ侵攻は始まっていませんでしたので)

誰が悪いのか? 監督である富野さんが、結果として全責任を負うことになるのでしょうか。
富野監督自身、ファーストガンダムから7年、その間いくつか新たなロボットものに携わり、
失敗や反省がありつつもさらに地力をつけ足元を固め、満を持していよいよガンダム復活と
いうことで、あまりにも力が入りすぎていたのは事実でしょう。全50話も費やしながら、
それでも表現しきれないくらいのアイデア、情報量を盛り込もうとしたために、その具象化が
中途半端で、やろうとしたことの多くが消化しきれなかったことが、低評価の要因のひとつ
でないかと思います。

30分ではとうてい収まりきらない分量を無理に一話内に詰め込もうとしたためか、話が
ぶった切られ筋書きがわかりづらいし、演出、お芝居もぎこちない部分がとても気になって
仕方ありません。情報量がとてつもなく多いので、一見それを高密度で映画並みの表現、
展開だと高評価する見方があるかもしれないし、確かにそれをうまく処理できれば、また
別の高みへ登れていたような気もしますが(制作レベルが著しく向上している現在なら、
もしかしたら全然別の結果が得られたかも)、当時のスタッフの技量では、富野監督の
サジェストを適切に作品に反映、投影できず、活かしきれなかったのでしょうか。

なにせ扱う情報量が多いので、たとえば過去の出来事や現在の情勢などを会話の中だけでの
やりとりで済ませている演出手法が散見され、それがかなり重要な情報(視聴者にとっても)
なのにその映像が被ることなく、さらっと会話の流れの中で一度語られるだけで終わるので、
ちょっと聞き逃すと(聞き漏らすまいと耳を傾け集中しても、カタカナ交じりの初めて聞く
言葉が出てきたりすると、聞いていてもついていけないのですが)、置き去りにされたまま
話が進むので、複雑なストーリーがますますわからなくなります。たとえば今改めて見ると、
後半になって絡んでくる重要人物ハマーン・カーンの名前や動向は、物語の初っ端近くに
早くも出てくることに気がつきます。ただしそれはシャアの会話の中に一度出たきりで、
ハマーンの姿が映像で出るわけでなく、仮に気をつけて聞いていたとしても、まさか
その会話の内容が後々そんな重要になるとはいざ知らず、気づかずさっと聞き流すだけで
終わってしまうのは無理からぬことでしょう。


   

ストーリーのわかりづらさについては、今更申し上げるまでもないことでしょう。
地球連邦軍内部(ティターンズとその対抗組織エゥーゴ)の争いが発端という元々
わかりにくい構図に加え、そこに物語後半、ジオン再興を目論むハマーン率いる
「アクシズ(のちのネオジオン)」と木星帰りのニュータイプ・シロッコが割って入ると、
四つどもえの争いになり、視聴者の混乱はいよいよ増すばかりでした。1年戦争では
敵だったホワイトベースのクルーたち(ブライト・ノアやアムロ・レイなど)とシャア・
アズナブル(エゥーゴではクアトロ・バジーナと偽名を名乗っている。そもそもシャアも
本名でないのだが)が手を組む形でエゥーゴに所属、味方同士なのも、混沌にさらに
拍車をかけ、敵味方の関係性が非常にわかりにくいものになっています。

富野監督自身、ファーストガンダムからイデオンと、立て続けに神がかり的な作品を
生み出していたパワーはこの頃弱まり、混迷を深めていたとも考えられ、それがそのまま
作品世界に反映されてしまったのでしょうか。ずいぶんのち劇場版として再編された際に、
ラストを大きく変えてしまったのも、当時の自身の揺れ動く考え方や判断ミスを、
あとから修正したかった現れでないかと想像します。


アニメ史上に残るヒット作の続編をつくるという難しい事情を差し引いても、この作品は
マイナス要素が多すぎて、傑作からは程遠い出来栄えです。しかし、この騒乱で一度は
同志となったアムロとシャアは再び袂を分かち、「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」
での最終決戦へつながるわけですし、ややこしいストーリー展開ではありますが、
ここでのいざこざの経緯や考え方、気持ちのずれなどを確認、認識しておくことで、
両雄が決着をつける劇場版を見る際に、さらなる盛り上がりが期待できるというものです。

(Zガンダム編へ続く)
   


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