慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

日本の野党はまるで北朝鮮の“工作員”?

2017年04月19日 | 国際情勢
「55年体制」引きずる与党にも責任

北朝鮮、中国は日本を脅し攻撃を仕掛けてくる状況の国際情勢
 ☆竹島が韓国に略奪されたように、尖閣諸島、ミサイル日本へ着弾、拉致家族も同様の結果にするのか?
日米同盟の基盤の平和安全法制で、米国との信頼関係構築が最重要課題
 ☆国会議員の現在の役割・使命は、日本、国民、をどの様にして守るのか?
無責任野党の欺瞞(国会論戦では、北朝鮮の工作員としか思えないような言動?)
与党(55年体制を引きずる)
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、BLOGOS足立康史氏(4月16日)


足立康史氏(ネットより画像引用)

北朝鮮の太陽節(故金日成の誕生日)
北朝鮮6回目の核実験が実行される蓋然性が最も高いと報じられてきた日
仮に核実験が実行されれば、相当な確率で米軍の先制攻撃に繋がる
日本にもミサイルが着弾する可能性を否定できない一日だった

核実験が米軍の先制攻撃に何故繋がるか?
北朝鮮の大陸間弾道ミサイル(ICBM)の能力が向上し、米国本土が射程に入ってきたから
軍事パレードでも、新型ICBMがこれ見よがしに登場、世界が目を見張りました

日本への弾道ミサイルの着弾危機
日本の対応は、イージス艦とパトリオットでの迎撃で対処
安倍総理、複数発撃たれると、日本では対処が困難であることを示唆しました?
 ☆弾道ミサイル4発同時発射は「新たな段階の脅威であることを明確に示す」(総理コメント)
日本への弾道ミサイル着弾を阻止することが限りなく困難なのでは?
「新たな段階の脅威」を取り除くまで、戦いは続くのです

国会に目を向ければ「どうしようもありません」
与党も野党も危機感ゼロ
総理への揚げ足取りや、レッテル貼り
審議拒否に終始する無責任野党、与党もだらしない
敵基地攻撃能力の議論も低調
弾道ミサイルの着弾を想定した避難訓練も程んど出来ていない



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パルティア王朝&ササン朝ぺルシア

2017年04月19日 | 歴史
東西交易で栄えたササン朝ペルシア帝国

東西文明の十字路に生まれ、最先端の美術と宗教を世界中に流行させた
ササン朝最盛期を迎えたのは、6世紀ホスローー世の時代
 ☆中央アジアのエフタルを減ぼして最大領土を獲得
 ☆ローマ、インド、中国などと活発に交流した
マニ教(ゾロアスター教、キリスト教、仏教が融合)は、ササン朝の国教
 ☆中央アジアや中国などへ広まった
ガラス器や銀製品、織物など当時最先端のササン朝美術も世界中に伝わった
ササン朝は、イスラーム教アラブ人に破れ減亡した
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、『世界史(成美堂出版)』
 ☆本には、綺麗な絵画が記載されています


ササン朝ペルシア帝国(世界史(成美堂出版)記事画像引用)

ササン朝は、東西交通路を支配し栄えた
ササン朝ぺルシアは、西アジアで前6~4世紀に栄えた
北インドからメツポタミアを支配する大帝国を築きあげた
2代目の王シャープールー世は、ローマ帝国と争ってエデッサの戦いでは大勝利
ローマ帝国との抗争はササン朝の減亡まで続いた

日本にも伝わったササン朝美術
奈良東大寺正倉院の漆胡瓶や、法隆寺の獅子狩文錦
 ☆ササン朝が生んだインダストリアルデザイン
宮廷貴族のために簡潔で象徴的なデザインが大きく発達した
金属工芸は、高度な技術が発達して杯や皿、水差しなどに精密な文様デザインが施された
工芸品は、シルクロードにのって西のローマや東の中国・日本にまでほぼ同時代で伝わる
後世ではイスラーム美術などに影響を与えている

パルティア王国
強大な軍事力を誇り絹の取引で豊かなパルティア王国
ペルンア系遊牧民が、パルテイア王国(中国では安息)を建国
メソポタミァからインダス川までを支配する大帝国へ成長
シルクロードの要所を支配し、絹の交易を押さえることで栄えていた
信仰されていた太陽神ミトラ
 ☆西のローマではミトラ教
 ☆東では仏教と融合し、弥勒信仰として日本にまで伝えられた
シリアやアルメニアなどをめぐってローマ帝国と長い抗争を続けたが
ササン朝ペルシアのアルデシールー世によって減ぼされた

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藤堂高虎「築城の名手」&「裏切り者」

2017年04月19日 | 歴史
藤堂高虎(「裏切り者」「風見鶏」何度も主君を乗り換えた)

「築城の名手」か?「裏切り者」か?戦国の猛将藤堂高虎の正反対の評価
天下を揺るがす徳川家康暗殺計画、高虎の決断は、徳川家康を護った
「築城の名手」と称され尊敬を集めた藤堂高虎
 ☆築城技術に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城などを築城
 ☆黒田孝高、加藤清正とともに築城の名人として知られる
 ☆高虎の築城は石垣を高く積み上げることと堀の設計に特徴がある
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用し自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、NHKBS番組『英雄達の選択』、WIKIPEDIA
 ☆番組の画面引用(集中して番組視るので内容良く理解できます)












藤堂高虎(『英雄達の選択』番組画面引用)

藤堂高虎の浅井家臣時代
浅井長政に足軽として仕え、姉川の戦いに参戦して首級を取る武功を挙げる
浅井氏が織田信長によって滅ぼされると浅井旧臣2名に仕えた
信長の甥・織田信澄の家臣として仕えるも長続きしなかった

藤堂高虎の豊臣家臣時代
信長の重臣・羽柴秀吉の弟・秀長300石で仕える
但馬国の土豪を討った功績により3,000石の所領を加増され鉄砲大将となった
秀長のもとでは中国攻め、賤ヶ岳の戦いなどに従軍する
四国攻めにも功績が有り、1万石の大名となった
慶長の役にも水軍を率いて参加し帰国後加増されて8万石となる

藤堂高虎の関ヶ原の戦い
秀吉の死去直前から徳川家康に急接近する
高虎は武断派の諸将に先んじて徳川家康側に与した
 ☆伊予国における毛利輝元の策動による一揆を鎮圧
 ☆脇坂安治、小川祐忠、朽木元綱、赤座直保らに東軍への寝返りの調略を行っている
戦後、これらの軍功により家康から加増され、20万石大名となる
高虎は新たな居城を今治城に定めて改築を行う
 ☆宇和島城には高虎の従弟藤堂良勝が城代として置かれた

藤堂高虎江戸時代
大坂冬の陣、大坂夏の陣でも徳川方として参戦
家康死去の際には枕元に侍ることを許された
家康没後は第2代将軍徳川秀忠に仕えた
藩内での政治への取り組み、藩政を確立した
 ☆上野城と津城の城下町建設と地方の農地開発、寺社復興に取り組む
幕府の命令で陸奥会津藩と讃岐高松藩、肥後熊本藩の後見を務めた

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする