⛳会田はなぜ少女の四肢を切断したのか
☆四肢切断と芸術の関係で会田の説明
*会田が『性と芸術』で説明できているようには思えない
*「犬」への批判の大半は四肢切断に向けられている
*「日本画解体・日本画維新」という狼煙で説明しているが
*最も大切なことは「目立つこと」である
*最も避けるべきは「曖味さ」である
*美少女もSMも四肢切断も、計算して選ばれたモチーフに過ぎない
☆猟奇的な都市伝説や、古い中国の史実に見られる″手足切断”という
*ヒューマニズムの対極に位置するモチーフをあえて選びました等
*書かれているだけだ
*四肢切断については、多くのひとを納得させるのは難しい
☆会田誠の作品、日本(「オタク」層)で高く評価されている
*田舎者のオタク(変態)を自認する会田
*コンプレックスを作品を通して率直に表現しているからだ
☆会田には(女性を含む)知識層にもファンが多い
*しかし、芸術論で「四肢切断」を擁護することには躊躇するのでは
☆アフリカ・シエランオネで、反政府軍が住民の手足を切断し
*欧米のジャーナリストに撮影させるグロテスクな慣行が広まった
*カット・ハンド・ギャングズ(両手切り落とし団)と呼ばれた
☆目的は、「悲惨さ」をメディアを通じて
*国際社会に見せつけ、援助団体から資金を集めること
☆作品を取り巻く「文脈」は、時代とともに変わっていくが
*すくなくとも現代のポリコレのコードでは
*美少女の「四肢切断」をエロティンズムとして提示し
*美術館に展示することは受け入れられないだろう
☆「許される芸術」と「許されない芸術」は
*どこで線引きするのか、という問題が浮上する
⛳天皇の写真を燃やす表現の自由はあるのか
☆愛知県が主催する国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の
*「表現の不自由展・その後」に対し
*従軍慰安婦の少女をモチーフとした「慰安婦像」
*昭和天皇を冒漬する作品が展示されているとして
*右派・保守派による大規模なキャンセル運動が発生した
*展示への抗議は過激化し、会場への放火を予告するものもあった
☆芸術祭の実行委員長愛知県知事は2日で展示中止を決定した
*決定には国内・海外から多くの批判が寄せられた
☆現実には、犯罪予告に対応する警備スタッフの疲弊を考慮すれば
*展示中止以外の選択肢はなかった
☆リベラルが展示中止に責任があるとして批判したのも
*右派・保守派と同じく大村知事だった
☆問題を難しくしたのは、慰安婦像とともに
*美術家・大浦信行の昭和天皇をモチーフにした作品が展示だ
*右派・保守派は当初、慰安婦像が「反日」だとして撤去を求めた
*リベラル側も「歴史修正主義」等の反論ができる
☆その後、保守メディアなどが
*「昭和天皇の写真を燃やし、灰を足で踏みつける」映像
*大きく取り上げるようになる
☆製作者大浦は、説明したもの、話題にならなかった
*批判する側が(ほとんど)無名のアーティストを相手にするより
*県知事を抗議の対象にした方が運動の効果が大きいと判断した
☆右派・保守派の抗議が「歴史問題」を迂同したことで
*リベラルは対応に窮することになる
☆ネット上での抗議活動に力を得た一部の右派・保守派グループ
*大村愛知県知事のキャンセル(リコール)に突き進んだ
*署名がが思い通り集まらなかったため
*アルバイトを雇って大量に署名を偽造するという
*違法行為に手を染めるに至った
☆右派・保守派にとって手痛いスキャングルで
*政治イデオロギーの対立は
*ネット上では盛り上がっているように見えるが
*「ふつうのひとたち」は関心をもたない事例だ
⛳終わりのない応酬
☆言論・表現の自由の原理主義者は
*会田誠の「犬」でも、慰安婦像や昭和天皇の写真を燃やすアートでも
*見たい者だけが見に行くのだから
*展示になんの問題もないという一貫した態度を取ることができる
☆こうしたリバタリアン(自由原理主義者)の主張に
*同意しない者もたくさんいる
☆民主政(デモクラシー)は市民の間達な議論で支えられる
*どのような政治的立場の主張も許されるべきだとされる
*なにが正しいかは議論によって決着をつけるべきで、
*リベラルであれ、右派・保守派であれ
*自分たちの主張だけが正当で
*相手の主張を不当だと抑圧することはできない
☆リベラリズムの原理からすれば、ある言論・表現に
*「不愉快だ」とか「傷つけられた」と感じたからといって
*書籍の回収・廃棄や展示の中止を求める「キャンセル運動」
*正当化することはできない
☆誰かを不快にさせるときにこそ
*言論・表現の自由は重要なのだ
*その表現によって深く傷つけられた者がいるのだ
☆そんな悠長なことをいっていられない
*四肢を切断された全裸の美少女の絵に傷つく者がいるのと同様に
*敬愛する昭和天皇の写真が燃やされるのに傷つく保守主義者もいる
*政治イデオロギーが異なる相手の
*「キャンセルする権利」も全面的に容認するほかない
*「自分だけが正しく、相手には抗議する権利がない」という
*かなり差別的な立場を表明することになる
☆誹謗・中傷のような差別的な言動に対しては
*ヘイトスピーチ解消法などで法的な規制が行なわれているが
*すべての表現の適・不適を法律で規定することはできない
☆表現者のなかには「良識」を侵犯することが
*「芸術」だと考える者もいるだろう
*議論では問題は解決しないばかりか、
*状況をますます泥沼化させるだけだ
☆なぜなら、イデオロギー対立では
*相手を「論破」することにしか関心がない
*さらに道徳的な議論には感情がからむことだ
⛳「キャンセルカルチャー」人間的な現象でもある
☆なにが正しくて、間違っているかの確固たる基準がない
*双方がより過激に自説を主張するのだ
☆社会(共同体)が成り立つためには「良識」が必要だ
*リベラルな社会では、利害の異なる個人や集団が
*それぞれに自分たちの「良識」を主張することができる
☆彼ら/彼女たちの「多様な正義」
*原理的に対等だと考えるほかない
*終わりのない罵詈雑言の応酬が始まり
*相手への憎悪だけがかきたてられていく
☆人間の本性に深く根差しているから、解決が難しい