🌸田中角栄の逸話他(日本の戦後を知る)1-1
☆田中角栄「首相の犯罪」で糾弾され、政界を追われた
*今の時代「不世出の政治家」「天才」と見直されている
☆恵まれない境遇からのし上がり、彼のずば抜けた人心掌握術
☆彼が成した「功」と「罪」を振り返る
⛳田中角栄のプロフィール
☆新潟県の貧しい農家の七人兄弟真ん中で生まれた
*最終学歴は二田高等小学校で、田中土建工業を経営していた
☆恵まれない境遇からのし上がり、彼のずば抜けた人心掌握術
☆彼が成した「功」と「罪」を振り返る
⛳田中角栄のプロフィール
☆新潟県の貧しい農家の七人兄弟真ん中で生まれた
*最終学歴は二田高等小学校で、田中土建工業を経営していた
*四七年に衆議院議員に初当選
☆閣僚や自民党幹部を歴任し首相となる
☆日中国交回復などの成果も挙げた
*「田中金脈問題」を契機に退陣
⛳田中さんの人心掌握術優れていた
☆大蔵大臣に就任して居並ぶ大蔵官僚を前での挨拶
*これから一緒に国家のために仕事をしていくことになる
*お互いが信頼し合うことが大切だと思う
*今から、大臣室の扉はいつでも開けておく
*上司の許可を取る必要なく、何でも言ってほしい
「できることはやる。できないことはやらない」
*しかし、すべての責任はこの田中角栄が背負う
*これを聞いた大蔵官僚たちは、一発で参ってしまう
*これを聞いた大蔵官僚たちは、一発で参ってしまう
☆君たちは自由にやれ、責任は私が取る
*心酔しない部下はいないでしょう
☆その後、山一證券が経営不振に陥る
*救済のために日銀特融、日銀による特別融資が行なわれた
*それを断行したのが大蔵大臣の田中さんでした
☆官僚の場合、過去に例のないことはやりたがらない
*田中大臣は「責任は俺が取る」と言って救済させた
☆就任あいさつはハッタリでも何でなかった
⛳金にまみれた総裁選&隠れ田中派は野党にも
☆田中角栄が総理になった時の自民党の総裁選
*1回目の投票で田中さんと二位の福田さんとの票差は6票
*開票結果に田中さん驚いた
*開票結果に田中さん驚いた
*大勢に金を配ったのにこんなに少ないはずはないと
☆一位と二位の決選投票で、田中が勝ち、総裁に選ばれた
☆一位と二位の決選投票で、田中が勝ち、総裁に選ばれた
*最終盤中曽根康弘が出馬を取りやめて田中支持を表明
*中曽根は田中に七億円で派間の票を売ったとの噂が流れた
☆田中さんの凄いところ
*1回目の投票で盟友の大平さんに票を回していた
*その為、大平さんに入った百一票
*二回目の投票で田中さんに流れた
☆田中さんほど「生きた金の使い方」をする人はいない
☆田中さんほど「生きた金の使い方」をする人はいない
☆福田派の議員が入院したとき田中さん自ら見舞いに行った
*議員からすればそれだけでそれだけでも恐縮する
*帰り際にさりげなく封筒が置いてあった
*角さんは気前がいいから見郷金は50万円位と思っていた
*中身をたしかめると500万円入っていた
*このお見舞いを4回繰り返す、〆て2千万円
☆ふつうの政治家とはスケールが違う
⛳命懸けで日中国交正常化
☆田中さんが総理になって、手をつけたのが中国との国交回復
☆田中さんは総理大臣になってわずか3か月後
☆田中さんが総理になって、手をつけたのが中国との国交回復
☆田中さんは総理大臣になってわずか3か月後
*北京を訪れて日中国交正常化への道を開いた
☆あの様な、突破力を持った人はもう現われないのだろう
☆それが、今の田中角栄待望論にもつながっている
☆中国との国交を回復するのは、難しい仕事であった
☆中国との国交を回復するのは、難しい仕事であった
*国連の常任理事国で、5大国の一角を占めていた中華民国
☆新たに独立したアフリカ諸国を中心に
*大陸中国に国連の代表権を与えようという動きが出始める
☆それを食い止めようとアメリカや日本は必死になる
*国連総会で大陸中国の代表権が決議されて台湾は国連を脱退する
*日本は台湾に義理立てをして国家として遇していた
*日本は台湾に義理立てをして国家として遇していた
☆田中さんが北京を訪れたのは、ピリピリした空気の中だった
*今の時代からは想像出来ないが、命を懸けた外交交渉だった
☆福田派は田中さんの日中国交正常化に猛反発をした
☆福田派は田中さんの日中国交正常化に猛反発をした
*「日中平和友好条約」の締結はは、次の次の福田政権の手で行なわれた
(敬称略)
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『日本の戦後を知るための12人』より
田中角栄の逸話他(日本の戦後を知る)1-1
(『日本の戦後を知るための12人』記事より画像引用)