慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

西方浄土とは?(西行)

2014年12月15日 | 知識取得
西行法師

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人
出家して西行と命名しました
勅撰集では『詞花集』『千載集』『新古今集』へ265首が入撰しています
家集に『山家集』『山家心中集』『聞書集』、説話集に『撰集抄』『西行物語』があります
























西行(ネットより引用)

西方浄土とは(西行)
浄土とは、仏の住む国土と言う意味です
阿弥陀如来「西方極楽浄土」、薬師如来「東方浄瑠璃浄土」、阿閦の仏「東方妙喜世界」、釈迦仏「西方無勝世界」です
諸仏の浄土が、娑婆世界(現実世界)から見てあらゆる方向にあるので「十方浄土」です
各経に説く十方の如来・仏を信じていればその浄土に行くという考えです
高杉晋作は、西行に影響を受け東行と名乗りました

西行の業績
鳥羽院の北面武士としても奉仕していました
出家後は、心のおもむくまま諸所に草庵をいとなみ、漂泊の旅に出て多くの和歌を残しました
出家の動機は、失恋説(高貴な上臈女房)です
後鳥羽院が西行を好んだのは「平俗にして気品高」彼自身の作風と共通するからです
西行は、出家の際に衣の裾に取りついて泣く子を縁から蹴落として家を捨てたという逸話が残っています
*「惜しむとて 惜しまれぬべき此の世かな 身を捨ててこそ 身をも助けめ」


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江戸の天皇(桜町天皇、桃園天皇)

2014年12月15日 | 知識取得
江戸時代の天皇

桜町天皇 ⇒江戸時代の第115代天皇、父帝の譲位により践祚
桃園天皇 ⇒江戸時代の第116代天皇


















江戸時代の天皇(ネットより引用)

桜町天皇
大嘗祭の再復活や新嘗祭、奉幣使などの他の儀礼の復活にも力を注ぎました
自らを「大日本天皇昭仁親王」と記し、朝儀の復興を通して天皇の権威向上に努めた
聖徳太子の再来といわれ、歌道に優れ、『桜町院御集』『桜町院坊中御会和歌』が有ります


桃園天皇と宝暦事件(桃園天皇の側近の処分)
江戸時代中期尊王論者が弾圧された事件
朝廷内の尊王論者の若い公卿が、幕府によって大量に処罰されました
徳大寺家の家臣竹内敬持らが、大義名分の立場から、桃園天皇の近習へ神書・儒書を講じました
朝幕関係の悪化を憂慮した関白一条道香は、天皇近習7名を追放を断行(公卿を罷免・永蟄居・謹慎)
幼少の頃からの側近を失った桃園天皇は、一条ら摂関家の振舞いに反発を抱き、天皇と摂関家の対立が激化する
桃園天皇が22歳の若さで急死し、混乱が収拾されました
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする